2017年の大河ドラマ『おんな城主 直虎』を予習……しない!

井伊家の家紋さて、真田丸ロスな皆さま、こんにちわ。

いやー、最終回もよかったですね。合戦シーンがシンプルだった感も残りましたが、なにより殺陣が見どころでしたね。あれはよかった。気合が伝わってきました。また全編見直したくなる大河でしたね。

で、来年2017年の大河ドラマは『おんな城主 直虎』

徳川四天王のひとりであり譜代筆頭となったかの赤鬼・井伊直政の育ての親であり、女ながら井伊家受難の時を守り抜いた当主であります。戦国細腕繁盛記。

彦根駅前にある井伊直政公騎馬像

例年は次の大河ドラマの予習記事を起こしているのですが、今回はあえて予習しない。

予習であれば、以下、武将ジャパンさんの「井伊直虎」カテゴリーの記事を読んでください。一般的に知名度も低いであろう井伊家の人物紹介なども充実していてオススメです。これだけ読んでおけばいいんじゃないかな。

おんな城主直虎 | BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)

では、良いお年を!




というのもなんなので、以下、一発小ネタ。


私と井伊さんの思い出

実際、私個人にそういう思い出があるわけではなく、祖母と父から聞いた話を。かれこれ70年近く前の話です。

私の父の実家は滋賀県長浜市にございまして、石田三成出生の地のほど近くです。
70年以上前、私の祖父とその兄である大伯父がその場所に暮らしておりました。まだ学生さんの頃ですね。

その大伯父、永寿(えいじゅ)と申しますが、東京帝国大学(現在の東京大学)農学部に入学します。

ここで同学部の2年先輩であったのが、井伊掃部頭家第16代当主であった井伊直愛(いいなおよし)さんでした。

かの井伊直弼の曾孫さんですね。

「井伊の殿様だああああああああ!!!!!!」

と、永寿さんは世が世なら殿様である直愛さんを前に相当緊張してたそうです。が、同郷の好もあり交友があったそうで、後輩としてそれはそれはお世話になったのでした。

大学も卒業して長浜に戻っていた永寿さんですが、34歳のとき(昭和22年)に病気で亡くなります。
この時、井伊直愛さん、戦時中であるため彦根に疎開されていたようで、大伯父の葬儀にご参列くださりまして、お悔やみの言葉をいただいたそうです。

これにあたって当方の実家は大騒ぎになったらしく、

「殿様がくるぞおおおおおお!!!!!!!!」

となり、あわてて一族総出で家中の畳を全部張り替えたそうです。いやー、葬儀直前、本当に慌てふためいたそうですよ。

すでに昭和、華族制度も廃止されたこの時期においても、田舎ではまだまだ「殿様」が民の心中ではご健在だったのですねぇ。

なお、井伊直愛さんはこの後も彦根に滞在されており、市長となり、連続9期36年間の長きに渡って務められています。「殿さま市長」と呼ばれていました。(これは僕も生まれていたのでかすかに記憶にあります)

やっぱ今も「殿様」は健在で、永劫の概念なのですね。
ビバ殿様。


というお話でした。

なんせ私どころか父もまだ生まれていない頃の話なので、細かいところまでは聞けておらず。詳しい身内もみんな死んじゃってるので、もっと聞いておけばよかったなと絶賛後悔中です。

当家に若干でもつながりのある井伊家のサクセスストーリー『おんな城主 直虎』、楽しみです。

いっそ予習なんかせず、さまさまな説に振り回されず、純粋にドラマを楽しみましょう!(予習記事書く暇がなかっただけです。すみません)

最後に、アキバの戦国居酒屋にあった井伊家の甲冑の写真貼っときます。

井伊家の甲冑レプリカ

江東区深川江戸資料館 新春特別展「みなもと太郎の『風雲児たち』~漫画でみる幕末~」開催記念講演会に行ってきました!

fuunji吉川史観・司馬史観に変わるあらたな歴史観といっても過言ではない、江戸~幕末期の超大河漫画『風雲児たち』の著者であるみなもと太郎先生の展覧会と講演会に行ってきました。

制作の裏話や幕末をどのように感じているのか?や制作秘話などいろいろ貴重なお話をお伺いすることができました。

残念ながら撮影禁止ということだったので、会場の様子などは画像でお送りすることができませんが、非常に有意義な時間でした。それにしてもレポート遅すぎだな。すいません。

もう自分の偉人達のイメージはこうなっちゃってます。特に松蔭。

もう自分の偉人達のイメージはこうなっちゃってます。特に松蔭。

深川江戸資料館は江戸時代の下町の生活(主に長屋)を常設展で体験することが出来る貴重な資料館で、眺めるだけでなく長屋の中に入ったり道具を触ったり出来る体験型の資料館なのでお子様と江戸の黒豹ごっこや江戸を斬るごっこをするのに便利です。

みなもと太郎の「風雲児たち」〜漫画で見る幕末〜

駒沢大学文学部教授 小泉先生の「幕末維新期とはどのような時代か?~通説を見直す~」

講演トップバッターは駒沢大学教授の小泉先生。
先生は明治維新史学会の理事も務めておられるすご腕だけあって、まとめるのが上手! ただ1時間で話をまとめるのはさすがに無理がありまして、ほぼ伏線的な話になってました。参考文献など非常に貴重な情報もありました。

資料も上手にまとめられていて、講義と相まって分かりやすかった。

資料も上手にまとめられていて、講義と相まって分かりやすかった。

最初に、幕末維新期というのはそもそもペリー来航からではなく、天保期における国内および海外の動乱からはじまっているとのこと。国内では近世国家としての体制的な矛盾、国外では近代化後の欧州勢の世界進出が幕末維新のはじまり。

たとえば、国内では大塩平八郎の乱であり、海外ではアヘン戦争など。また海外と日本の接点として日本近海への外国船の出没やモリソン号事件をあげておられました。

たしかに強面のくせに紳士気取りの産業革命後の欧州列強に対して打ち払いなどをやりまくる日本。かなりのイケイケです。

でもそんなん常識的に考えて「もう日本アカンとちゃうか?」と幕閣(がやらせてんだけど)のみならず、市井の知識人が思いはじめるのは当然のことで、そういったことが全国的に広がるのがちょうどこの頃だそうです。

そしてペリー来航からいわゆる一般的な幕末期に突入になるわけですが、分かってても忘れてしまう真実として、関が原の戦いで敗れた薩摩藩と長州藩が徳川幕府を倒す機会を伺っていたって、ま、まさか皆さん本気そう思ってます?論。

先生は大東亜戦争後70年経った現在アメリカ許せない!と皆さん考えてますか?と尋ねていました。そもそも日本人の美徳として忘れっぽいってのもありますので、確かに封建の世とは言え250年も牙を研いでいることはなかなかできないと思います。など興味深い話が続きました。

その後も興味深いお話が続きましたが、10分弱押してしまったにもかかわらず、全然足りねぇ。時間ェ… な状態でした。今度講演があったら、またぜひ聞きに行きたい(1回目)です。

興味深かった”コレ豆な的”な話

まとめますと、

  • 条約調印反対してた人は時期将軍継嗣問題とからみあって、反対の為の反対というのが実態。つまり実は攘夷関係ない
  • そもそも不平等条約だ!といわれても対等な条約は対等な国相互で結ぶもので明治維新以前はそもそも日本側(幕府・朝廷ともに)不平等という認識はない。
  • 開港・開国問題による物価の高騰からくる社会的不安、それにともなう空前の攘夷ブームに明治時代の島耕作こと渋沢栄一(YoungAge)も乗っていた
  • 島津久光の率兵上京は藩主でもない(なったこともない)人が兵を率いて上洛するという江戸時代通じてありえない大事件
  • 長州は攘夷を過激に主張するが、それは京都での人気が高かったからヤメられなかっただけ。芸者パワーすげぇ。
  • 龍馬の「今一度せんたくいたし申候」は幕府の役人をブッコロ!っていう当時の若者らしい威勢の良い手紙。
  • 八月十八日の政変はただ単に長州が京都から追い落とされた事件というわけではなく、玉を握ったほうが決定権を持つということが明確になった重大な事件。それまでは大御心は神聖で絶体不可侵と考えられていた。
  • 孝明天皇は慶喜をものすごく信頼していた。お母さんが有栖川宮出身つまり皇族の血が入ってるから。もちろんお父ちゃんが水戸斉昭ということは有名 ← 父ちゃんまったくどーでもよいそうです。

かなり端折って書いてあるので、そのまま、コレ豆な。どや!すると恥かくかも知れないので自分でもちょっと調べてその上でご利用してください。

深川江戸資料館近くの幕末維新期の偉人についての興味深いお話やもっと深掘りした説明があり、あきらかに1時間で収めるには無理な内容がよくまとめられてました。次もあったら絶対行きたい(2回目)

いよいよ、みなもと先生の講演

インタビュー形式で、聞き手は「風雲児たちガイドブック 解体新書」著者のおかべたかしさん。

元々は冗談新選組という70ページ前後にまとめた新選組の話からどうせだったらしっかりした幕末モノを作ろうと関ヶ原からスタートしてしまったのが間違いのはじまりで、結果超々大河コミックとなった経緯があったそうです。

そもそも『風雲児たち』は数ある仕事の中のひとつだったらしく、はじめた当初30代なかばはひと月100ページくらいは余裕でできていたんだけど、50歳過ぎた頃から体力的に続かないので『風雲児たち』にしぼったそうです。

連載を始めた当初は資料集めに苦労したらしく、例えば林子平の三国通覧図説を見るために国会図書館まで行き桐箱の中から取り出だされた2畳から4畳半くらいある図版(レプリカ)を、持参したノートと鉛筆で写したりしていたそうです。

今ではインターネットで一発で出てくるのが腹立たしい!とおっしゃっており、読者もどんどん知識がついてきてるので、ますますストーリーが長くなってしまうと苦笑いされていました。

新たな史料が発見され、後のストーリーにからむものなら間違いなく載せるだろうな、大変だな、とは思いつつも、むしろどのようなストーリーが展開されるのかが楽しみなので、長くなるの歓迎です!とわれわれ読者は無責任な期待をしてしまいます。
それでもお蔵入りしている話もあるらしく、そういった話をコミケ用コミックとして作っているそうです。どんだけマンガ描くの好きやねん。

しかし、その伏線を大事にする作風のおかげでフィーチャーされた偉人たちや再評価された人物なんかもかなり多く、江川太郎左衛門(主に目)は”風雲児たち”の影響で認知度が上がり、むしろ21世紀になって人気の上がった幕末期の偉人なわけで、BS時代劇でシリーズ物作れ!NHK!と願ってやまないわけです。

また、阿部正弘は水野忠邦と井伊直弼と非常に濃ゆいメンバーに挟まれて、元来歴史上の”偉人的”評価が低く、風見鶏的とか決断力がないといった印象がありましたが、実に日本的な物事の進め方というか、反対勢力に反対と言わせないで自分の政治指針を進めていく姿勢は、経営者や管理職のマネジメントに大いに役立つのではないでしょうか?といった再評価を得られているのも、“風雲児たち”の功績と言っても過言ではないわけであります。

さらに、幕末維新期の偉人達は時代が近いこともあり、子孫たちも多く現当主の方々も愛読されているそうです。風雲児たち21巻の帯を井伊家の現当主に書いてもらおうと思ったという話をされてましたが、先生それ残酷です。普通断ります。そして21巻実に劇的です。歴史好きで『風雲児たち』を読んでない方は21巻から読み進めることをおススメします。

風雲児たち〜幕末編〜が本来のメインストーリーですが、普通の”風雲児たち”の方は列伝形式というか時代や人物にフィーチャーしており、また the 江戸時代なので歴史ファンでない方も時代劇が好きな人やヒューマンドラマが好きな人、冒険譚が好きな人にも入りやすいと思います。

サイン会でのみなもと先生の嘆き

トークショー終了後にコミケで販売しているコミックスなどの販売とサイン会も行っており、もちろんサインゲットしたんですが、中が白じゃなくてサインが全然見えない悲劇となりました。

戦国モノを購入したのは良いのですが・・・・

戦国モノを購入したのは良いのですが・・・・

先生にも同情される始末。

先生も中は白じゃないとサインが目立たないんだよね。これは申し訳ないね!と書いてる最中におっしゃってました。お気遣いありがとうございます。

先生も中は白じゃないとサインが目立たないんだよね。これは申し訳ないね!と書いてる最中におっしゃってました。お気遣いありがとうございます。

なお、『風雲児たち』のラストは函館五稜郭と連載開示時から決まっており、それは揺るがないそうですが、ラストに届くまで20年もしくはそれ以上かかるかは先生自身も想像できないとのことでした。

ご健康に気をつけて、ぜひ五稜郭まで(できるだけ早くたどり着くことを)期待しております。

 

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2016年の大河ドラマ「真田丸」をより面白く観るために、真田一族の縁の地を知る(幸村関係ないけど)

sanadamaruさて、様々な物議をかもした2015年の大河ドラマ、えーとなんだっけ、まぁいいや。

皆さんのご興味はすでに、というか相当早くから2016年の大河ドラマ「真田丸」に向いていることと思います。

戦国時代最強の一発屋ヒーロー、真田信繁(幸村)が主人公、三谷幸喜脚本ということもあって前評判は上々。もちろん私も大変楽しみにしておるわけです。

特に、1985年に放送された「真田太平記」(NHK新大型時代劇)にて幸村役を演じられた草刈正雄さんが今回はその父親である昌幸役ということで、おっさんとなったファンへのホスピタリティにもグッとくるものがあり、いかにも胸熱です。(丹波哲郎さんの昌幸を超えてもらいたいですな。くるみカリカリするかなぁ。)

ということで、「真田丸」がはじまる前に恒例の予習としけこみやしょう。

今回は人物紹介はやめておき、「真田にとっての縁の地」を基軸として紹介します。(登場人物がビッグネーム過ぎて、方々からのツッコミが怖い、ってのが正直なところ…)

真田一族が拠点的にどういう位置関係に在していたかを知っておくとさらに本編が面白く感じられるでしょう。たぶん。

それでは、をぉぉぉぉやくわぁたぁさむぁぁぁぁぁ!!!

