2016年の大河ドラマ「真田丸」をより面白く観るために、真田一族の縁の地を知る(幸村関係ないけど)

sanadamaruさて、様々な物議をかもした2015年の大河ドラマ、えーとなんだっけ、まぁいいや。

皆さんのご興味はすでに、というか相当早くから2016年の大河ドラマ「真田丸」に向いていることと思います。

戦国時代最強の一発屋ヒーロー、真田信繁(幸村)が主人公、三谷幸喜脚本ということもあって前評判は上々。もちろん私も大変楽しみにしておるわけです。

特に、1985年に放送された「真田太平記」(NHK新大型時代劇)にて幸村役を演じられた草刈正雄さんが今回はその父親である昌幸役ということで、おっさんとなったファンへのホスピタリティにもグッとくるものがあり、いかにも胸熱です。(丹波哲郎さんの昌幸を超えてもらいたいですな。くるみカリカリするかなぁ。)

ということで、「真田丸」がはじまる前に恒例の予習としけこみやしょう。

今回は人物紹介はやめておき、「真田にとっての縁の地」を基軸として紹介します。(登場人物がビッグネーム過ぎて、方々からのツッコミが怖い、ってのが正直なところ…)

真田一族が拠点的にどういう位置関係に在していたかを知っておくとさらに本編が面白く感じられるでしょう。たぶん。

それでは、をぉぉぉぉやくわぁたぁさむぁぁぁぁぁ!!!

真田発祥の地「小県」と川中島の戦い

真田氏の発祥そのものははっきりしていないものの、真田幸隆(幸村のおじいちゃん)が信濃国小県(ちいさがた)郡真田郷にある洗馬城、そして真田本城(別名・松尾城)を拠点として真田氏を称したことにはじまるとされています。なお、この小県郡にはのちの拠点となる上田も含まれています。

ちなみに、これ以前の真田氏については文献として記述があるものの関係性が明確ではないようで、よく分かっていないようです。

そもそも真田幸隆の父さえもはっきりしておらず、真田頼昌または海野棟綱が真田の始祖とされています。とにかく、信濃の名族・滋野三氏のうち海野(うんの)氏の傍流として、信濃小県郡の豪族としてずっと土着していたっぽいということですね。

ところが隣接する葛尾城の村上義清にこの小県一帯を攻め取られ、真田の支城であった戸石城は村上の拠点となります。
幸隆は上野国に一旦避難しますが、後に武田信玄のもとへ帰参。

ちなみにこの村上義清、武田信玄を2回もボコボコにしている強いお方。(戸石崩れで有名ですね。)

その後、信玄の命を受けた幸隆が調略で義清を破り小県を奪還しています。この頃の幸隆は40歳前後。

ここで村上義清が上杉謙信の元に逃れまして、

「信濃全域を手中に収めたい信玄」と「せっかく奪還した小県を守りたい幸隆」
VS
「北信濃の縁戚を助けたい謙信」と「小県をもう一度奪いたい義清」

kawanakajima

の図式となり、これが川中島の戦いに繋がるわけです。

つまり、幸隆が信玄に帰属したことこそが、幾度の川中島の戦いの発端となったと言ってもいいでしょう。

ということで、もっとも激戦となった第四次合戦の頃の勢力図で見てみましょうか。
真田本城、川中島、義清の葛尾城と戸石城の位置関係を見てみましょう。

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ぎゅうぎゅう。

武田領、上杉領、ときどき北条領のはざまです。激戦区。
(なお、第二次川中島合戦の頃以降「甲相駿三国同盟」が成立しており三つ巴状態にはなっていません)

これより川中島にほど近い真田本城を拠点とする真田氏はこの長い戦いにおいて武田の先鋒(信濃先方衆)となるわけです。がんばれ幸隆くん。

この頃の幸村くん この時まだ生まれていません。関係ないですね。

真田といえば信州「上田」

幸隆とその息子の信綱昌輝、昌幸は、川中島を含む信州、上野、駿河など各地を転戦。

幸隆は戦国三弾正のうち「攻め弾正」とあだ名され、また、次男の昌輝は信玄をもって「兵部は我が両眼なり」と評価され、親子4人で武田二十四将にも数えられるようになるなどチートファミリーのはじまりですね。

ところが、幸隆の没した翌年の1575年、長篠の戦いにて信綱と昌輝が戦死。
3男の真田昌幸が家督を継承します。きたわー。

この頃の幸村くん まだ8歳。関係ないですね。(大河ドラマ、ここくらいからスタートするんでしょうかね)

その後、織田の甲州征伐によって主家たる武田も滅亡。
真田昌幸は織田に臣従して本領安堵となりますが、3ヶ月後には本能寺の変により当の信長が横死。

これにより織田軍が武田旧領から撤退し、甲斐・信濃・上野にて混乱状態になります。
北条・徳川・上杉が、それいまだ!刈り取れー!とばかりに入り乱れる「天正壬午の乱」が勃発。
この甲斐・信濃の混乱に乗じて、昌幸はすぐに武田の遺臣を集めて勢力を拡大・温存します。

