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平安・源平

大河ドラマ「平清盛」で出演を断られてそうな英傑たち

好評放送中の大河ドラマ”平清盛”。日本の水滸伝といっても過言ではない、源平合戦を舞台にした重厚長大の叙事詩と言えましょう。ただ登場人物が多すぎて(しかも名前が同じような名前なので)、スポットを当てる人によっては全く登場しなくなってしまうわけで・・・・

ぼじぃ市松平清盛おもろいな。でも源氏かわいそすぎるし、平氏は忠盛父ちゃんの時代には財力かなり持ってたはずなんだけど、ちょっと貧乏くさいな。

めがね治部少輔源氏、かわいそすぎだろー。義朝兄ちゃんばっかり可愛がられて、ほかの兄弟が全く出る気配ないし、なぜ源氏が東国に強い勢力をもったかは書かれんだろうからな。

ぼじぃ市松平氏の話だからしょーがないといえばしょうがないが、それにしてもドラマ上の設定年齢がいまいちつかめないから今からどんな目玉イベントが待ち受けているか?

めがね治部少輔とりあえず、海賊討伐が18歳の時だから、これからあるのが「重盛」「基盛」誕生、瀬戸内海の制海権を得る。時子との恋、ってとこじゃねーか?

ぼじぃ市松く、詳しいな。どちらのWikipediaで調べられましたか?

めがね治部少輔NHKの「大河ドラマ 平清盛」公式サイトに載ってましたw 今は1135年、清盛18歳海賊討伐を受けて従四位下を授かるあたりだぞ。

ぼじぃ市松まぁな。しかし今から直近の目玉は西行「失恋の巻」と「祇園騒乱事件」だろうな。しかし、引き立て役とは言え源氏の影の薄さたるや悲しいもんがあるよな?
悪源太とか朝長とかは絶対出ないだろうしな。

めがね治部少輔鎌倉殿こと頼朝のイメージが強いからな。やっぱ遊女と御前じゃ格が違うんだろきっと。

ぼじぃ市松せっかくの源平の時代なのに日の目を見ない英雄たちが多々現れそうだから、ここで及ばずながら紹介しよう

めがね治部少輔たぶん登場しないであろう大河ドラマ「平清盛」の登場人物たちか?ちょっと何言ってるかわかんないな?


源為朝

源為朝
日本最強の地位を今も保ち続ける為朝さん。
義経・那須与一を足しても有り余る剛の者にして武家の習いのパイオニア。日本の呂布。

おそらく、日本史上最強の武士。
無双やBASARA系なゲームに登場すれば、本多忠勝でさえ一撃で殺されるであろう位な鎮西八郎

(大河ドラマでの)義朝関東下向後に生まれた為義の子。要は、義朝の弟。
弓の名手にして源氏の2代目カリスマ(初代はもちろん八幡太郎義家)。
彼の名が八郎の為、後の義経でさえ彼に遠慮して「九郎」と名乗ったと言う。(その前に義経は頼朝にもっと遠慮しろと思う)

13歳で素行不良の為、父”為義”に勘当され九州に追放される
流された先でさえ、鎮西総追捕使を自称して暴れ回り、3年で九州を統一する豪腕っぷりを発揮。御年16歳。

まぁ色々あって父の元に帰参した翌年に保元の乱勃発!! もちろん親父と同じ崇徳上皇側に付く。夜討を進言するが、退けられた上に逆に夜討ち仕掛けられるも、清盛軍を退け、次いで進撃してきた兄”義朝”軍も退ける。
手勢は28騎。為朝と直接争っても兵を疲弊するだけと判断した義朝は火攻めを行い、崇徳上皇側は大混乱に陥り、為義・為朝は撤退。

東国で再起を図ろうと為朝が主張するも、父為義は降伏。
為朝は一人東国に逃げるが、湯屋で捕らえられる
ちなみに兄”義朝”も平治の乱以後湯屋で暗殺される。源氏にとって鬼門は”村雨”よりも”風呂”なんじゃないか?説があったりなかったり。源氏棟梁は関係ないが太田道灌も風呂。
んで、伊豆大島に配流され、隠遁。

この伊豆で暇を持て余した為朝は、ほんの暇つぶしに伊豆七島を制圧し、プチ俺様王朝を作る
為朝にとっては、島流しや追放された先は、単なる遠征先、新しい遊び場でしかないことがよく分かるねw

伊豆の本来の支配者である工藤茂光は、為朝の好き勝手さに涙目で上洛、院宣をもらって大軍をもって討伐へ。
さすがの為朝も、これには抵抗しても無駄であろうと諦める。

まぁ、ただで諦めるのもつまんないから一矢報いておこうかなぁ、と、敵の軍艦に矢を放ったところ、一矢で軍艦を沈めてしまったw

その後、子息・為頼を刺し殺し、切腹
この切腹、日本最初の切腹と言われ、この後の武家の習いとしての切腹が定着化した。
要は、為朝の命日は、日の本の切腹記念日

そのほかにも実は討伐から逃れ、琉球王国の祖”舜天”になったとか、角が7本ある大蛇を倒したとか、骨太な伝説のオンパレードで、おそらく登場しない中では大河クラスの人物と言える。