真田発祥の地「小県」と川中島の戦い

真田氏の発祥そのものははっきりしていないものの、真田幸隆(幸村のおじいちゃん)が信濃国小県(ちいさがた)郡真田郷にある洗馬城、そして真田本城(別名・松尾城)を拠点として真田氏を称したことにはじまるとされています。なお、この小県郡にはのちの拠点となる上田も含まれています。

ちなみに、これ以前の真田氏については文献として記述があるものの関係性が明確ではないようで、よく分かっていないようです。

そもそも真田幸隆の父さえもはっきりしておらず、真田頼昌または海野棟綱が真田の始祖とされています。とにかく、信濃の名族・滋野三氏のうち海野(うんの)氏の傍流として、信濃小県郡の豪族としてずっと土着していたっぽいということですね。

ところが隣接する葛尾城の村上義清にこの小県一帯を攻め取られ、真田の支城であった戸石城は村上の拠点となります。
幸隆は上野国に一旦避難しますが、後に武田信玄のもとへ帰参。

ちなみにこの村上義清、武田信玄を2回もボコボコにしている強いお方。(戸石崩れで有名ですね。)

その後、信玄の命を受けた幸隆が調略で義清を破り小県を奪還しています。この頃の幸隆は40歳前後。

ここで村上義清が上杉謙信の元に逃れまして、

「信濃全域を手中に収めたい信玄」と「せっかく奪還した小県を守りたい幸隆」
VS
「北信濃の縁戚を助けたい謙信」と「小県をもう一度奪いたい義清」

kawanakajima

の図式となり、これが川中島の戦いに繋がるわけです。

つまり、幸隆が信玄に帰属したことこそが、幾度の川中島の戦いの発端となったと言ってもいいでしょう。

ということで、もっとも激戦となった第四次合戦の頃の勢力図で見てみましょうか。
真田本城、川中島、義清の葛尾城と戸石城の位置関係を見てみましょう。

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ぎゅうぎゅう。

武田領、上杉領、ときどき北条領のはざまです。激戦区。
(なお、第二次川中島合戦の頃以降「甲相駿三国同盟」が成立しており三つ巴状態にはなっていません)

これより川中島にほど近い真田本城を拠点とする真田氏はこの長い戦いにおいて武田の先鋒(信濃先方衆)となるわけです。がんばれ幸隆くん。

この頃の幸村くん この時まだ生まれていません。関係ないですね。

真田といえば信州「上田」

幸隆とその息子の信綱昌輝、昌幸は、川中島を含む信州、上野、駿河など各地を転戦。

幸隆は戦国三弾正のうち「攻め弾正」とあだ名され、また、次男の昌輝は信玄をもって「兵部は我が両眼なり」と評価され、親子4人で武田二十四将にも数えられるようになるなどチートファミリーのはじまりですね。

ところが、幸隆の没した翌年の1575年、長篠の戦いにて信綱と昌輝が戦死。
3男の真田昌幸が家督を継承します。きたわー。

この頃の幸村くん まだ8歳。関係ないですね。(大河ドラマ、ここくらいからスタートするんでしょうかね)

その後、織田の甲州征伐によって主家たる武田も滅亡。
真田昌幸は織田に臣従して本領安堵となりますが、3ヶ月後には本能寺の変により当の信長が横死。

これにより織田軍が武田旧領から撤退し、甲斐・信濃・上野にて混乱状態になります。
北条・徳川・上杉が、それいまだ!刈り取れー!とばかりに入り乱れる「天正壬午の乱」が勃発。
この甲斐・信濃の混乱に乗じて、昌幸はすぐに武田の遺臣を集めて勢力を拡大・温存します。

この時の昌幸は、信州に進軍してきた上杉謙信に一旦臣従しますが、翌月には北条氏直側にひるがえります。そしてその2ヶ月後には徳川家康に接近し臣従。

この頃の真田の臣従関係を整理すると、本能寺の変のあった1582年から1585年の約3年間強において

1582年3月〜1582年6月 (武田が滅ぼされて)織田信長に臣従
1582年6月〜1582年7月 (信長が死んでしまったので)上杉景勝に臣従
1582年7月〜1582年9月 (北条への最前線に置かれ一旦降伏し)北条氏直に臣従
1582年9月〜1585年7月 (やっぱり最前線のため徳川に急接近して)徳川家康に臣従
1585年7月〜1585年12月 (徳川から領地移譲しろと言われケンカ別れ)上杉景勝に臣従
1586年1月頃〜 (嫌がらせしてくる徳川をボコっていたら、上洛せよと呼び出されて)豊臣秀吉に臣従

ということになります。

ひらりひらりと激戦区を舞う昌幸。

特に1582年に挙動が目を引きます。上杉、北条、徳川の三つ巴をかわしまくり。
いかにも「表裏比興」ですね。不器用さの欠片もない。

で、上記の徳川臣従期に本拠地を上田に移し、1583年に上田城を築城します。
(賤ヶ岳の戦いを秀吉が制し、大坂城が築城開始されるのもこの年です)

この後2回も徳川をボコることになるように(上田合戦)、当初から対徳川を意識して南側の防御の厚い縄張りにしたようですね。
ここに真田の本格的な自立が始まります。

上田への移転時の勢力図を見てみましょう。

sanada_map2

徳川が入り、新たな三つ巴の激戦区となりました。

真田としてはどこに転がっても最前線としてたらい回しにされてしまう、という普通の人間なら精神を病みそうになる勢力状況の土地です。
まぁ、これより「真田といえば上田」ですね。

この頃の幸村くん 上田城への移転時はまだ初陣もしていない15歳。関係ないですね。

真田の鬼門。それが「沼田」

とまぁ、真田の本拠といえば上田、になるわけですが、実はキーポイントとなるのが上州は「沼田」

上杉と北条で散々取り合っていた地ですが、昌幸が武田勝頼存命時代に北条領であった沼田城を調略をもって制圧し武田領となります。武田が滅び織田が撤退した後、そのまま真田領となりました。
つまり、昌幸が自分で切り取って手にした土地、ということになります。

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先述の通り、本能寺の変後に起こった天正壬午の乱において、上杉や北条の間を転々とし、それぞれ前線の先鋒や殿としてこき使われた昌幸は徳川への臣従を選びます。嫌気が差したんでしょうかね。

ところが、徳川は北条とのと和睦・同盟を進めます。この頃の家康は秀吉との小牧長久手の戦いも行っていますから、後方の安全確保を急ぎたかったのですね。

ここで家康からの無理難題。
家康は、北条との同盟締結の条件として「沼田やるから同盟してよ」と勝手に交渉していたわけです。自分の領地でもない土地を。

「北条がさー、同盟したかったら沼田はよよこせってさー、いうわけ。だからさー、タダでよこせやー。」

と昌幸にカツアゲに等しいことを言ってくるわけです。

昌幸は「アホ言えや!沼田はワシのもんじゃー!」と怒り心頭。再び上杉のもとへ鞍替えするわけです。むしろ徳川からの離反のきっかけとして逆手に取った、とも言えそうです。
これが真田と徳川の因縁の発端。

この真田の離反に対して徳川が討伐を起こしたのが「第一次上田合戦」。
2,000の兵の真田が7,000強の兵の徳川をボコボコにしたアレ。徳川は1,300以上もの死傷者を出すこととなり、家康のビビリストたる「真田コワイ」がここにはじまるわけです。

徳川臣従期に本拠を上田に移したのも、徳川から離反して撃退するためだったとも言われています。

この頃の幸村くん 上杉景勝への人質として春日山城に在していたので、やっぱり関係ないですね。

またおまえか、「沼田」

当時、すでに豊臣の時代。
上杉・北条・徳川の間を転々とせざるを得ない土地的状況から、昌幸は豊臣秀吉に臣従します。
豊臣を後ろ盾とすれば、すでに豊臣に臣従している上杉・徳川からは身を守ることができますから。

もとより秀吉から昌幸へ上洛の要請はあったのですが、上杉・北条・徳川の狭間にあった状況下では離れるわけにもいきません。なんとか臣従表明は行い、幸村を人質に出して、晴れて豊臣臣下となりました。

ちなみにその際、幸村くんは上杉の人質でしたが、上杉景勝が上洛で不在中の春日山城から無断でこっそり逃がしており、景勝を激怒させたそうな。昌幸は人を怒らせるのも天才だね。

さて、先の真田・徳川・北条の沼田移譲問題
天下人・秀吉によって裁量され、利根川を挟んで東側は北条に割譲されることとなります。

川東の沼田城は北条のものとなってしまいますが、川向かいの名胡桃城はなんとか安堵されることとなりました。
秀吉としても、沼田は真田のものと分かっていますが、北条を懐柔させるために相当の好条件を出したわけです。

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真田領として残った名胡桃城はもともと沼田城の支城であり、5kmほどしか離れていません。

1589年、この名胡桃城を沼田城代となった北条家臣の猪俣邦憲がを策略を持って落としたことが、惣無事令違反(私的な戦、禁止ね)として秀吉の怒りを買い、結果「小田原征伐」の直接の原因となりました。これがいわゆる名胡桃城事件

この名胡桃城事件ですが、事件の経緯は不明な点が多く、十分に解明されていないのが現状です。

事件発生時、昌幸は京の秀吉のもとにおりましたから、両名合議による戦略として、北条を挑発した説もあります。
要は、どっちみち北条は完璧に潰すものとして、その名分を得るために、あえてオトリ的に沼田だけを北条に割譲した、と。北条を潰した後、秀吉は沼田を改めて昌幸に与える段取り、という前約束的な感じですね。昌幸と秀吉なら如何にも考えそうな策だとは思うのですが。

しかしながら、豊臣に臣従する姿勢を見せていた北条の内部としても、反豊臣派はそれなりに幅を利かせていましたし、事件後にも当の猪俣邦憲が別段罰せられていないことからも、単に秀吉の裁量への不服から自発的に起こしたものとも言えそうです。

どちらにせよ、またまたこの沼田が戦国史のターニングポイントとなりました。
つまり、秀吉の天下統一の総仕上げ・小田原征伐は真田と北条の因縁が発端となったということです。

小田原征伐の後、沼田は嫡男・真田信幸に与えられ、無事、再び真田領として復活しました。

信幸が正室として本多忠勝の娘・小松姫を迎えたのは、この頃より少々前のこと。
昌幸としてはこの時ほどから豊臣と徳川の両方についておくことを想定していたのではないでしょうか。
ちなみに、井伊直政が信幸のことを大変評価しており、それを家康に伝えたところ、小松姫を家康もしくは秀忠の養女としてから、信幸に娶らせるようになった経緯があるようです。やっぱり家康さんは直政くんに甘いなぁ。