この時の昌幸は、信州に進軍してきた上杉謙信に一旦臣従しますが、翌月には北条氏直側にひるがえります。そしてその2ヶ月後には徳川家康に接近し臣従。

この頃の真田の臣従関係を整理すると、本能寺の変のあった1582年から1585年の約3年間強において

1582年3月〜1582年6月 (武田が滅ぼされて)織田信長に臣従
1582年6月〜1582年7月 (信長が死んでしまったので)上杉景勝に臣従
1582年7月〜1582年9月 (北条への最前線に置かれ一旦降伏し)北条氏直に臣従
1582年9月〜1585年7月 (やっぱり最前線のため徳川に急接近して)徳川家康に臣従
1585年7月〜1585年12月 (徳川から領地移譲しろと言われケンカ別れ)上杉景勝に臣従
1586年1月頃〜 (嫌がらせしてくる徳川をボコっていたら、上洛せよと呼び出されて)豊臣秀吉に臣従

ということになります。

ひらりひらりと激戦区を舞う昌幸。

特に1582年に挙動が目を引きます。上杉、北条、徳川の三つ巴をかわしまくり。
いかにも「表裏比興」ですね。不器用さの欠片もない。

で、上記の徳川臣従期に本拠地を上田に移し、1583年に上田城を築城します。
(賤ヶ岳の戦いを秀吉が制し、大坂城が築城開始されるのもこの年です)

この後2回も徳川をボコることになるように(上田合戦)、当初から対徳川を意識して南側の防御の厚い縄張りにしたようですね。
ここに真田の本格的な自立が始まります。

上田への移転時の勢力図を見てみましょう。

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徳川が入り、新たな三つ巴の激戦区となりました。

真田としてはどこに転がっても最前線としてたらい回しにされてしまう、という普通の人間なら精神を病みそうになる勢力状況の土地です。
まぁ、これより「真田といえば上田」ですね。

この頃の幸村くん 上田城への移転時はまだ初陣もしていない15歳。関係ないですね。

真田の鬼門。それが「沼田」

とまぁ、真田の本拠といえば上田、になるわけですが、実はキーポイントとなるのが上州は「沼田」

上杉と北条で散々取り合っていた地ですが、昌幸が武田勝頼存命時代に北条領であった沼田城を調略をもって制圧し武田領となります。武田が滅び織田が撤退した後、そのまま真田領となりました。
つまり、昌幸が自分で切り取って手にした土地、ということになります。

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先述の通り、本能寺の変後に起こった天正壬午の乱において、上杉や北条の間を転々とし、それぞれ前線の先鋒や殿としてこき使われた昌幸は徳川への臣従を選びます。嫌気が差したんでしょうかね。

ところが、徳川は北条とのと和睦・同盟を進めます。この頃の家康は秀吉との小牧長久手の戦いも行っていますから、後方の安全確保を急ぎたかったのですね。

ここで家康からの無理難題。
家康は、北条との同盟締結の条件として「沼田やるから同盟してよ」と勝手に交渉していたわけです。自分の領地でもない土地を。

「北条がさー、同盟したかったら沼田はよよこせってさー、いうわけ。だからさー、タダでよこせやー。」

と昌幸にカツアゲに等しいことを言ってくるわけです。

昌幸は「アホ言えや!沼田はワシのもんじゃー!」と怒り心頭。再び上杉のもとへ鞍替えするわけです。むしろ徳川からの離反のきっかけとして逆手に取った、とも言えそうです。
これが真田と徳川の因縁の発端。

この真田の離反に対して徳川が討伐を起こしたのが「第一次上田合戦」。
2,000の兵の真田が7,000強の兵の徳川をボコボコにしたアレ。徳川は1,300以上もの死傷者を出すこととなり、家康のビビリストたる「真田コワイ」がここにはじまるわけです。

徳川臣従期に本拠を上田に移したのも、徳川から離反して撃退するためだったとも言われています。

この頃の幸村くん 上杉景勝への人質として春日山城に在していたので、やっぱり関係ないですね。

またおまえか、「沼田」

当時、すでに豊臣の時代。
上杉・北条・徳川の間を転々とせざるを得ない土地的状況から、昌幸は豊臣秀吉に臣従します。
豊臣を後ろ盾とすれば、すでに豊臣に臣従している上杉・徳川からは身を守ることができますから。

もとより秀吉から昌幸へ上洛の要請はあったのですが、上杉・北条・徳川の狭間にあった状況下では離れるわけにもいきません。なんとか臣従表明は行い、幸村を人質に出して、晴れて豊臣臣下となりました。