源義賢

木曽義仲
息子の木曽義仲の田舎モノっぷりに、父も驚いたに違いない。
兄”義朝”を押しのけ嫡流となる予定だった、平家京追放の本当の立役者”木曾義仲”の父。

今回の大河では義朝は関東に下向した理由が源氏の再興ということになっているので、辻褄が合わなくなりまくりの人物。

義朝が関東下向し南関東に勢力圏を貼ると、父”為義”が対抗馬として北関東に送り込んだ。上野国を領し、武蔵国を婚姻外交で掌握する。

優秀な政治手腕を発揮し、近隣諸国まで勢力を伸ばそうとするも、義朝の長男”義平”(頼朝のお兄ちゃん)に館を襲撃され討たれる。
これまでも、この先もずっと内訌のせいで勢力を伸ばせないという事に全く気がつかない源氏のよくある日常になってしまった為、現代では全く知らなくても良い人物になっているが、木曾義仲が何故期待されたか?またなぜ頼朝に対抗しようとしたかという事を知る為には重要な人物、かもしれない。

源頼政

源頼政
華麗な流し目に、世を渡り歩く老獪さがにじみ出ている頼政さん
平家と仲が良い方の源氏。摂津源氏の嫡流で源氏の長老。

保元の乱、平治の乱ではうまく勝ち馬に乗り、中央政界に留まる。
ちなみにこの人、現在世間一般に知られる八幡太郎義家系の河内源氏ではなく、摂津源氏なので河内源氏からしてみたらあんまり関係ない人だったのかもしれない。

あんまり関係ない=内訌の対象とならない為、長寿を貫く。また清盛との相性も良く、晩年には清盛の推挙により従三位にまで昇る。清和源氏の極位が従四位下だった事を考えると破格の待遇を得る。
しかし、あまりの平家の隆盛に嫉妬したのか、「身はたとへ平家に屈すとも、とどめおかまじ源氏魂」ばりに以仁王と結んで平氏打倒を画策

が、得てして内緒は誰かがばらすもの。
あっさり露見し、平氏の追討軍に破れ切腹。これが日本二番目の切腹かどうかは定かではない。(切腹していないという説もある)。

しかしこの時の以仁王の令旨がきっかけとなり、源氏の各勢力が挙兵し平家滅亡へと繋がるのである。

ちなみに従三位なったのは清盛のお陰なのに、以仁王と画策し結果的には平家滅亡まで導いたその政治力と策士策におぼれる感じは安国寺恵瓊に通じると思うのは私だけでしょうか?
往年の世渡り上手を成功体験として晩年にもう一花咲かせようと思わなければよかったのに!
太田道灌や馬場信春など子孫に大河クラスの人物を多数輩出するんだし、よかったじゃん。

武田信義

武田信義
頼朝の勝利のカゲには武田信義あり。甲斐武田は俺が育てた。
甲斐武田の創造主。新羅三郎の曾孫で信玄の祖先。

以仁王の令旨により挙兵し、甲斐一国の実権を握る。というか元々甲斐出身の甲斐源氏。
富士川の戦いで頼朝と連合を組み、平維盛軍を破り、甲斐・駿河・遠江の三国を支配する。

子孫の晴信さんも出来なかった事を、初代さんがやってのけるッ そこにシビれる!あこがれるゥ!

しかも富士川の戦いはどちらかというと信義メインの戦いであったらしい。つまり富士川の時は頼朝と同格。さらにもう一人のライバル義仲を義経・範頼と連合し討滅させ、その後も宇治川、一ノ谷、屋島、壇ノ浦と兵を率い平家を滅ぼす。

戦勝の功は義経だけではないことを強く強調したいところだけど、自分が平家滅亡に軍を率いている間に、板東一体に勢力を伸ばした頼朝に差を付けられてしまう。子の一条忠頼を暗殺されたり、家格を一段下に下げられたりと陰湿ないじめを頼朝から受け失意の内に病没する。

実はこれ、源氏の伝統である内訌の元祖が新羅三郎で八幡太郎義家が死去した後、義家の嫡流”義忠”を暗殺にし、その後のお家騒動によって源氏100年の低迷の原因となった。その元凶として頼朝がずっと怨みに思っていたんじゃないか?とも思える。

平(藤原)景清

平景清
打倒頼朝さんな景清さん。俺より強いヤツに会いにいく。
源平三大絶食の一人にして、完全に平氏扱いされる源平討魔伝の主人公。

「ナムコもずいぶんマイナーな人を主人公に仕立て上げたもんだ。 あぁ浄瑠璃で有名でした。凄いところからゲームの題材持ってくるね凄いねナムコ。」とナムコの評価を一段上に上げた立役者。

平家きっての剛の者と謳われるが、実は藤原秀郷流伊藤氏。藤原なのに平家扱い。
「悪七兵衛」の異名を持つほど勇猛な武者。

実際、ゲームの設定通り、執拗に源頼朝の暗殺を図る逸話で有名。
地獄から甦り、頼朝を無事打倒できたのは1986年の話で、錣(しころ)引きの怪力を持つ豪傑。(ところで錣って何?という方も多いと思うので説明すると、兜から左右後ろに下がり、首筋を守る物です。景清は、あれを素手で引きちぎったとされています。)

壇ノ浦の合戦後捕らえられ、鎌倉幕府の御家人・八田知家に預けられる。その八田宅にて絶食して果てたと言われている。

源平討魔伝では、壇ノ浦で復活してゲームが始まるけど、実際には景清は壇ノ浦で死んでません!