この頃の幸村くん 小田原征伐に従軍しています。石田三成の忍城攻めにも参加したとのことですが、まだ表舞台にも立っていませんし、やっぱり関係ないですね。

ドラマのクライマックス

さて、秀吉も死に、関ヶ原の戦いへ。
昌幸、第二次上田合戦にて徳川をまたまたボコるも、西軍が敗戦。

西軍についた昌幸と幸村は紀伊国の九度山に配流となります。(家康は処刑するつもりでしたが、信幸の義父・本多忠勝の懇願で流刑で済みます。)

一方、東軍についた信幸(この頃に信之に改名)は沼田に加えて、父と弟のいなくなった上田を治めることとなります。(上田合戦のおり、真田の戸石城を落としたのも信之です)
なので、真田領そのものとしては変化なしですね。

ちなみに、関ヶ原の戦前、小松姫が孫に会いたいとやって来た昌幸を「じじぃ、いねや」と追い払った逸話の舞台も沼田です。

この頃の幸村くん 第二次上田合戦では父とともに策を練り、敗戦後も葛尾城に攻め込んでいたりと真田の要になりつつある頃。ようやくだね。

九度山からニート親子(昌幸・幸村)で出来のいい息子(信之)に対して金品をたかったり、大谷吉継の娘に真田紐を作らせたり、幸村が近隣の女に手を出したり、などそれなりに楽しんでいましたが、1611年に昌幸が死去。

1614年、幸村は豊臣家の要請に呼応し、九度山を脱出。息子の大助とともに大坂に入城します。

大坂の陣のはじまり。
まぁ結果はご存知のとおりですし、ドラマでも「真田丸」のタイトルどおりクライマックスでしょうから、ここは割愛です。

この頃の幸村くん 「関東勢百万と候え、男はひとりもなく候」。がんばったね、幸村くん。歯がないのによく踏ん張ったよ。

またまた「沼田」か。ぬまたぁ

大坂の陣も終わり、ここから信之のターン。
信之は松代藩に移封となりますが、沼田は真田領としてそのまま残ります。(その後の上田藩には仙石氏が入ります)

江戸期以降は「真田といえば松代」ですよね。川中島のほど近くです。

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松代移封の際、松代には信之が入り、沼田にはその嫡男・信吉を入れました。

ところがほどなく信吉が死去。その嫡子の熊之助も死去。今度は信之の次男・信政が沼田に入ります。

この頃の幸村くん 幸村くんが幼いころ、上杉へ人質として入る際にこの松代城(元は海津城)に在したようですが、江戸期にはとっくに死んでるので、もちろん関係ないですね。

その後、信之が隠居し、家督を次男・信政に譲ります。
もちろん当主となった信政は松代に移りまして、沼田には信吉の次男・信利が入ります。

当主となった信政がほどなく死去してしまいます。
信之は、まだ2歳だった信政の六男・幸道に跡を継がせることにします。

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沼田の信利はこれを不服として幕府に申し立て、お家騒動が起こります。
真田の嫡流の血を引く俺が継ぐべきだ、と。

が、幕府の採決は幸道を後継とし、代わりに松代の支藩であった沼田を藩として独立することとしました。信利は真田本家は継げませんでしたが、一応独立できたわけですね。

信之はこのお家騒動が執着した直後に死去します。
享年93。長生きでしたが、この「信濃の獅子」も晩年はさぞ胃が痛かったでしょうね。

さぁここからです。
やっぱり安定の沼田。

沼田の信利は、独立はしたものの本家を継げなかったことに不服ですから、本家である松代にただならぬ対抗心と嫉妬心をもっておりまして、なにかと張りあうようになります。

10万石の松代に対して、実質3万石の沼田。

信利は「松代むかつくわー。マジむかつくわー」とばかりに意味のない対抗意識をもち、14万4千石と偽り届け出てお財布事情をごまかし、分不相応な5層の天守を作るなど、見栄を張る子供のような喧嘩を一方的に繰り広げます。
当の松代本家は相手にしてなかったと思われますが。

財政事情を無視したこうした信利の悪政に、藩の資金は底をつき、領民には相当の重税が課せられることになりました。

このため領民からも幕府へ直訴され、治世不良の責務を問われ改易されてしまいます。
沼田城は廃城となり、悪政を敷いた沼田藩そのものも廃藩とされてしまいましたとさ。

ドラマでも沼田に注目かもしれません。関係ないと思うけど。

このように、昌幸が苦労して切り取り、それ以上に苦労して守りぬいた沼田は、真田自身の血(曾孫の信利)によってあっけない終わりを告げました。

昌幸パパ浮かばれないですね。

昌幸が沼田にいかほど執着していたかは、池波正太郎の短編『命の城』でも題材とされています。

『命の城』は以下の様な文からはじまります。

「沼田の城をな、北条へゆずりわたしたときには、ほんにほんに、さすがのわしも泣き暮らしたものじゃよ。おぬしたちには涙も見せなんだが、夜、臥床へ入って独りきりになると、くやしゅうて情けのうて、わしは臆面もなく、ほろほろと泣いたものじゃぞよ」
と、後年になってからだが、真田昌幸は信幸・幸村らの二子へ、一度だけしみじみと洩らしたことがある。

池波正太郎『命の城』の冒頭文

本当に浮かばれないですね…

沼田の城自体は、ドラマの主人公である真田幸村とはそれほど関連のある城でもありません。

ただ、真田一族として見た場合、これほどドラマを感じる城はないのです。
ドラマでも沼田がどれほど出てくるのか分かりませんが、これらの背景を念頭に置いてみる来年の大河はまた一味変わってくるかもしれませんぞ。

そうだ 沼田行こう。 幸村関係ないけど。

というわけで、ひねくれものの皆の衆は、上田や松代はすっ飛ばして沼田に行こう!

一応、群馬県沼田市でも「もうひとつの真田の舞台」として、市をあげてアピールしているようです。

ただ、この沼田という土地自体、先述のように真田によって悪政を敷かれた歴史があるためか、それほど真田に思い入れがあるわけではなさそう(というか暴君的扱いかな)で、アピールのWebサイトの方もイマイチ盛り上がり感に欠ける気がします。(関係者の方いらっしゃったら申し訳ないです。)

沼田市サイト

でもそんな不器用さがいいよね、ということで、沼田に行きましょう。

幸村関係ないけど。

 

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2015年は大河ドラマ「花燃ゆ」で燃えに萌える!

「誰やねん」。こういう声が多く聞こえてくる次回の大河ドラマ。主人公はかの吉田松陰の妹「杉文」。お、おう。
しかしながら、大河ドラマの視聴がライフワークになっている諸兄においては、文句を言いつつもやはり毎回見られることでしょう。ということで恒例の予習とまいりましょう。

大河ドラマ「花燃ゆ」

ぼじぃ市松いきなりだが、2014年の大河が大物・戦国・人気武将だったから、ちょっと心配だよな「ふみ」ちゃん。

めがね治部少輔友達みたいに言うなや。まぁでも八重よりもキツそうやな。本人のイメージが全くない。久坂玄瑞の奥さんは吉田松陰の妹。っていうトリビアレベルだろ。

ぼじぃ市松旦那は結婚後、テロのレベルがどんどん上がっていくっていうね。まさに内助の功やな。

めがね治部少輔おまえ、幕末ファンを完全に敵に回したぞ。とはいえ、存在感薄いな「ふみ」ちゃん。

ぼじぃ市松まぁ封建社会では仕方がないかもしれないが、幕末維新の時代の女傑といわれる人物には入らないよなー。

めがね治部少輔しかし、だからこそいろんな解釈ができる。物語を広げられるっていう「江」式のドラマにするんかな?ちょっと嫌だな。

ぼじぃ市松どうせならいろんな女性と会ってる設定にしてほしいよな。旦那はテロに忙しいので私は女子会やってます。な感じで。

めがね治部少輔おぉそれいいな。でも存在感薄い上にドラマも薄くなるやろ。

ぼじぃ市松というわけで、2015年版幕末萌え女子ランキングいってみよー。

めがね治部少輔ドラマキャスティングですらないのね。

主人公:杉文(井上真央)

杉文

今回の主人公にして、放置プレイの第一人者。

吉田松陰の末妹にして、久坂玄瑞の妻。というだけで、あぁこの人かわいそうだなと想像してしまう女性

前述の通り、文の旦那玄瑞は幕末きっての行動派として知られ(まぁ文のお兄さんはその上をいく行動派なんですが)、ほぼ結婚と同時に京都・江戸に遊学。安政の大獄後、尊皇攘夷の急先鋒として活動する。

対馬をロシア人が占拠した折には、対馬下級藩士をアジテーションしたり、藩内の公武合体派を攻撃しようとするも、京都て謹慎させられたり、朝廷の尊攘派と結託し幕府を攘夷へと促したり、江戸で英国公使館を焼討ちしたり、開国派の象山を長州に招聘しようとノンポリぶりを発揮したりしつつも、一旦、地元に戻り下関で外国船を砲撃し逆襲されたりと大忙しの夫。

まぁこんなことやってれば、朝廷だって長州やばすぎじゃね?ってなります。そんなこんなで、政変によって朝廷から遠ざけられた起死回生の策として、京都で大暴れを試みるも大西郷に鎮められ、関白邸で自刃。いろんな大河で結構年齢のいってる人が演じているため、結構いい年なのかと思ってたら、この時玄瑞25歳。足掛け6年の結婚生活に幕を閉じる。ちなみに玄瑞は京都の現地妻に子供産ませてます。

姉”寿”の夫が天下泰平の世だったらおそらく最も出世していたであろう人物で、名門萩明倫館卒の秀才。松蔭との親交も篤く、藩内でもハト派に位置していた。

行動派の玄瑞の思想に理解を示しつつも、義妹の境遇を案じていたらしく、寿死後文と再婚する。
その後は夫唱婦随、夫とともに明治維新を盛り上げていくのであった・・・。
ってあれ?八重の桜と同じパターンじゃね?

  • 萌え度 0
  • 薄幸度 ☆☆☆☆

でも晩年は幸せっぽいから良し。

楠本イネ

楠本イネ

元祖ハーフ有名人として幕末を席巻!

民放ではドラマ化されてる人物ではあるけど、江以来のマイナー女性を主人公にし周りの男たちを描く手法では描ききれないほど、超大河級の人物。マッサン人気に乗じて、やってみるのも良いのではないか?と思ってみたり。

シーボルト事件で有名なシーボルトを父に持つ。親父が神聖ローマ帝国出身ってのがなんとなくすごい。
当時の女性としては類まれな行動力を持ち、父の経営していた鳴滝塾門下の弟子たちから医学を学ぶ。

その後日本西洋医学の祖といわれるポンペにも師事するなど勉強熱心な上、専門の産科に関しては優れた腕を持っていたそうだ。

さらに伊達宗城、福沢諭吉など開明派と交流を持つなど、本当の意味での幕末の実践派はイネなんじゃないか?と感じてしまう。
またあのおでこの広さに惹かれ恋心を抱いたのかは全く不明だが、村田蔵六こと大村益次郎との淡い恋で知られる。
今回出るとしたら、桂←→蔵六ラインでちょっと出るか。期待薄。

  • 萌え度 ☆☆
  • ウーマンリブ度 ☆☆☆

娘の名前のつけ方が信長的。

和宮

和宮

徳川家存続の立役者
幕末の大奥関連では大抵出てくるので、知らない人はいないと思う。
大抵美人女優がやるので間違いなく美人なんだろう。うん。絶対にそうだ。

江戸大奥との軋轢からどうしても高慢な女性というか、悪役臭が漂う人物。

しかし、禁中法度で情報統制・経済統制されている朝廷に最新情報などが入るはずもなく、ミヤコがすべての朝廷で育った和宮にとって関東下向なんて、現代人が火星人と結婚しろと言われているようなもんなわけです。

しかも武士。ありえないです。そんな野蛮人。

それでもこれでも公武合体のシンボルとして大事にされると思いきや、鹿児島の芋姑にはいびられるし、御所流のしきたりを否定されるし、と散々な目にあっても、同い年の夫”家茂”とは仲が良かったらしく、家茂死後も江戸に残る。

何の因果か戊辰戦争では元婚約者を総大将とする朝廷軍に江戸を攻められるが、自らも奔走し江戸城無血開城へとつながる。
志士系幕末では登場はしないだろうなぁ。

  • 萌え度 ☆☆☆☆☆
  • 江戸の母度 ☆☆☆

当たり前なんだけど明治帝の伯母なんだよな。

高杉雅

高杉雅

こっちが主人公でも良かったんじゃないんですかーー!!