ちなみにその際、幸村くんは上杉の人質でしたが、上杉景勝が上洛で不在中の春日山城から無断でこっそり逃がしており、景勝を激怒させたそうな。昌幸は人を怒らせるのも天才だね。

さて、先の真田・徳川・北条の沼田移譲問題
天下人・秀吉によって裁量され、利根川を挟んで東側は北条に割譲されることとなります。

川東の沼田城は北条のものとなってしまいますが、川向かいの名胡桃城はなんとか安堵されることとなりました。
秀吉としても、沼田は真田のものと分かっていますが、北条を懐柔させるために相当の好条件を出したわけです。

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真田領として残った名胡桃城はもともと沼田城の支城であり、5kmほどしか離れていません。

1589年、この名胡桃城を沼田城代となった北条家臣の猪俣邦憲がを策略を持って落としたことが、惣無事令違反(私的な戦、禁止ね)として秀吉の怒りを買い、結果「小田原征伐」の直接の原因となりました。これがいわゆる名胡桃城事件

この名胡桃城事件ですが、事件の経緯は不明な点が多く、十分に解明されていないのが現状です。

事件発生時、昌幸は京の秀吉のもとにおりましたから、両名合議による戦略として、北条を挑発した説もあります。
要は、どっちみち北条は完璧に潰すものとして、その名分を得るために、あえてオトリ的に沼田だけを北条に割譲した、と。北条を潰した後、秀吉は沼田を改めて昌幸に与える段取り、という前約束的な感じですね。昌幸と秀吉なら如何にも考えそうな策だとは思うのですが。

しかしながら、豊臣に臣従する姿勢を見せていた北条の内部としても、反豊臣派はそれなりに幅を利かせていましたし、事件後にも当の猪俣邦憲が別段罰せられていないことからも、単に秀吉の裁量への不服から自発的に起こしたものとも言えそうです。

どちらにせよ、またまたこの沼田が戦国史のターニングポイントとなりました。
つまり、秀吉の天下統一の総仕上げ・小田原征伐は真田と北条の因縁が発端となったということです。

小田原征伐の後、沼田は嫡男・真田信幸に与えられ、無事、再び真田領として復活しました。

信幸が正室として本多忠勝の娘・小松姫を迎えたのは、この頃より少々前のこと。
昌幸としてはこの時ほどから豊臣と徳川の両方についておくことを想定していたのではないでしょうか。
ちなみに、井伊直政が信幸のことを大変評価しており、それを家康に伝えたところ、小松姫を家康もしくは秀忠の養女としてから、信幸に娶らせるようになった経緯があるようです。やっぱり家康さんは直政くんに甘いなぁ。

この頃の幸村くん 小田原征伐に従軍しています。石田三成の忍城攻めにも参加したとのことですが、まだ表舞台にも立っていませんし、やっぱり関係ないですね。

ドラマのクライマックス

さて、秀吉も死に、関ヶ原の戦いへ。
昌幸、第二次上田合戦にて徳川をまたまたボコるも、西軍が敗戦。

西軍についた昌幸と幸村は紀伊国の九度山に配流となります。(家康は処刑するつもりでしたが、信幸の義父・本多忠勝の懇願で流刑で済みます。)

一方、東軍についた信幸(この頃に信之に改名)は沼田に加えて、父と弟のいなくなった上田を治めることとなります。(上田合戦のおり、真田の戸石城を落としたのも信之です)
なので、真田領そのものとしては変化なしですね。

ちなみに、関ヶ原の戦前、小松姫が孫に会いたいとやって来た昌幸を「じじぃ、いねや」と追い払った逸話の舞台も沼田です。

この頃の幸村くん 第二次上田合戦では父とともに策を練り、敗戦後も葛尾城に攻め込んでいたりと真田の要になりつつある頃。ようやくだね。

九度山からニート親子(昌幸・幸村)で出来のいい息子(信之)に対して金品をたかったり、大谷吉継の娘に真田紐を作らせたり、幸村が近隣の女に手を出したり、などそれなりに楽しんでいましたが、1611年に昌幸が死去。

1614年、幸村は豊臣家の要請に呼応し、九度山を脱出。息子の大助とともに大坂に入城します。

大坂の陣のはじまり。
まぁ結果はご存知のとおりですし、ドラマでも「真田丸」のタイトルどおりクライマックスでしょうから、ここは割愛です。

この頃の幸村くん 「関東勢百万と候え、男はひとりもなく候」。がんばったね、幸村くん。歯がないのによく踏ん張ったよ。

またまた「沼田」か。ぬまたぁ

大坂の陣も終わり、ここから信之のターン。
信之は松代藩に移封となりますが、沼田は真田領としてそのまま残ります。(その後の上田藩には仙石氏が入ります)

