江東区深川江戸資料館 新春特別展「みなもと太郎の『風雲児たち』~漫画でみる幕末~」開催記念講演会に行ってきました!

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fuunji吉川史観・司馬史観に変わるあらたな歴史観といっても過言ではない、江戸~幕末期の超大河漫画『風雲児たち』の著者であるみなもと太郎先生の展覧会と講演会に行ってきました。

制作の裏話や幕末をどのように感じているのか?や制作秘話などいろいろ貴重なお話をお伺いすることができました。

残念ながら撮影禁止ということだったので、会場の様子などは画像でお送りすることができませんが、非常に有意義な時間でした。それにしてもレポート遅すぎだな。すいません。

もう自分の偉人達のイメージはこうなっちゃってます。特に松蔭。

もう自分の偉人達のイメージはこうなっちゃってます。特に松蔭。

深川江戸資料館は江戸時代の下町の生活(主に長屋)を常設展で体験することが出来る貴重な資料館で、眺めるだけでなく長屋の中に入ったり道具を触ったり出来る体験型の資料館なのでお子様と江戸の黒豹ごっこや江戸を斬るごっこをするのに便利です。

みなもと太郎の「風雲児たち」〜漫画で見る幕末〜

駒沢大学文学部教授 小泉先生の「幕末維新期とはどのような時代か?~通説を見直す~」

講演トップバッターは駒沢大学教授の小泉先生。
先生は明治維新史学会の理事も務めておられるすご腕だけあって、まとめるのが上手! ただ1時間で話をまとめるのはさすがに無理がありまして、ほぼ伏線的な話になってました。参考文献など非常に貴重な情報もありました。

資料も上手にまとめられていて、講義と相まって分かりやすかった。

資料も上手にまとめられていて、講義と相まって分かりやすかった。

最初に、幕末維新期というのはそもそもペリー来航からではなく、天保期における国内および海外の動乱からはじまっているとのこと。国内では近世国家としての体制的な矛盾、国外では近代化後の欧州勢の世界進出が幕末維新のはじまり。

たとえば、国内では大塩平八郎の乱であり、海外ではアヘン戦争など。また海外と日本の接点として日本近海への外国船の出没やモリソン号事件をあげておられました。

たしかに強面のくせに紳士気取りの産業革命後の欧州列強に対して打ち払いなどをやりまくる日本。かなりのイケイケです。

でもそんなん常識的に考えて「もう日本アカンとちゃうか?」と幕閣(がやらせてんだけど)のみならず、市井の知識人が思いはじめるのは当然のことで、そういったことが全国的に広がるのがちょうどこの頃だそうです。

そしてペリー来航からいわゆる一般的な幕末期に突入になるわけですが、分かってても忘れてしまう真実として、関が原の戦いで敗れた薩摩藩と長州藩が徳川幕府を倒す機会を伺っていたって、ま、まさか皆さん本気そう思ってます?論。

先生は大東亜戦争後70年経った現在アメリカ許せない!と皆さん考えてますか?と尋ねていました。そもそも日本人の美徳として忘れっぽいってのもありますので、確かに封建の世とは言え250年も牙を研いでいることはなかなかできないと思います。など興味深い話が続きました。

その後も興味深いお話が続きましたが、10分弱押してしまったにもかかわらず、全然足りねぇ。時間ェ… な状態でした。今度講演があったら、またぜひ聞きに行きたい(1回目)です。