玄瑞と並ぶ尊攘派の巨頭、高杉晋作の正妻。
誰も彼も◯◯一の美女と書かれるので、どうしたもんか?なんですが、彼女は防長一の美女。

彼女の婿探しもくじ引きなので、まぁしょうがないんですが、晋作も初夜後長州藩籍の軍艦で処女航海に出る。
あ、下ネタではありません。

「本を読め」といった手紙とプレゼント(本)を送られたり、武士の妻たるもの和歌くらい詠めるように勉強しとけなどの、愛情溢れるエピソードが多々ある。
晋作本人は愛人おうのに首ったけです。

登場はするともうけど、こっちが主人公の方が絶対ドラマ的には受けると思うんだけどなぁ。正妻と愛人のバトルもあるし。

  • 萌え度 ☆
  • 昼ドラ度 ☆☆☆☆☆

晋作死後はおうのと仲が良かったそうです。

千葉さな

高杉雅

幕末萌えといったらこの人が大本命?
(なおこの画像は千葉さなではなく、千葉周作の孫の千葉貞)

千葉道場の鬼小町。坂本龍馬の許嫁。龍馬の長刀の師匠でもある。(ちなみに、龍馬が免許皆伝なのは長刀だけです)

長刀の達人で伊達宗城の息子宗徳に勝っている。

伊達宗城にも「左那ハ、容色モ、両御殿中、第一ニテ」と宇和島藩江戸屋敷に出入りする者の中でナンバーワン美人と評され、面食いで有名な坂本龍馬にも(当時の)年輩だけどいい女と評されている。
乙女への手紙に書いてるから嘘は書かないはずだ。
ちゃっかり「平井加尾よりも上」とか書いてる。なんだこいつ。

実際萌えキャラだったか?というと最強女子なので違うと思うが、夢は壊したくない。

登場するタイミングがないよなぁ。桂小五郎が主役ならまだ可能性があったんだけど、玄瑞の交友関係がちょっと極端だからなぁ。

  • 萌え度 ☆☆
  • 北辰度 ☆☆☆☆☆

思わせぶりは一人の女性を不幸にするというお話。


めがね治部少輔・・・・、え?もう終わり?
幾松とかエラカヨとかもっといるだろ?
メジャーかつ美人どころが!

ぼじぃ市松え?そこらへん登場すんじゃない?と思ってさ。
あと幾松さんで萌えないでしょ?実際。

めがね治部少輔ま、まぁな。でもだったらせめて愛加那とかさ。

ぼじぃ市松愛加那。確かに萌えだな。リゾラバだしな!
でも西郷どんの話とかであまり愛加那って登場しないよね。あれセコいよな。

めがね治部少輔大ボスすぎて、西郷どんが主人公になることが少ないからな。
あと、おいどんは不器用でごわす。な雰囲気があるのにやることやってんじゃん!と思われたくない誰かの陰謀とか。

ぼじぃ市松陰謀はないだろうけど、西郷どんの恋愛話ってのがいまいちピンとこないってのはあるし、なんか笑えちゃうからな。豚姫だしな。

めがね治部少輔それにしても江以降の本人はあまり有名ではない女性を主人公にして歴史の英雄を数々フィーチャーする方法は、最初の不安感が半端ないよな。

ぼじぃ市松不安感どころか、相対的に再来年の「真田丸」への期待値が高まりまくるよな!

めがね治部少輔それな。八重の時もその次が黒田官兵衛!っていうのがあったから、今年の大河は途中リタイアになりそうだなと思っていたんだけど、実際はゴルゴ八重だったり、前半後半でしっかり物語が分かれていて飽きのこない構成になっていたりで、面白かったけど視聴率はきつかったみたいだし。

ぼじぃ市松できれば本人のエピソードで十分期待できる人物を主人公にしてもらいたい。もしくはマイナーでもいいから違うアプローチでやってもらいたいよな。
最上徳内でインディージョーンズ風に最上徳内~最後の択捉~とか最上徳内~失われた樺太~とか。

めがね治部少輔実に政治的ナイーブなタイトルをつけるなぁ。
まぁ戦か政治が中心の大河の中、そういうのもありかもしれん。
封建社会の中でなぜか割と自由に冒険できた男の話。出世したり罪人になったり忙しい人だけど少なくとも蝦夷地開拓の先鞭をつけた人という意味ではもっとフィーチャーしたいところだ。

ぼじぃ市松とは言え、マイナー女性大河だと今まで忘れられていた場所にスポットを当てることができるので、いいかも。
群馬県令になった文の夫”楫取素彦”って言うと「ふ~ん。群馬かぁ」って感じだけど、戊辰戦争の折、小栗上野介を斬首した。ってなるとやっぱ世情不安定だったから優秀な人が県令として赴いたんかな?とか思うもんな。

めがね治部少輔そういう見方であれば楽しめるかも。
ということで、官兵衛後の反動が怖い2015年大河ドラマ「花燃ゆ」を見て幕末萌えしよう!

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僕とラーメンと水戸のご老公

どうも。株式会社まぼろしの松田です。
この記事は「ラーメン Advent Calendar 2013」19日めの記事です。

高田馬場「べんてん」

高田馬場 べんてん

高田馬場にある「べんてん」に行ってまいりました。実に2年以上ぶり。気取らないたたずまいは健在でした。

オーダーしたのはベーシックな「ラーメン(750円)」。いわゆる大勝軒系のラーメンで、本家を超えた逸品だと思います。

ラーメン 750円

大きめのチャーシューにたっぷりのメンマ。おいしかったです。トッピングで追加できる自家製メンマはすぐに品切れになるくらい美味しいのでオススメです。

日本ではじめてラーメンを食べたのが水戸黄門

いきなりですが、ラーメンネタということで。
この逸話というか記録に残っている範囲では事実なんですが、割と有名なんで皆さんご存知かと思います。

このことは、皆如院日乗上人の「日乗上人日記」に記されておりますし、横浜のラーメン博物館にはこの水戸黄門が食したであろう日本初のラーメンのレプリカが展示されていたりしますね。行ったことないけど。
なので、当記事のこの後は「ラーメンと水戸黄門」について好き勝手に書くこととします。
この後を読み続けるのは苦行になりかねませんので覚悟してください。

水戸黄門こと徳川光圀公

水戸のご老公

若い頃の辻斬りは楽しゅうてな!カッカッカッ!

かの国民的時代劇により、だれでもその名を知っている水戸黄門こと徳川光圀公ですが、どういった人物かご存知でしょうか。まずは予習しましょうか。

徳川光圀は徳川御三家のひとつ水戸藩の第2代藩主。江戸幕府の始祖・徳川家康の孫にあたります。

時代劇で有名な「天下の副将軍」という役職は実際にはなく、水戸藩主は将軍を代理する義務があり江戸に常駐していたため、そうあだ名されたものです。

なお「黄門」というのは本来「黄門侍郎」といい、日本の官職「少納言」の唐名です。水戸の光圀さんの官職が少納言だったから「水戸黄門」ですね。参議だった蒲生氏郷を「会津宰相」と呼ぶのと同じです。

ちなみに、水戸藩は御三家の中では最も家格が低く、尾張・紀州家は将軍後継権を持っているのに対して水戸徳川家は正式には持っていません。(水戸徳川である15代将軍の慶喜は御三卿の一橋家へ養子に出てからの将軍就任)その代わり、水戸藩は参勤交代を免除されていたりしました。

まぁ水戸藩の話はどうでもいいです。
黄門様の話に戻りましょう。

黄門様の意外な人物像

時代劇の黄門様はそれはもう好々爺でしたが、実物は真逆。

それはもうパンクです。基地外です。まぁまだ戦国の気風が色濃い時代なのでさもありなん、かもしれませんが。
以下にガイキチな逸話を列挙します。

辻斬り大好き
若い頃は札付きの不良ってな感じだったらしく、刀の試し切りのため辻斬を繰り返していたそうです。防衛ではなく快楽殺人
説によると50人以上斬り殺しているとか。しかも屈強な武者を多数引き連れての行為です。悪代官よりも悪ですね。
遊郭大好き
上記と同じ頃、吉原の遊郭に通いつめていたそうな。女性モノの着物を羽織り、いわゆる傾奇者の格好をして派手に遊んでおり、藩主になってからも女癖は収まらず、吉原だけでなく浅草、千住、湯島の遊郭にもこっそり通っていたとか。
そのせいか、まだ衆道(男色)の文化が色濃かったこの時代に「女色は、衆道と違い男女双方が気持ちいい。政治もそうあるべき」とかそれっぽいことを言ってたりする。それっぽいことを。
生類憐れみの令ガン無視
当時の将軍・徳川綱吉の発布した「生類憐れみの令」。お犬様を大事に!なアレです。黄門様はアホくさいとばかりにこれを無視。
無視するだけならまだしも、将軍・綱吉に対して「オレ、お犬様殺しちゃったわー」と犬の毛皮をあてつけに献上したという噂まで。性格超悪いですね。
やっぱ血の気が多い
4代将軍・徳川家綱が11歳で将軍職を継ぐとき、諸大名に向かって「お前ら。(将軍が幼少のため)天下を狙うものは機会だぞ。まぁこの光圀がフルボッコしてやるから、かかってこいや!」と啖呵を切ってます。
が、彦根の井伊直孝に「家康公より先陣の誉れをいただいているのはこの井伊家です。水戸家ではござりませんな」と言いくるめられて、ぐぬぬ、となったそうです。
これにより水戸と彦根の仲は超絶悪くなり、幕末に至って桜田門外の変の遠因となります。ウソですが。

学問にハマる

とまぁこんな悪行三昧な光圀くんですが、歴史書『史記』に出会って感動。
学問好きへと一変します。

「オレも日本の歴史をまとめたい」と、かの有名な『大日本史』の編纂を開始。以後、編纂事業は水戸藩の一大事業となり、財政を傾けるほどお金をつぎ込んでいきます。

純粋なきっかけは「戦国の世に生まれて武功を立てたかったけど、そんな時代じゃないし、書物でも書いて有名になりてぇ」だったそうですが。

ちなみに、光圀自身は全国漫遊はしておらず(江戸・水戸・日光・鎌倉だけ行ったことがある)、助さんのモデルとなった家臣の佐々(介三郎)宗淳を全国に派遣して資料収集をさせていました。

黄門様にラーメンを食わせた、明の儒学者・朱舜水

そんなこんなでいきなり学問に目覚めた黄門様。様々な学者を集めて囲う、招聘マニアになります。

中国では明朝が事実上滅亡し、清朝が勃興しておりました。明朝の皇族や遺臣は亡命王朝である南明朝を作り復興運動を起こします。

南明には鄭成功という重臣がおりまして、この鄭成功が中国人と日本人のハーフ、しかも日本の平戸で生まれ、7歳まで住んでいた縁もあって、日本に救援要請を求めます。この時に日本に外交官として派遣されたのが件の「朱舜水」。

ところでこの鄭成功、台湾や日本では英雄として人気があり、歌舞伎の「国姓爺合戦」の主人公となっていたりします。司馬遼太郎の『大盗禅師』でも重要人物となっています。

結局、明の復興運動は失敗に終わり、朱舜水は日本に亡命
ここで見を光らせたのが学者招聘マニアとなった光圀公。高名な学者であった朱舜水を招聘し江戸に定住させます。

朱舜水

朱舜水「時代劇の水戸黄門に、ワシ出てきたっけ?」

ここで朱舜水が中華麺を調理し、光圀公に献上したのが日本におけるラーメン史の始まりとされています。

ようやく日本初のラーメンにたどり着きました。
前置き長かったね。すまん。

当時のラーメンは今と同じくスープに鶏や豚の出汁を使ったそうですが、五辛という薬味が必須で、これにより味は薬膳料理に近かったとのことです。

光圀公自身、朱舜水からラーメンの調理方法を学び家臣などにも振る舞ったとのことですので、相当気に入ったのでしょう。
ただ当時は生類憐れみの令の発布真っ最中なので、鶏や豚の出汁を家臣どもは超嫌がったに違いないですが。