江戸期以降は「真田といえば松代」ですよね。川中島のほど近くです。

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松代移封の際、松代には信之が入り、沼田にはその嫡男・信吉を入れました。

ところがほどなく信吉が死去。その嫡子の熊之助も死去。今度は信之の次男・信政が沼田に入ります。

この頃の幸村くん 幸村くんが幼いころ、上杉へ人質として入る際にこの松代城(元は海津城)に在したようですが、江戸期にはとっくに死んでるので、もちろん関係ないですね。

その後、信之が隠居し、家督を次男・信政に譲ります。
もちろん当主となった信政は松代に移りまして、沼田には信吉の次男・信利が入ります。

当主となった信政がほどなく死去してしまいます。
信之は、まだ2歳だった信政の六男・幸道に跡を継がせることにします。

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沼田の信利はこれを不服として幕府に申し立て、お家騒動が起こります。
真田の嫡流の血を引く俺が継ぐべきだ、と。

が、幕府の採決は幸道を後継とし、代わりに松代の支藩であった沼田を藩として独立することとしました。信利は真田本家は継げませんでしたが、一応独立できたわけですね。

信之はこのお家騒動が執着した直後に死去します。
享年93。長生きでしたが、この「信濃の獅子」も晩年はさぞ胃が痛かったでしょうね。

さぁここからです。
やっぱり安定の沼田。

沼田の信利は、独立はしたものの本家を継げなかったことに不服ですから、本家である松代にただならぬ対抗心と嫉妬心をもっておりまして、なにかと張りあうようになります。

10万石の松代に対して、実質3万石の沼田。

信利は「松代むかつくわー。マジむかつくわー」とばかりに意味のない対抗意識をもち、14万4千石と偽り届け出てお財布事情をごまかし、分不相応な5層の天守を作るなど、見栄を張る子供のような喧嘩を一方的に繰り広げます。
当の松代本家は相手にしてなかったと思われますが。

財政事情を無視したこうした信利の悪政に、藩の資金は底をつき、領民には相当の重税が課せられることになりました。

このため領民からも幕府へ直訴され、治世不良の責務を問われ改易されてしまいます。
沼田城は廃城となり、悪政を敷いた沼田藩そのものも廃藩とされてしまいましたとさ。

ドラマでも沼田に注目かもしれません。関係ないと思うけど。

このように、昌幸が苦労して切り取り、それ以上に苦労して守りぬいた沼田は、真田自身の血(曾孫の信利)によってあっけない終わりを告げました。

昌幸パパ浮かばれないですね。

昌幸が沼田にいかほど執着していたかは、池波正太郎の短編『命の城』でも題材とされています。

『命の城』は以下の様な文からはじまります。

「沼田の城をな、北条へゆずりわたしたときには、ほんにほんに、さすがのわしも泣き暮らしたものじゃよ。おぬしたちには涙も見せなんだが、夜、臥床へ入って独りきりになると、くやしゅうて情けのうて、わしは臆面もなく、ほろほろと泣いたものじゃぞよ」
と、後年になってからだが、真田昌幸は信幸・幸村らの二子へ、一度だけしみじみと洩らしたことがある。

池波正太郎『命の城』の冒頭文

本当に浮かばれないですね…

沼田の城自体は、ドラマの主人公である真田幸村とはそれほど関連のある城でもありません。

ただ、真田一族として見た場合、これほどドラマを感じる城はないのです。
ドラマでも沼田がどれほど出てくるのか分かりませんが、これらの背景を念頭に置いてみる来年の大河はまた一味変わってくるかもしれませんぞ。

そうだ 沼田行こう。 幸村関係ないけど。

というわけで、ひねくれものの皆の衆は、上田や松代はすっ飛ばして沼田に行こう!

一応、群馬県沼田市でも「もうひとつの真田の舞台」として、市をあげてアピールしているようです。

ただ、この沼田という土地自体、先述のように真田によって悪政を敷かれた歴史があるためか、それほど真田に思い入れがあるわけではなさそう(というか暴君的扱いかな)で、アピールのWebサイトの方もイマイチ盛り上がり感に欠ける気がします。(関係者の方いらっしゃったら申し訳ないです。)

沼田市サイト

でもそんな不器用さがいいよね、ということで、沼田に行きましょう。

幸村関係ないけど。

 

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2014年大河ドラマ「軍師 官兵衛」を徹底大解剖

戦国時代を舞台にしたドラマとしては「江」以来3年ぶり、武将としては「天地人」の直江兼続以来5年ぶり、大名となると「功名が辻」の山内一豊以来8年ぶりとなる超大物”黒田官兵衛”。認知も人気も高いだけに賛否両論の評価になりそうな予感ですが、期待値高いですよね。初回から湧き出る権謀術数。期待してます。
定説を覆すかっこよさの官兵衛を先取りしたい人は公式サイトをチェックせよ
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ぼじぃ市松来年の大河は、いよいよ軍師官兵衛だな。2010年代に入ってから、龍馬伝→江→平清盛→八重の桜ときたわけだが、龍馬は超メジャーだからおいといて、3作連続でマイナーキャラが続いたから、楽しみだな。