興味深かった”コレ豆な的”な話

まとめますと、

  • 条約調印反対してた人は時期将軍継嗣問題とからみあって、反対の為の反対というのが実態。つまり実は攘夷関係ない
  • そもそも不平等条約だ!といわれても対等な条約は対等な国相互で結ぶもので明治維新以前はそもそも日本側(幕府・朝廷ともに)不平等という認識はない。
  • 開港・開国問題による物価の高騰からくる社会的不安、それにともなう空前の攘夷ブームに明治時代の島耕作こと渋沢栄一(YoungAge)も乗っていた
  • 島津久光の率兵上京は藩主でもない(なったこともない)人が兵を率いて上洛するという江戸時代通じてありえない大事件
  • 長州は攘夷を過激に主張するが、それは京都での人気が高かったからヤメられなかっただけ。芸者パワーすげぇ。
  • 龍馬の「今一度せんたくいたし申候」は幕府の役人をブッコロ!っていう当時の若者らしい威勢の良い手紙。
  • 八月十八日の政変はただ単に長州が京都から追い落とされた事件というわけではなく、玉を握ったほうが決定権を持つということが明確になった重大な事件。それまでは大御心は神聖で絶体不可侵と考えられていた。
  • 孝明天皇は慶喜をものすごく信頼していた。お母さんが有栖川宮出身つまり皇族の血が入ってるから。もちろんお父ちゃんが水戸斉昭ということは有名 ← 父ちゃんまったくどーでもよいそうです。

かなり端折って書いてあるので、そのまま、コレ豆な。どや!すると恥かくかも知れないので自分でもちょっと調べてその上でご利用してください。

深川江戸資料館近くの幕末維新期の偉人についての興味深いお話やもっと深掘りした説明があり、あきらかに1時間で収めるには無理な内容がよくまとめられてました。次もあったら絶対行きたい(2回目)

いよいよ、みなもと先生の講演

インタビュー形式で、聞き手は「風雲児たちガイドブック 解体新書」著者のおかべたかしさん。

元々は冗談新選組という70ページ前後にまとめた新選組の話からどうせだったらしっかりした幕末モノを作ろうと関ヶ原からスタートしてしまったのが間違いのはじまりで、結果超々大河コミックとなった経緯があったそうです。

そもそも『風雲児たち』は数ある仕事の中のひとつだったらしく、はじめた当初30代なかばはひと月100ページくらいは余裕でできていたんだけど、50歳過ぎた頃から体力的に続かないので『風雲児たち』にしぼったそうです。

連載を始めた当初は資料集めに苦労したらしく、例えば林子平の三国通覧図説を見るために国会図書館まで行き桐箱の中から取り出だされた2畳から4畳半くらいある図版(レプリカ)を、持参したノートと鉛筆で写したりしていたそうです。

今ではインターネットで一発で出てくるのが腹立たしい!とおっしゃっており、読者もどんどん知識がついてきてるので、ますますストーリーが長くなってしまうと苦笑いされていました。

新たな史料が発見され、後のストーリーにからむものなら間違いなく載せるだろうな、大変だな、とは思いつつも、むしろどのようなストーリーが展開されるのかが楽しみなので、長くなるの歓迎です!とわれわれ読者は無責任な期待をしてしまいます。
それでもお蔵入りしている話もあるらしく、そういった話をコミケ用コミックとして作っているそうです。どんだけマンガ描くの好きやねん。

しかし、その伏線を大事にする作風のおかげでフィーチャーされた偉人たちや再評価された人物なんかもかなり多く、江川太郎左衛門(主に目)は”風雲児たち”の影響で認知度が上がり、むしろ21世紀になって人気の上がった幕末期の偉人なわけで、BS時代劇でシリーズ物作れ!NHK!と願ってやまないわけです。

また、阿部正弘は水野忠邦と井伊直弼と非常に濃ゆいメンバーに挟まれて、元来歴史上の”偉人的”評価が低く、風見鶏的とか決断力がないといった印象がありましたが、実に日本的な物事の進め方というか、反対勢力に反対と言わせないで自分の政治指針を進めていく姿勢は、経営者や管理職のマネジメントに大いに役立つのではないでしょうか?といった再評価を得られているのも、“風雲児たち”の功績と言っても過言ではないわけであります。

さらに、幕末維新期の偉人達は時代が近いこともあり、子孫たちも多く現当主の方々も愛読されているそうです。風雲児たち21巻の帯を井伊家の現当主に書いてもらおうと思ったという話をされてましたが、先生それ残酷です。普通断ります。そして21巻実に劇的です。歴史好きで『風雲児たち』を読んでない方は21巻から読み進めることをおススメします。