水戸市では、この当時のラーメンを再現したものを提供するお店もあり、またネット販売もされていますのでご興味のある方は是非。

ちなみに光圀公、元々うどんを打つことが趣味だったりと料理が好きだったようで、日本で初めてチーズを自作したりもしています。(牧場を作ってまでして)

ラーメンが取りなした歴史の妙

とまぁ、朱舜水、時の副将軍である徳川光圀公の胃袋をまんまと掴んだわけでして、その後の光圀と舜水はそれはもう蜜月でございます。(ラーメン以外にも餃子や牛乳酒も食べさせたらしい)
実はこの出会いが、後の日本の歴史に多大な影響を与えているんです。

南朝的「忠義」感の定着
おれ大楠公。足利にはよくウンコ投げつけてやったものよ。

おれ大楠公。足利にはよくウンコ投げつけてやったものよ。

この朱舜水、日本に来てから「太平記」の歴史に出会い、南朝方の楠木正成の忠義に感銘を受けています。おそらく先述の鄭成功を彷彿したのでしょう。実際、直臣でもない身上ながら皇に忠義を尽くすところ、なんとなく生き方が似ています。あと同じ“南朝”だし。
光圀は朱舜水に学んでおり、この南朝を正当とする忠義感に多大に影響されています。これの忠義感・正当性の考え方が後の水戸学にも影響し、さらに幕末に拡大して全国で定着するようになります。
ちなみに、この南朝正統論は未だに議論になったりします。(現皇室は南朝の血統ではない、とか)

「大日本史」と水戸学のコンセプト
北畠親房

北畠親房「むしろ、オレが朱舜水の師匠だろうが」

上記の影響もあり、大日本史では南朝正統論を唱えているのがひとつの特徴となりました。日本古来の大義名分を明確にするコンセプトとなっており、つまり、南朝正統論、ひいては天皇を唯一無二のトップとする尊皇論をもって全体が書かれています。
朱舜水の忠義感、および北畠親房の「神皇正統記」の影響がベースとなっているわけですね。
このコンセプトがいわゆる「水戸学」へと昇華します。
「大日本史」は歴史書というよりも水戸学における思想書、と言えるわけでございます。ただ幕府の全盛期ですし光圀公自身も徳川の血統ですので、別に「幕府ダメ。倒幕だ!」という考えはもちろん含まれていません。あくまで「日本古来のあり方」がテーマになっているだけで、これを幕末の水戸学と区別しまして前記水戸学といったりします。

忠臣蔵の赤穂浪士が受けた影響
忠臣蔵

ちょっとジジィいじめてくるわ

同じ頃に、山鹿素行という軍学者がおりまして、忠臣蔵の大石内蔵助の師匠さんに当たるお方でございます。山鹿流軍学で有名なお方ですね。
この素行さん、学者マニアの光圀公と深く親交しており、朱舜水と同じく一時的に大日本史の編纂にも関わったこともあったとか。ということで朱舜水の思想・忠義感に影響を受けておるわけです。
著書『聖教要録』において幕府の正学である朱子学を批判した罪で赤穂へ流謫となり、ここで藩家老の大石内蔵助をはじめ、赤穂藩士の教育を行うこととなります。
この赤穂時代に、皇統の一貫をテーマとした『中朝事実』という歴史書を著しており、思想的にも朱舜水および水戸学の影響を色濃く受けていることが伺えます。
この忠義感を教えこまれた赤穂四十七士が、義士とはこうあるべきだぜ! と「元禄赤穂事件」「忠臣蔵」を引き起こすことになります。
朱舜水の思想が起爆剤になった歴史の一コマですね。

幕末における水戸学の影響
光圀公と朱舜水が起こしたとも言える水戸学のベースは先述のとおり「尊王論」。
(ちなみに、天皇は「王」であって、将軍は「覇」となります)
水戸9代藩主である徳川斉昭が、水戸学者である藤田幽谷・会沢正志斎・藤田東湖らを重用したことで一気に全国に広まります。これがいわゆる後期水戸学。
外夷襲来という未曾有の国難に突入したこの時代、「大事なのは藩でも幕府でもない。日本そのものだよねー」とこの日本古来の大義名分を重んじる思想が幕末の志士たちに大受け。尊王攘夷思想の聖書になりました。
吉田松陰と朱舜水
吉田松陰

どうも童貞です。

神戸の湊川神社には「大楠公ご墓所」として、先述の楠木正成の墓碑があるのですが、碑石の裏面には朱舜水の書いた大楠公を称える賛文が刻まれています。(参考 : 神社の由緒|湊川神社(楠公さん)-神戸市中央区
大楠公のファンだった吉田松陰はこの墓所にもちろん参拝しており、以下のように日記も残しています。

私は、かつて東方へ遊行し、三度も湊川を通ったが、そのさい、楠公の墓に参拝し、涙が落ちるのをとめることができなかった。その碑の背面に、明の朱舜水が書いた文を読んで、また涙した。
(『日本の名著・吉田松陰』中央公論社)

というわけで、松蔭はじめ、彼に影響された高杉晋作、桂小五郎、西郷隆盛などの志士たちもまた、朱舜水の思想に感化されたと言っても過言ではないわけです。

朱舜水と陽明学
幕末における後期水戸学のことを理解しようとするのであれば、儒教における思想体系である「陽明学」、同じく「朱子学」を知る必要があります。陽明学は何よりも実践を是とする学問ですので、行動派の人物に好まれました。格さんのモデルとなった安積澹泊、大塩平八郎、山田方谷、佐久間象山、河井継之助、吉田松陰などビッグネームがこの学派ですので、まぁその程度は計り知るべしですね。陽明学については長くなるのでまたの機会に。

ラーメンと朱舜水は日本の歴史を変えた

そんなこんなで、ラーメンを水戸黄門に食わせたおっさんこと、朱舜水の偉大さがお分かりいただけたでしょうか。

特に幕末の討幕運動・明治維新においては、この朱舜水が水戸黄門にラーメンを食わせた瞬間に起源をすら感じます。

今や国民食の地位さえ得たラーメンを日本にもたらし、忠義における思想感を定着させたという朱舜水の功績。

僕はラーメンを食べるたびに、これらの日本が経てきた歴史、明の復興に掛けた朱舜水のことを思い、心打ち震えるのです。そんなことはありませんが。
つまり、江戸中期以降の我らが神国日本の歴史はこの薬膳臭いラーメンとの出会いに始まったと言えなくもない、いや言えないと言えるでしょう。

まとめ

水戸黄門が懲らしめた悪代官の数は、幕府が任命した全代官の数の 5.7倍。 つまり、一人当たり5回以上懲らしめられてる計算。

だってさ。さすがのジェノサイダー黄門様。

あ、高田馬場の「べんてん」、おすすめです。

ラーメンのアップ 以上、「ラーメン Advent Calendar 2013」19日めの記事でした。おわり。

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2014年大河ドラマ「軍師 官兵衛」を徹底大解剖

戦国時代を舞台にしたドラマとしては「江」以来3年ぶり、武将としては「天地人」の直江兼続以来5年ぶり、大名となると「功名が辻」の山内一豊以来8年ぶりとなる超大物”黒田官兵衛”。認知も人気も高いだけに賛否両論の評価になりそうな予感ですが、期待値高いですよね。初回から湧き出る権謀術数。期待してます。
定説を覆すかっこよさの官兵衛を先取りしたい人は公式サイトをチェックせよ

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ぼじぃ市松来年の大河は、いよいよ軍師官兵衛だな。2010年代に入ってから、龍馬伝→江→平清盛→八重の桜ときたわけだが、龍馬は超メジャーだからおいといて、3作連続でマイナーキャラが続いたから、楽しみだな。

めがね治部少輔(清盛がマイナー?)お、おう。けど黒田官兵衛が軍師って言われるとちょっと違和感があるんだよな。学術的な「戦国時代の軍師」の定義は別として。なんつーかさ、軍師っていうとどうしても孔明の印象が強すぎて、君主(あるいば武将)との特別な繋がり、水魚の交わりってのがあるような気がしてしまうんだよな。あくまで勝手な印象なんだけど。そういう意味で黒田官兵衛は組織化された織田軍団・羽柴軍団における作戦参謀といったイメージが強い。

ぼじぃ市松あーなんか分かる。同じ秀吉絡みでも竹中半兵衛は軍師っぽいけど、黒田官兵衛は参謀ってことでしょ?

めがね治部少輔そう。ザ・軍師っていうと”太原雪斎”とか”山本勘助”とかそういう人をイメージしちゃうんだよね。

ぼじぃ市松まぁ黒田官兵衛だって、「ご運が開けましたな」なんて言っちゃうくらいだから、秀吉個人に対して惚れ込んでいたんじゃない?って事なら軍師っぽいんじゃない。

めがね治部少輔いや、才気走った返答は軍師っていうより参謀だな。軍師ならもっと良い言い回しを選んだはずだ。とはいえ、当時は参謀なんて言葉が無いんだから軍師でいいんだけど。で、どうする?戦国時代の軍師達でもやるか?

ぼじぃ市松いや、それ長過ぎるから別の記事にしよう。軍師官兵衛の足跡を関係した武将たちと絡めて紹介!にしよう。一応こんな感じでドラマになるかな予測。

めがね治部少輔あくまで雑談録的になんで、ご不快になる方もいらっしゃるかと思いますが、何卒ご容赦を!

主人公:黒田官兵衛(岡田准一)

黒田官兵衛

監禁とか蟄居はなれたもんですよ(本人談)

小寺家の家老を務める職隆(柴田恭平)の子として生まれる。祖父重隆(竜雷太)と父はともに放浪生活を送った苦労人だが、主人公は何不自由ない身分で生まれた為、若かりし頃は明晰な頭脳を披露し大人たちの顰蹙をかうも、まぁ指摘されないよね、家老の子供だもん。母(戸田菜穂)を幼い頃に亡くしたため、引き篭もりの時期を経験。
少年期の賢しらぶる行為が大人になってもぬけず仇になるが、引き篭もりも体得していたため難を逃れる事もしばしば。
後世の我々が見ると全ての行動に納得がいくのだが、コミュニケーションが苦手(というか人に誤解を与えるタイプ)と見えて、割と誠実に行動しており、義理堅いのに信用されない悲しい人でもある。

小寺政職(片岡鶴太郎)

片岡鶴太郎といえば北条高時のイメージが強いので、あーやっぱり優秀な人材を抜擢できるほどの人を見る目と決断力のあるタイプじゃなくて、先見の明がなくて滅亡させちゃった人側になるのかなぁと心配。でも黒田家を世に引き出させたのは紛れもなくこの人。人を見る目はあるんですよね。時勢が見られなかっただけで。

荒木村重(田中哲司)

唐草文染付茶碗 銘 荒木

にじみ出る気品と口当たりの良さそうな風合いが荒木でしょ?