めがね治部少輔(清盛がマイナー?)お、おう。けど黒田官兵衛が軍師って言われるとちょっと違和感があるんだよな。学術的な「戦国時代の軍師」の定義は別として。なんつーかさ、軍師っていうとどうしても孔明の印象が強すぎて、君主(あるいば武将)との特別な繋がり、水魚の交わりってのがあるような気がしてしまうんだよな。あくまで勝手な印象なんだけど。そういう意味で黒田官兵衛は組織化された織田軍団・羽柴軍団における作戦参謀といったイメージが強い。

ぼじぃ市松あーなんか分かる。同じ秀吉絡みでも竹中半兵衛は軍師っぽいけど、黒田官兵衛は参謀ってことでしょ?

めがね治部少輔そう。ザ・軍師っていうと”太原雪斎”とか”山本勘助”とかそういう人をイメージしちゃうんだよね。

ぼじぃ市松まぁ黒田官兵衛だって、「ご運が開けましたな」なんて言っちゃうくらいだから、秀吉個人に対して惚れ込んでいたんじゃない?って事なら軍師っぽいんじゃない。

めがね治部少輔いや、才気走った返答は軍師っていうより参謀だな。軍師ならもっと良い言い回しを選んだはずだ。とはいえ、当時は参謀なんて言葉が無いんだから軍師でいいんだけど。で、どうする?戦国時代の軍師達でもやるか?

ぼじぃ市松いや、それ長過ぎるから別の記事にしよう。軍師官兵衛の足跡を関係した武将たちと絡めて紹介!にしよう。一応こんな感じでドラマになるかな予測。

めがね治部少輔あくまで雑談録的になんで、ご不快になる方もいらっしゃるかと思いますが、何卒ご容赦を!

主人公:黒田官兵衛(岡田准一)

黒田官兵衛
監禁とか蟄居はなれたもんですよ(本人談)

小寺家の家老を務める職隆(柴田恭平)の子として生まれる。祖父重隆(竜雷太)と父はともに放浪生活を送った苦労人だが、主人公は何不自由ない身分で生まれた為、若かりし頃は明晰な頭脳を披露し大人たちの顰蹙をかうも、まぁ指摘されないよね、家老の子供だもん。母(戸田菜穂)を幼い頃に亡くしたため、引き篭もりの時期を経験。
少年期の賢しらぶる行為が大人になってもぬけず仇になるが、引き篭もりも体得していたため難を逃れる事もしばしば。
後世の我々が見ると全ての行動に納得がいくのだが、コミュニケーションが苦手(というか人に誤解を与えるタイプ)と見えて、割と誠実に行動しており、義理堅いのに信用されない悲しい人でもある。

小寺政職(片岡鶴太郎)

片岡鶴太郎といえば北条高時のイメージが強いので、あーやっぱり優秀な人材を抜擢できるほどの人を見る目と決断力のあるタイプじゃなくて、先見の明がなくて滅亡させちゃった人側になるのかなぁと心配。でも黒田家を世に引き出させたのは紛れもなくこの人。人を見る目はあるんですよね。時勢が見られなかっただけで。

荒木村重(田中哲司)

唐草文染付茶碗 銘 荒木
にじみ出る気品と口当たりの良さそうな風合いが荒木でしょ?

刀にさした饅頭を食うことで信長の篤い信任を得て摂津一国を任されたにも関わらず、裏切る男”道糞”。元々調略にのせられやすい性格だったのは内緒です。銘器・荒木高麗を所持し茶人としても高名だったりしてですね、つまりポスト久秀を目指してたんだが、火薬が足りなかったか?茶釜が足りなかったか?のどちらかだ。
裏切りの際、説得に訪れた官兵衛を敵に回すのは恐ろしいので「殺してしまえ」と進言する家臣たちを尻目に、殺すには忍びない、と土牢に監禁した心優しい人でもある。戦国的には心優しいエピソードなのかもしれないが、普通死にます。非道値でいえば、斬首よりも高いです。じわじわ攻めるタイプですか。

清水宗治(キャスト不明)