風雲児たち〜幕末編〜が本来のメインストーリーですが、普通の”風雲児たち”の方は列伝形式というか時代や人物にフィーチャーしており、また the 江戸時代なので歴史ファンでない方も時代劇が好きな人やヒューマンドラマが好きな人、冒険譚が好きな人にも入りやすいと思います。

サイン会でのみなもと先生の嘆き

トークショー終了後にコミケで販売しているコミックスなどの販売とサイン会も行っており、もちろんサインゲットしたんですが、中が白じゃなくてサインが全然見えない悲劇となりました。

戦国モノを購入したのは良いのですが・・・・

戦国モノを購入したのは良いのですが・・・・

先生にも同情される始末。

先生も中は白じゃないとサインが目立たないんだよね。これは申し訳ないね!と書いてる最中におっしゃってました。お気遣いありがとうございます。

先生も中は白じゃないとサインが目立たないんだよね。これは申し訳ないね!と書いてる最中におっしゃってました。お気遣いありがとうございます。

なお、『風雲児たち』のラストは函館五稜郭と連載開示時から決まっており、それは揺るがないそうですが、ラストに届くまで20年もしくはそれ以上かかるかは先生自身も想像できないとのことでした。

ご健康に気をつけて、ぜひ五稜郭まで(できるだけ早くたどり着くことを)期待しております。

 

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江東区深川江戸資料館 新春特別展「みなもと太郎の『風雲児たち』~漫画でみる幕末~」開催記念講演会に行ってきました!” への1件のコメント

  1. 面白い記事です。興味深く読ませていただきました。我が九州の柳川藩立花家について
    少し参考程度のなればと思います、ラーメンが日本を変えた点は大いに賛同します。
     尊王攘夷思想・・・朱舜水先生は私の学校(柳川藩校伝習館)の初代校長先生といわれるひとです。柳川藩で先生の面倒(一番弟子が安東省庵2代目校長)をみていましたが、水戸藩(黄門様)が特権で長崎から連れて行きました。朱先生は明の再興を柳川藩に求めました(秀吉時代に明連合軍20万を撃退し日本軍を救った立花宗茂の名声は朝鮮、明に広く知られていた)が、一藩では無理なため徳川幕府に期待されたのですが。
     幕末思想家・・・横井小楠は熊本藩で干されていましたが我が柳川藩で先生の面倒を見ていました。若き柳川藩家老立花壱岐と横井先生は気が合い互いに尊敬する仲でした。吉田松陰(寅次郎)が羨んでいいたほどです。壱岐の計らいで横井先生を福井の松平春獄公の元に遣わし維新の起爆とするほどでした。先生が坂本竜馬に言った言葉”日本を洗濯する”は竜馬が姉の乙女に手紙で書いて広く知られています。
    朱先生と横井先生は歴史の偉大なる思想家であるとともにわが柳川藩の偉大なる客人です。
     博多を治めていた初代立花宗茂は秀吉の直臣(毛利、島津を撃退)となり東の本多忠勝とともに西国無双と言われた人です。関ヶ原では西軍(家康は50万石で味方にしようとした)につき加藤清正に柳川城を明け渡しお家取り潰しとなります。敵の東軍武将達からも慕われていた立花は朝鮮で命崖で助けた加藤清正らの計らいで、なんと改易から3年後に浪人から東北の棚倉で3万石の大名として復活し2代将軍徳川秀忠の筆頭教育係となります。家康はやはり偉大な武将ですね。宗茂と同い年の伊達政宗の天下取りを牽制する狙いもあったでしょうが。大阪夏の陣で豊臣が滅亡しますが、家康は合戦に弱い秀忠の参謀役を依頼しています。真田幸村も立花と同い年です。立花の忠告を聞かなかったため幸村の攻撃で家康までやられそうになり徳川方は総崩れ寸前になったのですが、立花の進言で持ち直し勝利しました。その功績に応え2代将軍秀忠は立花を元の領地九州の柳川藩にもどしてやります。(元の12万石高以上で)。3代将軍家光の命令で伊達政宗の孫娘鍋子姫が立花宗茂の息子忠茂の嫁になりました。さすがに政宗も将軍の命令には逆らえなっかたのでしょう。

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