刀にさした饅頭を食うことで信長の篤い信任を得て摂津一国を任されたにも関わらず、裏切る男”道糞”。元々調略にのせられやすい性格だったのは内緒です。銘器・荒木高麗を所持し茶人としても高名だったりしてですね、つまりポスト久秀を目指してたんだが、火薬が足りなかったか?茶釜が足りなかったか?のどちらかだ。
裏切りの際、説得に訪れた官兵衛を敵に回すのは恐ろしいので「殺してしまえ」と進言する家臣たちを尻目に、殺すには忍びない、と土牢に監禁した心優しい人でもある。戦国的には心優しいエピソードなのかもしれないが、普通死にます。非道値でいえば、斬首よりも高いです。じわじわ攻めるタイプですか。

清水宗治(キャスト不明)

清水宗治

武士の誉れはワシが作った

有岡城の幽閉から解放された官兵衛はダークサイドに陥ってたようで、鳥取城では渇え殺しを献策し、そして清水宗治が守るここ備中高松城ではうまく水攻めしきれない秀吉に「土嚢つんだ船沈めれば堤防っぽくなるよ」と献策。備中高松城を見事浸水させる。当初は長期戦に持ち込む予定だったが、本能寺の変勃発し、急遽宗治の切腹を条件に毛利家と和睦。ちなみにこの清水宗治の切腹が見事であり、切腹は武士の誉れとされるようになったそうだ。名を高松の苔どころか武士道に残しましたな!ちなみにこの頃中国地方で破れた人たち(清水宗治の他に吉川経家や山中鹿之介)は、なぜかみんな英雄色が強く、勝った方や生き残った方はなんとなく腹黒いイメージがついているような気がする。まぁ勝った方、生き残った方が官兵衛を筆頭に宇喜多直家・小早川隆景・安国寺恵瓊とかだからしょうがない。

小早川隆景(鶴見辰吾)

小早川隆景

月岡芳年画「タカカゲを探せ!」

後の官兵衛の親友。「官兵衛殿の頭の回転の速さには負けるけど、先走ってあとで後悔しちゃったりするでしょ。あたってるでしょ?」と評したそうだ。が、頭の回転の速さで劣る隆景は本能寺の変ではしっかりだまされる。(だまされたふりかもしれんが)だまされたと言えど和睦は和睦、後ろから攻め込むようなまねはやめようぜ、と義理堅さを見せる。毛利両川の下の方なので年若い人物と勘違いされがちだが、官兵衛とは一回りほど違う。信長の1歳上。脂の乗り切った官兵衛と老境の境にいる隆景とでは力の差は歴然だったのかもしれない。

豊臣秀吉(竹中直人)

豊臣秀吉

心・配・御・無用!! 再び。
本能寺の変の悲報を目の当たりにし、呆然とする秀吉に「殿、運が開けましたな」といったのはもちろん黒田ダークサイド官兵衛。あまり取り沙汰されないが、中国大返しは地元の黒田官兵衛がいてこそ出来た荒技なはず。その後の清洲会議では「三法師がおるやんけ」と助言。宿老達に根回しし、柴田勝家を出し抜くよう画策する。おそらく大河ドラマでは「清洲会議 produced by クロカン」となるに違いない。こういったダークサイドな官兵衛を目の当たりにしたからか、秀吉自身もなかなか知恵者の為か、自分よりも知恵達者な官兵衛の事を重宝するも信用できなかったようだ。その為、軍功に比べて極端に少ない領地しか与えなかったそうだ。とはいえ徳川家康の参謀と言える本多正信も大領をもらっている訳ではないので、本当に頭が優秀な人ってのは自分の活躍の場が与えられれば良いだけで、あんまり俸禄とかそういったものを気にしないのかもしれない。現代で言う、「自己実現や満足を得られる仕事であれば給料は二の次」タイプなのかも。

長宗我部元親(キャスト不明)

長宗我部元親

隻眼だったとは聞いてないが、今では歴女に大人気

一両具足を率いる四国最強の大名。だが、秀長・官兵衛のやられ役でもある。小牧長久手の戦いで信雄・家康連合に組した事が仇となり、秀吉から四国攻めを受けることとなる。一世一代の空城の計は看破され、重装備した植田城で足止めする作戦は無視され、進退窮まった元親は降伏したのである。そもそも無理ゲーなんすよ。3倍近い兵力差で3方向から攻め込まれて防戦したとしても持久戦に持ち込まれたら絶対勝てないし。だから一矢報いてやろうと思ったのに… 官兵衛空気読め。

北条氏政・氏直(キャスト不明)

北条氏政

外交官としても実績のある官兵衛。信長には息子を殺されそうになり道糞には幽閉されようとも、豊臣家の交渉事と言えば官兵衛におまかせあれ。と小田原城の開城交渉に見事成功する。秀吉の天下統一事業のフィナーレを飾るのもやっぱり官兵衛。

加藤清正(キャスト不明)

加藤清正

清正を想像するともはやこれになっちゃいます

賤ヶ岳七本槍のひとりで息子と仲が良い。当然三成とは仲が悪い。息子との方が接点が強いようにも見えるが、二人とも朝鮮出兵にて三成の讒言により蟄居させられている。慶長大地震では二人とも伏見城に駆けつけるが、清正は地震加藤となったが、官兵衛は逆に嫌みを言われてしまう始末。子飼いとそうではないの違いはあるけど、そりゃちょっとないんじゃない、と官兵衛に同情してしまう。その後、九州関ヶ原でも連携を図り、九州を席巻してたりする仲である。まぁ清正は個人的恨みを晴らしている部分もあるので、何とも言えないけど。

立花宗茂(キャスト不明)

立花宗茂

今じゃ嫁のが有名ってどういうことよ?

九州関ヶ原のクライマックスは鎮西一の剛勇でしられる宗茂。このときは官兵衛・鍋島直茂・加藤清正の連合軍であったが、やはり官兵衛といえば外交術。最後は直接交渉により柳川城を開城させる事に成功する。その後、宗茂を加えた連合軍で島津討伐に向かうが途中で和議成立により、解散。まぁ最後の島津討伐はデモンストレーションみたいなもんだから。省略されるだろうなぁ。


〜軍師官兵衛を支える黒田家の人たち〜

黒田長政(松坂桃李)

黒田長政

家臣にネタにされまくるのでこんな顔になっちゃいました

お前の左手は何をしていた?で有名な官兵衛の嫡男。幼少期、親父が幽閉されている時には危うく命を奪われそうになるが、竹中半兵衛の策により事なきを得たエピソードの張本人。脳筋ぽいイメージだが、親に似たのか交渉術にも長け、優秀で素直な人。また部下の意見をよく聞いていたそうだ、がまんしながら。けど、又兵衛だけは許さん。絶対に許さん。忠興も許さん。三成なんてもってのほかだ。お前らみんな死ね。

母里太兵衛(速水もこみち)

母里太兵衛

酒はのめのめのむならば〜

酒飲み。酒飲んでるか喧嘩してるかどっちかしか逸話が無い。官兵衛の息子・長政との口喧嘩は毎度のことだが、戦国時代とはいえあんた言い過ぎだろレベルで口が悪い。しかも言うこと聞かない。想像に反してなかなかのイケメンだったらしい。NHKはイケメン説を採用しもこみち君をキャスティングしたようだ。黒田家一の武辺者で、もちろん勲功もナンバーワン。『栗山善助(濱田岳)とは義兄弟の契りを結び、勇猛果敢な忠臣として常に先陣を切っていく。』とNHKのキャスト紹介では書いてあるが、頼んだ仕事の報告が無いので善助が探しにいったら、酒を飲んで仕事やってなかった。とかそんな逸話があるくらいなので、ほとんど言うこと聞いてないと思う。

後藤又兵衛(塚本高史)

後藤又兵衛

長政、うざいわぁ。あいつ、うざいわぁ。

真田幸村と双璧をなした大坂の陣での華々しい活躍によって、黒田家臣団の中では最も有名で人気者になった。黒田家の家臣としてずっといたのかと思ってましたが、一族が元別所家家臣だったらしく有岡城の下りでは一族が小寺家とともに別所側に組した(と誤解された?)ことで一度放逐され、再士官している。九州征伐や朝鮮出兵で大活躍し、関ヶ原でも活躍した。官兵衛の息子・長政をdisるのが趣味。

黒田一成

黒田一成

黒田家は水牛好き

有岡城幽閉時に、荒木家の家臣だった父・重徳が何かと便宜をはかり世話をした事に恩を感じた官兵衛が荒木家滅亡後、養子に迎え入れた人物。四国攻めや九州征伐で活躍し、母里太兵衛・後藤又兵衛と並び先陣を任される。兜がでかすぎて狙撃の対象になっちゃうお茶目な面も見せるが、個性豊かな黒田家臣団にあって、誠に律義者だったらしい。言う事を全く聞かない母里太兵衛や全然聞かない後藤又兵衛と違い、長政が当主になると軽んじられる事がないように尽くしたそうだ。とまぁ、どうも家臣団にネタ扱いされてしまう長政。戦国の張良と歌われる官兵衛と比較されたらそりゃ物足りないかもしれないが、長政だって相当優秀なんだけど。しかし官兵衛が天下人や諸大名との逸話が多いのに比べて、長政は家臣団とのネタ話が多い。と思ったが、諸大名とのネタ話も結構多い。長政は内外問わずいじられキャラだったみたいだ。


ぼじぃ市松まぁこんなもんか。後半は長政とゆかいな仲間たちになってしまったな。しかし黒田官兵衛、関わる人物かなり多いな。さすがは岡田君。

めがね治部少輔岡田君関係ないだろ。でも従来の超絶野心家説でいくか、事績だけを見るとむしろ戦以外では誠実な人だから、そっち路線でいくか見物だな。

ぼじぃ市松有岡城の幽閉から清洲会議までのダークサイドに堕ちた官兵衛の時のインパクトがありすぎて、謀略家なイメージがあるけど、基本的には自分が味方する人(や上司)の成功の為に最大限がんばる人だからな。超いい奴なんだよな。

めがね治部少輔そう。めちゃくちゃ頭切れるのに、いい奴部分のせいで間抜けに見えるという。有岡城は代表例だけど、主家の小寺は織田方から離れちゃうし、信長には信用されないし、秀吉にも信用されないし。本来なら政権の中枢にいてもおかしくない人物なのに、なんかずれているという。

ぼじぃ市松でも当人は別に気にしてなさそうだけよな。活躍する場があればフルスロットルでがんばるけど、本来引き篭もりなもんで、百姓の子供たちと遊んでる方が楽しいです。といった人だったんじゃないか。

めがね治部少輔つまり明日から本気出すで本気出したら本当にすげえ人ってことだな。来年の大河ドラマ”軍師官兵衛”はまだ本気出していない人必見の大河っつーことだな。俺にぴったりじゃないか!

ぼじぃ市松本気出してないってことじゃなくて、むしろやる時できるように周到かつ綿密な私生活を送っているが正解なんだけどな。じゃなきゃ秀吉が恐れないだろ。

めがね治部少輔如水は一日にしてならずってことだな。ともかく戦国時代の九州はいろんな政治的な理由で魅力的な武将がたくさんいるのに、あまりフィーチャーされないから、よかったかもしれんな。

ぼじぃ市松島津義弘しかり立花宗茂しかり鍋島直茂しかり全員大河クラスの英雄だが日の目を見なかったもんな。個人的には立花宗茂・鍋島直茂あたりはものすごく見てみたい。キャストも気になるところだ。清正公も期待大だな。

めがね治部少輔うむ。スタート前から熱くなる”軍師官兵衛”ここ数年の中で期待値最大です。

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Fireworks で戦国武将の家紋を作って SVG な Web Font に変換してみる

どうも、松田直樹@まぼろし でございます。
当方、実はWeb制作が本業でして、このような記事を書くハメになってしまいました。(いや、喜んで書いてますよ)

Fireworks」ってのは Photoshop のようなグラフィックツールでございまして。
Web制作に特化した機能が豊富だったりで Webな方々には多く使われていたりするのですが、僕も右に倣えで頻繁に使用しているわけです。この Fireworks に関する記事を書くにあたり、この歴史雑談録に何とか絡めようと表題のようなテーマに及んだ次第にござりまする。

ということで、この記事は「Fireworks Lover Advent Calendar 2012」の20日目の記事となります。(長いです。すんません)
今現在、Web制作界隈においては「脱ビットマップ」「SVG元年」といったキーワードが脚光を浴びておるわけですから、なんと時勢を読んだテーマなんでしょう。
ただ Advent Calendar 的な空気は読めてません。

では、早速参りましょうか。

Fireworksで、家紋・旗印をひたすら描き描き

ただ有名ドコの家紋をそのまま書いてもテーマがないなぁ、と思ったので、関ヶ原参戦武将の家紋または旗印を描いていきます。「関ヶ原合戦図屏風」なんかはみなさん5万回以上は見ておられると思いますが、この屏風図にいる方々だけでは寂しいので局地戦での参戦武将も入れましょう。

とにかく、描きます。トレースします。

簡単な家紋たち

簡単な家紋はうれしいですね。
加藤(清正)さんち、真田さんちあたりは最高です。トレースが楽なだけで好きになってしまいますね。
そのうち、熊本と上田と松代にお礼に参ります。

ひたすら、描きます。トレースします。

複雑な家紋たち

むむむ。
立花さんとか、黒田さん、その他のみなさん、やめてください。拷問です。

みなさん、Fireworks でのパスの操作はもう慣れてらっしゃると思いますので特段説明しませんが、僕は「近似色の選択」からの「選択をパスに変換」したりでやってました。が、やはり精度がイマイチ。トレースは Illustrator に限りますね。
軽く涅槃を見そうだったので何点かのトレースは Illustrator でやってしまいました。すいません。根負けして Wikipedia から拾ってきたりもしてしまいました。すいません。

それぞれの家紋をページに分けて作成ということで、西軍東軍それぞれ24武将分用意しました。武田二十四将にちなみました。TKD24。

ちなみに、それぞれ家紋を別のページに分けました
ひとつのカンバスに並べて描いても別にいいのですが、FireworksでSVGを用意する際にはページに分けたほうがいいんです。後で説明しますが。