清水宗治
武士の誉れはワシが作った

有岡城の幽閉から解放された官兵衛はダークサイドに陥ってたようで、鳥取城では渇え殺しを献策し、そして清水宗治が守るここ備中高松城ではうまく水攻めしきれない秀吉に「土嚢つんだ船沈めれば堤防っぽくなるよ」と献策。備中高松城を見事浸水させる。当初は長期戦に持ち込む予定だったが、本能寺の変勃発し、急遽宗治の切腹を条件に毛利家と和睦。ちなみにこの清水宗治の切腹が見事であり、切腹は武士の誉れとされるようになったそうだ。名を高松の苔どころか武士道に残しましたな!ちなみにこの頃中国地方で破れた人たち(清水宗治の他に吉川経家や山中鹿之介)は、なぜかみんな英雄色が強く、勝った方や生き残った方はなんとなく腹黒いイメージがついているような気がする。まぁ勝った方、生き残った方が官兵衛を筆頭に宇喜多直家・小早川隆景・安国寺恵瓊とかだからしょうがない。

小早川隆景(鶴見辰吾)

小早川隆景
月岡芳年画「タカカゲを探せ!」

後の官兵衛の親友。「官兵衛殿の頭の回転の速さには負けるけど、先走ってあとで後悔しちゃったりするでしょ。あたってるでしょ?」と評したそうだ。が、頭の回転の速さで劣る隆景は本能寺の変ではしっかりだまされる。(だまされたふりかもしれんが)だまされたと言えど和睦は和睦、後ろから攻め込むようなまねはやめようぜ、と義理堅さを見せる。毛利両川の下の方なので年若い人物と勘違いされがちだが、官兵衛とは一回りほど違う。信長の1歳上。脂の乗り切った官兵衛と老境の境にいる隆景とでは力の差は歴然だったのかもしれない。

豊臣秀吉(竹中直人)

豊臣秀吉

心・配・御・無用!! 再び。
本能寺の変の悲報を目の当たりにし、呆然とする秀吉に「殿、運が開けましたな」といったのはもちろん黒田ダークサイド官兵衛。あまり取り沙汰されないが、中国大返しは地元の黒田官兵衛がいてこそ出来た荒技なはず。その後の清洲会議では「三法師がおるやんけ」と助言。宿老達に根回しし、柴田勝家を出し抜くよう画策する。おそらく大河ドラマでは「清洲会議 produced by クロカン」となるに違いない。こういったダークサイドな官兵衛を目の当たりにしたからか、秀吉自身もなかなか知恵者の為か、自分よりも知恵達者な官兵衛の事を重宝するも信用できなかったようだ。その為、軍功に比べて極端に少ない領地しか与えなかったそうだ。とはいえ徳川家康の参謀と言える本多正信も大領をもらっている訳ではないので、本当に頭が優秀な人ってのは自分の活躍の場が与えられれば良いだけで、あんまり俸禄とかそういったものを気にしないのかもしれない。現代で言う、「自己実現や満足を得られる仕事であれば給料は二の次」タイプなのかも。

長宗我部元親(キャスト不明)

長宗我部元親
隻眼だったとは聞いてないが、今では歴女に大人気

一両具足を率いる四国最強の大名。だが、秀長・官兵衛のやられ役でもある。小牧長久手の戦いで信雄・家康連合に組した事が仇となり、秀吉から四国攻めを受けることとなる。一世一代の空城の計は看破され、重装備した植田城で足止めする作戦は無視され、進退窮まった元親は降伏したのである。そもそも無理ゲーなんすよ。3倍近い兵力差で3方向から攻め込まれて防戦したとしても持久戦に持ち込まれたら絶対勝てないし。だから一矢報いてやろうと思ったのに… 官兵衛空気読め。

北条氏政・氏直(キャスト不明)

北条氏政

外交官としても実績のある官兵衛。信長には息子を殺されそうになり道糞には幽閉されようとも、豊臣家の交渉事と言えば官兵衛におまかせあれ。と小田原城の開城交渉に見事成功する。秀吉の天下統一事業のフィナーレを飾るのもやっぱり官兵衛。

加藤清正(キャスト不明)

加藤清正
清正を想像するともはやこれになっちゃいます

賤ヶ岳七本槍のひとりで息子と仲が良い。当然三成とは仲が悪い。息子との方が接点が強いようにも見えるが、二人とも朝鮮出兵にて三成の讒言により蟄居させられている。慶長大地震では二人とも伏見城に駆けつけるが、清正は地震加藤となったが、官兵衛は逆に嫌みを言われてしまう始末。子飼いとそうではないの違いはあるけど、そりゃちょっとないんじゃない、と官兵衛に同情してしまう。その後、九州関ヶ原でも連携を図り、九州を席巻してたりする仲である。まぁ清正は個人的恨みを晴らしている部分もあるので、何とも言えないけど。

立花宗茂(キャスト不明)

立花宗茂
今じゃ嫁のが有名ってどういうことよ?

