さて、真田丸ロスな皆さま、こんにちわ。
いやー、最終回もよかったですね。合戦シーンがシンプルだった感も残りましたが、なにより殺陣が見どころでしたね。あれはよかった。気合が伝わってきました。また全編見直したくなる大河でしたね。
で、来年2017年の大河ドラマは『おんな城主 直虎』。
徳川四天王のひとりであり譜代筆頭となったかの赤鬼・井伊直政の育ての親であり、女ながら井伊家受難の時を守り抜いた当主であります。戦国細腕繁盛記。
例年は次の大河ドラマの予習記事を起こしているのですが、今回はあえて予習しない。
予習であれば、以下、武将ジャパンさんの「井伊直虎」カテゴリーの記事を読んでください。一般的に知名度も低いであろう井伊家の人物紹介なども充実していてオススメです。これだけ読んでおけばいいんじゃないかな。
おんな城主直虎 | BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)
では、良いお年を!
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というのもなんなので、以下、一発小ネタ。
私と井伊さんの思い出
実際、私個人にそういう思い出があるわけではなく、祖母と父から聞いた話を。かれこれ70年近く前の話です。
私の父の実家は滋賀県長浜市にございまして、石田三成出生の地のほど近くです。
70年以上前、私の祖父とその兄である大伯父がその場所に暮らしておりました。まだ学生さんの頃ですね。
その大伯父、永寿(えいじゅ)と申しますが、東京帝国大学(現在の東京大学)農学部に入学します。
ここで同学部の2年先輩であったのが、井伊掃部頭家第16代当主であった井伊直愛(いいなおよし)さんでした。
かの井伊直弼の曾孫さんですね。
「井伊の殿様だああああああああ!!!!!!」
と、永寿さんは世が世なら殿様である直愛さんを前に相当緊張してたそうです。が、同郷の好もあり交友があったそうで、後輩としてそれはそれはお世話になったのでした。
大学も卒業して長浜に戻っていた永寿さんですが、34歳のとき(昭和22年)に病気で亡くなります。
この時、井伊直愛さん、戦時中であるため彦根に疎開されていたようで、大伯父の葬儀にご参列くださりまして、お悔やみの言葉をいただいたそうです。
これにあたって当方の実家は大騒ぎになったらしく、
「殿様がくるぞおおおおおお!!!!!!!!」
となり、あわてて一族総出で家中の畳を全部張り替えたそうです。いやー、葬儀直前、本当に慌てふためいたそうですよ。
すでに昭和、華族制度も廃止されたこの時期においても、田舎ではまだまだ「殿様」が民の心中ではご健在だったのですねぇ。
なお、井伊直愛さんはこの後も彦根に滞在されており、市長となり、連続9期36年間の長きに渡って務められています。「殿さま市長」と呼ばれていました。(これは僕も生まれていたのでかすかに記憶にあります)
やっぱ今も「殿様」は健在で、永劫の概念なのですね。
ビバ殿様。
というお話でした。
なんせ私どころか父もまだ生まれていない頃の話なので、細かいところまでは聞けておらず。詳しい身内もみんな死んじゃってるので、もっと聞いておけばよかったなと絶賛後悔中です。
当家に若干でもつながりのある井伊家のサクセスストーリー『おんな城主 直虎』、楽しみです。
いっそ予習なんかせず、さまさまな説に振り回されず、純粋にドラマを楽しみましょう!(予習記事書く暇がなかっただけです。すみません)
最後に、アキバの戦国居酒屋にあった井伊家の甲冑の写真貼っときます。