てことで用意できました。
正直つらかった。


Fireworks で作った複数の家紋・旗印を一括で SVG ファイルにする

さて、それぞれの家紋を SVG に変換していきましょう。

なお SVG から Web Font を作るには、それぞれの家紋を個別の SVG ファイルに分けて保存する必要があります。
1家紋=1SVGファイル、ってことです。

Fireworks はデフォルトでは SVG ファイルを書き出せる機能はないので、以下の「Export」という拡張機能をインストールしましょう。

Aaron Beall – Fireworks Guru – Export

Aaron Beall - Fireworks Guru - Export

「Export.mxp」をダウンロードして、ダブルクリックでインストール完了です。
Fireworksを再起動すれば、パスデータをSVGファイルにエクスポートすることができるようになります。

「コマンド」の中に「Export」→「Export SVG」というメニューが追加されていますね。

「コマンド」の中に「Export」→「Export SVG」というメニューが追加

さぁ、先程作った家紋の png データを開いて SVG にエクスポートしていきましょう。

ページごとに、個別の SVG ファイルに分けてエクスポートできる

なんとこの拡張機能、Fireworks のページ機能で分けられたページごとに、個別の SVG ファイルとしてエクスポートできるんです。だから、家紋をそれぞれページに分けて作っていたんですね。

複数のページがある場合に「Export SVG」を実行すると、以下の様なダイアログがでます。

全部のページ、エクスポートいたすか? いいえを押すと今のページだけエクスポートいたす

「全てのページをエクスポートいたすか? 今のページだけエクスポートしたくば、いいえを押されたし」って書いてあります。
なので「はい」を押して全部のページを一括で書き出していただきましょう。

一気にSVGファイルで保存されました。

はい、どーん。
一気に複数のSVGファイルで保存されました。

なお、各ページにつけた名前が SVGファイルの名前になりますので、面倒ですが各ページに名前をちゃんと指定しておきましょう。
(後々、Web Font で使う CSS の class 名にもなりますからね)

Web Font を作る環境を整える

実はですね、同じようなテーマの記事を知り合いの「こうめ(@Bamboo_C)」くんが随分前に書いていたりするんです。

アイコンをFireworksでSVG出力してWebフォントに対応させる方法 | Webamb | ウェブアンブ

このままでは、これはパクりだ!と思われてもなんの言い訳もできないので、ちょっとやり方を変えてみます。

こうめくんの記事では SVG を Web Font に変換するのに「IcoMoon」というWebサービスを使っているんですが、僕の方ではFont Custom」というコマンドツールを使いましょう。若干マニアックですが。

Font Custom

Font Custom

「Font Custom」はコマンドラインツールですので、いわゆる「黒い画面」、ターミナルで実行させるツールです。
Mac OSX または Linux で動作します。(Windowsな方はすいません。IcoMoonをお使いください。)

では、Font Custom をインストールしておきましょうか。結構簡単なOSX環境で動作するまでを説明しますね。

前準備で Homebrew 入れとけ

まずは、OSXに「Homebrew」をインストールしておいてください。
Homebrew のインストール方法は基本的には以下の1行実行すれば終わります。(事前にXcodeなど入っていれば)
詳しくはGoogleさんで検索すればすぐにできます。簡単ですから恐れずに。

$ ruby -e "$(curl -fsSkL raw.github.com/mxcl/homebrew/go)"

Font Custom のインストール

Homebrew が入っていれば、Font Custom のインストールも超簡単です。以下のコードを実行するだけ。(1行ずつね)

$ brew install fontforge eot-utils ttfautohint
$ sudo gem install fontcustom

sudo することでパスワードが聞かれますので、OSにログインするときのパスワードを入力してください。
sudoしないと、以下のように「お主、書き込みの permission 持っておらぬな」って怒られる場合があるので。

sudo gem install fontcustom

あとは数秒待ってれば終わります。
さぁ、環境が整いました。

用意したSVGファイルたちを Web Font に変換

「Font Custom」は、指定したフォルダの中に入っているSVGファイル全部を Web Font ファイルとしてパッケージします。
一度だけ実行してFontファイルを生成することもできますし、そのフォルダ内を監視しておいて、SVG ファイルが変更や追加された場合に自動で Font ファイルを更新することもできます。

一度だけFontファイルを生成するには、以下のコマンド。

$ fontcustom compile /path/to/svg_files

「/path/to/svg_files」の部分は、先ほど Fireworks から一気に書き出したSVGファイルが置いてあるフォルダのパスを指定します。

まぁ一回やってみましょう。

このようにコマンドを実行すると、

fontcustom compile /path/to/svg_files

こうなりました!

フォントファイルが生成された

「.woff」「.ttf」「.eot」「.svg」の4つのファイルが作られて、他にWeb Font を使うためのCSSファイルも生成されています。
(Fontファイル名がなかなかややこしいですけど、更新された場合のキャッシュ対策だそうです。)

生成されたフォントファイルとCSS

これだけ。たったこれだけ。
GitHub の方では、「第2引数にアウトプットのパスを指定できる」とありますが、僕の環境ではうまく動作せず…)

生成した Web Font を使ってみよう

生成されたCSSを見てみると、以下の様なコード部分があります。

.icon-ankokuji:before { content: "\f100"; }
.icon-chosokabe:before { content: "\f102"; }
.icon-inaba:before { content: "\f10b"; }
.icon-ishida:before { content: "\f10c"; }
.icon-katagiri:before { content: "\f10d"; }
.icon-kikkawa:before { content: "\f110"; }

なので、

<i class="icon-ishida"></i>

とHTMLを書くことで、石田三成の旗印が Web Font として表示されることとなります。

この class名の「ishida」の部分に注目。
Fireworksにてそれぞれのページに名前を付けましたが、その名前が class名に流用されています。
なので、ちゃんと名前付けましょうね、と説明したわけでございます。

ページの名前がclass名になります

また、「.woff」「.ttf」「.eot」「.svg」の4つのファイルがあることで、IE8〜や、SVGに対応していないAndroid2.xにも対応しているらしいです(未確認)。

ということで、今回作った家紋フォントの一覧ページを用意しました。

家紋フォント一覧 東軍
家紋フォント一覧 西軍

家紋フォント一覧ページ

家紋!旗印!
これ全部、ベクターのフォントですから、もちろん「font-size: 400px」とかでもボケることはありません。
ちなみに、MacBook Pro や iPad の Retina モデルで見ると超綺麗だったりします。

お持ち帰りでどうぞ

今回の一式のデータ、svgファイル・Fontファイル・一覧のHTML、全部ダウンロードいただけるようにしました。
よろしければ、どうぞ。ご自由にお使いください。

kamon_font.zip (809KB)

(追記)一部の家紋は商標登録されているそうで、ちょっと調べきれていないので、配布をやめておきます。すいません。

Fireworks で SVG な Web Font を作る際の注意点

賢明な諸兄であれば、お気づきでしょう。すでに Fireworks が関係なくなっていることに。
なので、最後に Fireworks で Web Font のための SVG を作る際の注意点を整理しました。面目躍如。

  1. オブジェクトそのもののサイズは関係ない

    SVG Fontにサイズは関係ない100px × 100pxでつくろうが、500px × 500pxでつくろうが、フォントになった時点でひとつの SVG が 1文字となりますので、作る際、書き出す際のオブジェクトのサイズは関係ありません。作りやすいサイズで作れば大丈夫です。

  2. カンバスの色は無視される

    キャンバスの色は無視されるFireworks 上のカンバスに塗りで色をつけていても、Font にした時点でその色は無視されて透過状態になります。

  3. カンバスからはみ出てはいけない

    カンバスからはみ出てはいけないカンバスからオブジェクトがはみ出ている場合、その状態で Font になってしまいます。当たり前の話ですが。

  4. カンバスそのものが、1文字分の範囲となる

    カンバスそのものが、1文字分の範囲となる上記にも似ていますが、カンバスの大きさそのものが、Fontにおける 1文字分となります。カンバスは「カンバスを合わせる」を実行しておきましょう。

  5. 塗りの色やグラデーションは無視される

    塗りの色やグラデーションは無視されるオブジェクトの塗りの単色やグラデーションは、Font にした時点で無視されます。Font の色はCSSの「color:#xxx」で変えられるものですので、色の指定自体はそちらで。

  6. ストロークも無視される

    ストロークも無視される塗り同様、ストロークも無視されます。なので、パスを閉じていないようなストロークだけの図形は、そもそもなかったことにされて Font 化されません。

  7. ドロップシャドウなどのフィルターも無視される

    ドロップシャドウなどのフィルターも無視される各種フィルターも無視されます。SVGファイルにしただけの状態ではドロップシャドウなどは表示されますが、Font 化した時点で無効になります。

  8. オブジェクトは、結合した複合パスでなくてもいい

    オブジェクトは、結合した複合パスでなくてもいいベクターのパスは閉じていなければいけませんが、オブジェクトは複数ある場合は、それらは結合されていなくても大丈夫です。

  9. マスクも無視される

    マスクも無視されるマスク情報も見事に無視されます。なので、パスをくり抜きたい時などは、しっかり「パスの型抜き」を行なって複合パスの状態にしてください。


Fireworks だけで SVG な Web Font をパブリッシュできたらいいなぁ

つまるところ、言いたいことはこういうことなのでした。

こんな長ったらしい記事ですが、ご拝読ありがとうございました!


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2013年 大河ドラマ「八重の桜」の見所シーンを大予想ずんど

武家の娘、新時代の妻としてウーマンリブな人生を歩んだ、新島八重。
「悪妻」「烈婦」「元祖ハンサムウーマン」「幕末のジャンヌ・ダルク」と呼ばれるほど、率先して戦場に立つような男勝りな女性ですが、いかんせん知名度が。我らもよく存じません。(視聴者のテンションが)1年もつのか不安です。
NHK大河ドラマ「八重の桜」公式サイト

NHK大河ドラマ「八重の桜」公式サイト。人物紹介や相関図はこちらで事前にチェックしとけ。

ぼじぃ市松おい!いよいよだな!!再来年の大河ドラマ「黒田官兵衛」これだよこれこれ。これこそ大河の真骨頂つーの?
天下の名参謀にして「戦国の張良」の呼び声高い、クロカン!楽しみだな。さっそく大予習しようず!

めがね治部少輔まて、おちつけ。それは再来年だ。来年は新島襄が妻、新島八重の話。先走るな。

ぼじぃ市松お、おう。難しいな。八重。
正直1年かけて大河でやるものなのか? 視聴者ついてくるのか? 清盛の低視聴率を巻き返せるのか?

めがね治部少輔うるさいな。幕末の会津出身であり、津田梅子とともに女子教育普及への先駆者とされる人物「新島八重」。うむ、薄いな。
とは言え周囲は中々濃い人物が多いぞ。
兄の山本覚馬は「維新の祖」といっても過言ではない佐久間象山に学び、京にて幽閉中に小松帯刀や西郷に見いだされた人物で、維新政府よりもより具体的な近代思想の持ち主だったと言われるし。

ぼじぃ市松そうか大河の主人公といっても、本人が輝く星である必要はないわけだわな。
本来なら主人公大活躍の方がいいけど、主人公目線で周りが大活躍の方がより幅広いジャンルで偉人達を出演させられるわけだしな。

めがね治部少輔そうだな。お江系大作戦とでも言っておこう。
だが、お江の時みたいに主人公が時代性を反映しない思想の持ち主だったりすると困るな。
春日局とのバトルもなかったし。秀忠がカッコ良すぎたし。
明治の烈婦なんだから、がっつり戦う女として描いてもらいたい。

ぼじぃ市松ちゅーことで主人公を彩る大河ドラマ主人公クラスの人物と、どのようなシーンが見られるか?を予想するか?