九州関ヶ原のクライマックスは鎮西一の剛勇でしられる宗茂。このときは官兵衛・鍋島直茂・加藤清正の連合軍であったが、やはり官兵衛といえば外交術。最後は直接交渉により柳川城を開城させる事に成功する。その後、宗茂を加えた連合軍で島津討伐に向かうが途中で和議成立により、解散。まぁ最後の島津討伐はデモンストレーションみたいなもんだから。省略されるだろうなぁ。


〜軍師官兵衛を支える黒田家の人たち〜

黒田長政(松坂桃李)

黒田長政
家臣にネタにされまくるのでこんな顔になっちゃいました

お前の左手は何をしていた?で有名な官兵衛の嫡男。幼少期、親父が幽閉されている時には危うく命を奪われそうになるが、竹中半兵衛の策により事なきを得たエピソードの張本人。脳筋ぽいイメージだが、親に似たのか交渉術にも長け、優秀で素直な人。また部下の意見をよく聞いていたそうだ、がまんしながら。けど、又兵衛だけは許さん。絶対に許さん。忠興も許さん。三成なんてもってのほかだ。お前らみんな死ね。

母里太兵衛(速水もこみち)

母里太兵衛
酒はのめのめのむならば〜

酒飲み。酒飲んでるか喧嘩してるかどっちかしか逸話が無い。官兵衛の息子・長政との口喧嘩は毎度のことだが、戦国時代とはいえあんた言い過ぎだろレベルで口が悪い。しかも言うこと聞かない。想像に反してなかなかのイケメンだったらしい。NHKはイケメン説を採用しもこみち君をキャスティングしたようだ。黒田家一の武辺者で、もちろん勲功もナンバーワン。『栗山善助(濱田岳)とは義兄弟の契りを結び、勇猛果敢な忠臣として常に先陣を切っていく。』とNHKのキャスト紹介では書いてあるが、頼んだ仕事の報告が無いので善助が探しにいったら、酒を飲んで仕事やってなかった。とかそんな逸話があるくらいなので、ほとんど言うこと聞いてないと思う。

後藤又兵衛(塚本高史)

後藤又兵衛
長政、うざいわぁ。あいつ、うざいわぁ。

真田幸村と双璧をなした大坂の陣での華々しい活躍によって、黒田家臣団の中では最も有名で人気者になった。黒田家の家臣としてずっといたのかと思ってましたが、一族が元別所家家臣だったらしく有岡城の下りでは一族が小寺家とともに別所側に組した(と誤解された?)ことで一度放逐され、再士官している。九州征伐や朝鮮出兵で大活躍し、関ヶ原でも活躍した。官兵衛の息子・長政をdisるのが趣味。

黒田一成

黒田一成
黒田家は水牛好き

有岡城幽閉時に、荒木家の家臣だった父・重徳が何かと便宜をはかり世話をした事に恩を感じた官兵衛が荒木家滅亡後、養子に迎え入れた人物。四国攻めや九州征伐で活躍し、母里太兵衛・後藤又兵衛と並び先陣を任される。兜がでかすぎて狙撃の対象になっちゃうお茶目な面も見せるが、個性豊かな黒田家臣団にあって、誠に律義者だったらしい。言う事を全く聞かない母里太兵衛や全然聞かない後藤又兵衛と違い、長政が当主になると軽んじられる事がないように尽くしたそうだ。とまぁ、どうも家臣団にネタ扱いされてしまう長政。戦国の張良と歌われる官兵衛と比較されたらそりゃ物足りないかもしれないが、長政だって相当優秀なんだけど。しかし官兵衛が天下人や諸大名との逸話が多いのに比べて、長政は家臣団とのネタ話が多い。と思ったが、諸大名とのネタ話も結構多い。長政は内外問わずいじられキャラだったみたいだ。


ぼじぃ市松まぁこんなもんか。後半は長政とゆかいな仲間たちになってしまったな。しかし黒田官兵衛、関わる人物かなり多いな。さすがは岡田君。

めがね治部少輔岡田君関係ないだろ。でも従来の超絶野心家説でいくか、事績だけを見るとむしろ戦以外では誠実な人だから、そっち路線でいくか見物だな。

ぼじぃ市松有岡城の幽閉から清洲会議までのダークサイドに堕ちた官兵衛の時のインパクトがありすぎて、謀略家なイメージがあるけど、基本的には自分が味方する人(や上司)の成功の為に最大限がんばる人だからな。超いい奴なんだよな。

めがね治部少輔そう。めちゃくちゃ頭切れるのに、いい奴部分のせいで間抜けに見えるという。有岡城は代表例だけど、主家の小寺は織田方から離れちゃうし、信長には信用されないし、秀吉にも信用されないし。本来なら政権の中枢にいてもおかしくない人物なのに、なんかずれているという。

ぼじぃ市松でも当人は別に気にしてなさそうだけよな。活躍する場があればフルスロットルでがんばるけど、本来引き篭もりなもんで、百姓の子供たちと遊んでる方が楽しいです。といった人だったんじゃないか。

めがね治部少輔つまり明日から本気出すで本気出したら本当にすげえ人ってことだな。来年の大河ドラマ”軍師官兵衛”はまだ本気出していない人必見の大河っつーことだな。俺にぴったりじゃないか!