関係ないけど、この八田知家、天性の戦下手で有名な小田天庵様の小田家の始祖で、小田城を築城したお方。

まぁ、大河ドラマにはお父さんである、伊藤忠清(役:藤本隆宏)が出てますから、景清も出てきますかねぇ。

平盛国

平盛国
絶食死した様子の鱸丸さん。スズキって出世魚だったかよ。
源平三大絶食のもう一人。平家の名家宰。

清盛の側近として仕え、保元・平治の乱では侍大将として活躍する。平家納経制作に関わる等、平家第一の郎党として存在感を示す。鹿ヶ谷の陰謀では密告者”多田行綱”の応対を行うなど、ナイーブな事柄も要領よくこなしていたみたい。
清盛の最期は盛国の屋敷であったと言われる。

平家が衰退し都落ちを余儀なくされると、盛国も従い平宗盛を支える
平家一門が滅ぼされ、捕虜となり鎌倉に送られ助命されると、日夜一言も発する事もなく、飲食を一切経って、法華教と向き合い絶食し、終には餓死に至るという壮絶な死を迎える
家宰として平家の興隆繁栄衰退滅亡までを見続けた人。その死に様は、将軍頼朝さえも感嘆させたとか。
できれば絶食などせずに、平家の言い分を書いた書物を記して欲しかったなぁ。

と、この盛国、大河に出てこないんだろうなぁ、と思っていたら「鱸丸=盛国」というまさかの展開になり、めでたく出演できるようになったとさw
くやしいのでそのまま記事に載せます。


ぼじぃ市松まぁ平家の話だから源氏の登場が少ないのはしょうがないかもしれないな。
またこの時代の複雑さは源氏平氏共に系統がまだ分派していない頃だし、同じような名前が一杯いるってのもあるけど、中央の光が強すぎて板東や西国の動向があまり知られていないんだよね。

めがね治部少輔調べりゃわかることなんだが、複雑すぎてな。名前とか立ち位置とか。そもそも平氏の譜代に藤原氏がいたり、源氏と一括りに言っているけど実際は
河内と摂津では系統が違ったり。そもそも治天の君制度がイマイチ説明しづらいこともあるし。その辺、大河では全然言ってないね

ぼじぃ市松大きい流れとして、承平・天慶で武家の存在を認識し、前九年・後三年で武家の存在を利用する事を覚えた皇族・貴族。保元・平治で武家が自信を付け、治承・寿永(源平合戦)で主役の座を武家に取って代わられ、承久の乱で武家が権力を掌握する事に成功した。と考えると935年から足かけ286年かけて権力構造を変革したって事だよな。

めがね治部少輔結構長いなぁ。江戸時代より長いな。まぁすこし誤解を招く表現もあるが概ね間違っていないよな。時代が古いから時間の流れもゆっくりしていたんだろうけど、この変革に対する時間のかけ方が実に日本的だよな。そりゃ改革できないわけだ。

ぼじぃ市松ほかにも登場しなさそうな人物は一杯いるが、700年の封建体制の維持の立役者達なんだから、この時代をもう少しフィーチャーしてもらっても良いだろうな。番外編とかで。

めがね治部少輔そうそう。元々板東は平氏、西国は源氏だったのが、いつの間にか逆になってさらに板東では源氏同士(しかも義家流同士)が争い疲弊していたのに、突然平家打倒に一致団結するのも理解しかねるし、権力を掌握したかと思いきや、いきなり内部抗争に明け暮れて後鳥羽上皇につけいる隙を与えちゃったわけだし。

ぼじぃ市松後鳥羽上皇との下りは、結果オーライだったちゅー事だわな。基本源氏正義、平家(特に平清盛)悪のイメージにもかかわらず、源氏の方がやることエグいとかな。後白河法皇を幽閉した!なんてひどい事をするんだ平家は。と言っていた源氏な人達が後鳥羽上皇を隠岐に流しちゃうし

めがね治部少輔まぁまだまだ鳥羽上皇全盛の時代だから、今回紹介した出ないかもしれない英雄達の登場は先の話だな。

ぼじぃ市松背後関係を調べながら大河ドラマを追っていくのも面白いな。

めがね治部少輔今後も、視聴率が低迷気味な大河ドラマ、”平清盛”に期待しよう!!

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