めがね治部少輔予想というより、こんな登場人物がこういう関係で出るんじゃないか?という事で。


主人公:新島八重(綾瀬はるか)

新島八重

元祖ハンサムウーマン、新島八重

会津藩砲術指南役の娘として生まれる。
兄は前述の山本覚馬。覚馬の影響から先進的な思想と武士の娘の矜持を守る。世間から何を言われようとも「私」は「私」な生き方を貫く。
戊辰戦争では、男装してまで戦争に参加し、大砲を操り、自ら銃を持ってヒャッハーする、それが八重。
空気を読む事こそがコミュニケーションの最重要課題となった現代こそ、彼女の一本筋の通った生き方・生き様に男女問わず学べるはずだ。はずなのだ。
スイーツ好みにならないことを願う。


予想エピソード0

山本八重、戊辰戦争でヒャッハー

砲術家の家に生まれた八重は、戊辰戦争にて髪を切り男装してまで参戦し、大砲を操る。籠城戦では、自ら銃を取り奮戦。
要は、女ヒャッハーである。
「オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラ」と銃をぶっぱなす八重を期待したい。

予想エピソード1

山本覚馬(西島秀俊)、勝海舟(生瀬勝久)との友情を深める

勝海舟らと共に維新の元祖教師佐久間象山に学んだ覚馬。会津の神童は象山の先進思想に影響を受ける。
コレは絶対使われないはずがない。使わないと話が進まない。

予想エピソード2

山本覚馬、大西郷(吉川晃司)を心服させる、あと岩倉具視(小堺一機)も

京都守護職の藩主容保を補佐すべく京に赴任した覚馬。禁門の変の後、紆余曲折あって薩摩藩邸に囚われの身となった。
そこで西郷や小松帯刀に対して新政府の国家像を建白。明治の元勲らはその先見性の敬服したという。会津藩士が、薩摩ら倒幕派と仲良くなるという見せ場。禁断の恋、的な。

予想エピソード3

松平容保(綾野剛)、過激派の意見を抑えられず西郷頼母(西田敏行)の悲劇を生む(もう一つの白虎隊)

京都守護職就任を反対し容保の怒りを買うが、それでもめげず戊辰戦争で恭順を進言するが強硬派に退けられる。
脚色ありまくりだと思うけど、容保を悪役にするのか、それとも気の弱い藩主にするのか見物だ。
ちなみに、容保に京都守護職就任を無理やり承諾させたのは松平春嶽(村上弘明)なんだが、この春嶽も悪役になるのだろうか。さて。

予想エピソード4

白虎隊、伊地知という名前はどうも日本史ドラマとの相性が悪いようだ

薩摩の村田蔵六と言っていいほどの稀有な軍略家・伊地知正治。板垣退助と双璧をなす、会津若松城攻略の大立役者。多分、悪役に仕立て上げられるはず。
なお同じ薩摩出身だからといって、坂の上の雲でボロクソ言われてる幸介さんとは関係ないです。

予想エピソード5

斎藤一(降谷建志)、会津に見参。会津の為に戦った新撰組の生き残り

そもそも京都守護職に雇われているんなら会津戦争にもっと新撰組の隊士が参加していても良いはずなんだけど。まぁこの頃は離散状態なんで仕方ないか。
あくまで京都守護職に雇われているわけであって、会津藩に雇われたわけではないと言う事なんですね。
そんなこんなで、背水の陣な会津に馳せ参じた斎藤一はかっちょよく描かれるはず。

予想エピソード6

板垣退助(加藤雅也)、新島襄(オダギリジョー)と親交を深める。八重心境複雑

板垣退助は、若松城籠城戦の時の新政府軍の指揮官であったため、つまり、八重の敵なわけです。旦那と的が仲良くなって、八重自身はどういう心境なのか。
まぁ、旦那の襄さんはかなりの豪傑もので、そんなことは気にも止めないでしょう。
吉田松陰が熱望しつつも失敗した、アメリカ密航に成功してる人なんですよ。
坂本龍馬は海外に目を向けていたとか言うけど、目じゃなくて実際に行っちゃった人、それがJOE。そっちの方がすごいじゃん。
坂本龍馬の親戚に密航を手伝ってもらっているので、やっぱり龍馬もでるんかな?

予想エピソード7

伊藤博文、木戸孝允(及川光博)を通じて八重に感銘をうける

実際は兄の覚馬だと思うんですがね、木戸さんとの交流も会ったそうなので、おそらく。覚馬の功績も、ドラマの演出上、八重の功績にすげ替えられこともありそう。

予想エピソード8

捨松(水原希子)、八重の影響を受け津田梅子に女子教育を説く

捨松と八重は篭城仲間なので、おそらく面識はあったはず。幼馴染的な設定になるかも。
岩倉使節団にて、捨松が津田梅子に女子教育について語った事は実は八重からの薫陶だったのだ!な感じなのはあるはず。

予想エピソード9

捨松、八重の影響を受け日本の看護教育の重要性を大山巌(反町隆史)に説く

八重も捨松も富国強兵には看護体制が必須と考えており、看護教育に熱心だったそうだ。これも八重発案、捨松が旦那を説得するということになりそうな予感。

予想エピソード10

新島襄(オダギリジョー)、外野に何を言われようとも、妻とともに歩む

破天荒な行動と先進的な思想を持っていた襄。夫を支える妻ではなく、共に歩める妻”八重”ととも同志社設立に奔走するのだった。ちゃんちゃん。


めがね治部少輔前半はお兄さん関係で維新関連の人や会津関連の人達を描いて進み、後半はほぼ捨松と旦那という予想か。関係者がことごとく大河主人公クラスな人物というのも凄い。

ぼじぃ市松後半はいっそ捨松でやった方が良いではないか?と思ってしまうな。
ところで照姫役の稲森いずみは鹿児島出身なんだよね。ちょっと無しなんじゃないか?せめて山口県出身の人にするとか。

めがね治部少輔そっちのが嫌がらせだろ。それにしても大河ドラマ史上でも類を見ないほどの予想外主人公ではあるから、ある意味新鮮な気持ちで見られるかもしれん。

ぼじぃ市松現段階では、全く興味が湧かない可能性もあるが、予備知識が無い分ドラマとして楽しく見られるかもしれない。

めがね治部少輔それに会津という、負け組から見た維新というのは非常に興味深い。
容保は春嶽と慶喜に梯子を外された、ものすごく気の毒な人だな。
禁門の変では孝明天皇にその功績を認められるほど活躍して、まぁそれは京都守護職だから当たり前なんだけど、そのせいで長州の恨みを買いまくってしまって、白虎隊などの悲劇になってしまうわけだ。

ぼじぃ市松容保は真面目すぎたんだな。藩祖・保科正之も余計な遺言を残さなきゃ良かったのに、罪な事をするぜ・・・

めがね治部少輔ひょっとして江戸幕府の創世と終焉は会津松平家にアリ!と言ってもいいんじゃないか?

ぼじぃ市松創世をどうとらえるかによるが、3代4代で幕府としての「ありよう」を整えたと考えたら間違いじゃないよなぁ。そう考えるとやはり楽しみか。大河ドラマ「守護職・容保」

めがね治部少輔ちゃうやろ。
前半の前半おそらく3月くらいまではそんな感じなのかな?とは思うが、薩長視点じゃない維新というのは非常に見たいな。薩長が悪役になる、って言う。そこから開花期をどのように佐幕派が過ごしたか?もう一つの明治維新として期待しよう。

ぼじぃ市松おぉ勝手にサブタイトル。「八重の桜 〜もう一つの明治維新〜」。NHKさん、前半のサブタイトルにいかがですかね?

八重の桜 一
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月岡芳年の武者絵『武者無類』と『大日本名将鑑』を読みました。結論:買うべき。

月岡芳年画集!『武者無類』と『大日本名将鑑』

さてさて、今回はアスキーメディアワークス・歴史魂編集部発行の『武者無類』と『大日本名将鑑』のレビューといきます。
両書とも10月3日発行なので、すぐに書店やAmazonで購入できますね。

結論から言うとですね、はよ買え。

そもそも、月岡芳年といわれても月亭八方と区別がつかない人もおられると思うので、書籍レビューの前に月岡芳年の紹介を。

月岡芳年ってどんな人?

天保期に誕生し、明治中盤まで生きた浮世絵師。
浮世絵というとイメージされるのが、写楽の顔がデカい絵だけど、この人は衝撃的な無惨絵等で有名。
「血まみれ芳年」の二つ名が付いているほどだ!
とはいえ、浮世絵の衰退期でもあったので、ショッキングな絵を描く事で浮世絵の存在を示したとも言えるだろう。
要約するに明治期の人気イラストレーター。アバンギャルドな浮世絵師。
ちなみに 芳年は「よしとし」です。師匠の歌川国芳から一字頂いて芳年です。
無惨絵ということで耳なし芳一にあやかってつけた名前ではありません。

見開きでシーン解説と登場人物解説

見開きでシーン解説と登場人物解説

見開きが読みやすい

『武者無類』には芳年が残した武者無類を中心とした武者絵を集めた本書は古代から江戸期までの歴史的人物が53点描かれている。
一方、『大日本名将鑑』には神話時代から江戸幕府初期までの名将51点が収められている。
人物の明治期の解説の現代語訳とその描かれたシーンの説明、そして実際の絵を見開きに収めたページ構成は、絵の風景を前後を読者に想像させやすい構図となっています。
右側に武将絵が描かれているので、解説から読みたくなるが、一度じっくり絵を見てから解説を見るのをおススメします。よりシーンのイメージが膨らむと思いますよ。
現代とは違った解釈や歴史認識なので、現代人には違和感のある内容の解説もあるけど、明治期の人々が誰をどんな形でイメージして、どのような解釈で評価していたのかがリアルにわかります。

構図の大胆さに震える(登場人物よりも脇役の方が大きかったりする)

『武者無類』・『大日本名将鑑』両書に言える事だが、登場人物の歴史的(想像上の)ワンシーンを捉えている為、タイトルの登場人物がメインじゃなかったり、後ろ向いていたり、ウォーリーを探せ状態だったりと飽きさせない構図になっている。人物イラストなら人物中心で描く事が多い現代では想像できないことだが、「マジ、このシチュエーションあったに違いない」と思わせる臨場感は、まさに最後の浮世絵師の面目躍如にふさわしい内容。

小早川隆景

登場人物よりも脇役の方が大きかったりする

また現代っ子な歴史雑談録は名将と言えば、もちろん室町〜戦国期の武将達を想像してしまいがちで、手に取る前に想像していた武将達、例えば政宗や幸村なんかが武者絵で見られると思っていたのだが、明治期の人々はもっと王道でした・・・・いや、意外でした。
自分の期待する武将が入ってないぞ!と思う方もいらっしゃるとは思いますが、マジ?こいつ武者じゃねーよといった意外な人物から、あぁ目から鱗でしたと再評価できる人物。誰それ?な人物と明治の人が考える英雄に酔いしれるのも一興というもんです。

個人的に登場に驚いた人物は、

  • 武者無類の羽柴秀次
  • 大日本名将鑑の足利義政

などの人物。
たしかに人物だけで見ると意外だなと思えるが、そのシーン描写がすばらしすぎる。
歴史的評価はともかく、本人はその時はそういう雰囲気(気持ち)だっただろうなぁ。ってのがすっげー分かります。

そして衝撃的な描写なのが・・・と書こうと思ったのだが、一杯ありすぎて困る(笑)
それでもあえて一つ上げるなら

  • 源義朝

源氏鬼門の風呂場での襲撃シーンを収録しているんですが、“マッチョ”義朝さん、襲撃をモノともせず撃退しちゃってます。
芳年さん、歴史が変わってまうで、しかし・・・・

贅沢な2巻同時発売がもったいない

惜しむらくは、2巻同時に発売の為、自分を含む読者の情熱が分散してしまうという。
どっちも見たいが故に、1冊をじっくり楽しんでいるかどうか、自分自身に疑問を持ったということです。
両書とも歴史的人物の1シーンをピックアップしているものなので、じっくりとその背景をイメージし、時間をかけて堪能したいところでした。
まぁ、永久保存版確定なんで、これは贅沢な主観ですね。

とまぁ、やっぱ日本人は浮世絵っすよ。

最近ではゆるキャラや萌え画な武将イラストも多数ありますが、やっぱり原点は浮世絵。
迫力ある構図や人物描写は浮世絵あっての現代のイラストなんだなぁと、現代につながる武将絵の歴史(ってあるのか?)を感じる納得の良書でした。

最後に歴史魂さん、ご献本ありがとうございましたー。

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【日本史】クレイジーすぎる歴史上の偉人たち【マジキチ】

日本そのものが、剃髪(月代)と切腹が文化として定着していただけで、最高にクレイジーだと思うんですが、まぁ現代の視点から考えても狂ってるね!と思える逸話を持つ猛者が多いのも、さすが神国日本でございます。(NAVERまとめで作った記事の転載です)

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