ぼじぃ市松本気出してないってことじゃなくて、むしろやる時できるように周到かつ綿密な私生活を送っているが正解なんだけどな。じゃなきゃ秀吉が恐れないだろ。

めがね治部少輔如水は一日にしてならずってことだな。ともかく戦国時代の九州はいろんな政治的な理由で魅力的な武将がたくさんいるのに、あまりフィーチャーされないから、よかったかもしれんな。

ぼじぃ市松島津義弘しかり立花宗茂しかり鍋島直茂しかり全員大河クラスの英雄だが日の目を見なかったもんな。個人的には立花宗茂・鍋島直茂あたりはものすごく見てみたい。キャストも気になるところだ。清正公も期待大だな。

めがね治部少輔うむ。スタート前から熱くなる”軍師官兵衛”ここ数年の中で期待値最大です。

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大河ドラマ「平清盛」で出演を断られてそうな英傑たち

好評放送中の大河ドラマ”平清盛”。日本の水滸伝といっても過言ではない、源平合戦を舞台にした重厚長大の叙事詩と言えましょう。ただ登場人物が多すぎて(しかも名前が同じような名前なので)、スポットを当てる人によっては全く登場しなくなってしまうわけで・・・・

ぼじぃ市松平清盛おもろいな。でも源氏かわいそすぎるし、平氏は忠盛父ちゃんの時代には財力かなり持ってたはずなんだけど、ちょっと貧乏くさいな。

めがね治部少輔源氏、かわいそすぎだろー。義朝兄ちゃんばっかり可愛がられて、ほかの兄弟が全く出る気配ないし、なぜ源氏が東国に強い勢力をもったかは書かれんだろうからな。

ぼじぃ市松平氏の話だからしょーがないといえばしょうがないが、それにしてもドラマ上の設定年齢がいまいちつかめないから今からどんな目玉イベントが待ち受けているか?

めがね治部少輔とりあえず、海賊討伐が18歳の時だから、これからあるのが「重盛」「基盛」誕生、瀬戸内海の制海権を得る。時子との恋、ってとこじゃねーか? “大河ドラマ「平清盛」で出演を断られてそうな英傑たち” の続きを読む

2012年大河ドラマ「平清盛」の時代背景を大予習しようず!!

2000年代以降では義経以来の平安時代・もしくは源平の大河ドラマ。いつもは敵役の平清盛がなんと!主人公!!
う~ん。終わりが心配だなぁ・・・盛者必衰

めがね治部少輔『江』終わったな。後は『坂の上の雲』第三部で、来年からはいよいよ平清盛だな。

ぼじぃ市松歴史の中で巨悪とされた人物だな。現代から見るとどこが巨悪なのか判らないが、とにかく悪い人になってしまったよなこの人。

めがね治部少輔悪の印象が強すぎて、結局何をした人なのかイマイチつかめないんだよね。人物像が抽象的っていうか。

ぼじぃ市松清盛様と言えば、
音戸の瀬戸の開削を一日で終わらせたとか、
扇で太陽が沈むのを戻したとか、
高熱過ぎて胸元を歩いたネズミが丸焼きになったとか、
最後は駆逐した政敵達に呪い殺されたとか、
平家が滅亡しようとも頼朝の首を墓の前に持ってこい!と過激な遺言を残したとか
そんなところか? “2012年大河ドラマ「平清盛」の時代背景を大予習しようず!!” の続きを読む

2011年の大河ドラマ「お江〜姫たちの戦国〜」を大予習だ!

NHK大河ドラマ大奥シリーズ第三弾となる「お江〜姫たちの戦国〜」。江戸初期のおひいさまと言えば誰はばかる事無くこの人なんだけど、ちょっと影が薄いですよね….

ぼじぃ市松来年の大河ドラマ、お江だってね。ちょっと地味だよなー。

めがね治部少輔なんで? すげえじゃん。戦国〜江戸初期において姉妹でツンデレ対決を演出した姫じゃん。

ぼじぃ市松いやいや、どうせ秀忠と愛を育み、儚くも強く生きた女性群像!なんて設定になると思うんだ。

めがね治部少輔お江といえば、vs淀 vs春日局と歴史的女性陣と渡り合った女傑っていう感じで話を作っていくんじゃない?
つーか、是非そうして欲しいんですが。

ぼじぃ市松いや、多分違う。まず秀忠が朴念仁ではなく、父とは違って平和を愛した優しい男になってるはず。だって、秀忠役「向井理」だぜ! 

めがね治部少輔えぇ?水木先生? げげげの旦那じゃん!!!

ぼじぃ市松ということでキャストとプロフィールを紹介!! “2011年の大河ドラマ「お江〜姫たちの戦国〜」を大予習だ!” の続きを読む