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九州悪党三国志 〜戦国悪人列伝 その弐〜

九州男児と言えば、一本気で逞しく、酒豪である!と豪傑な男を想像します。「立花道雪」「高橋紹運」「島津家久」「島津義弘」といった九州男児の典型とも言える男達が歴史の表舞台で活躍する裏で、おもろい九州男児が多いことも事実です。今回はそういった九州男児の残念な部分を紹介します。

ぼじぃ市松前回から間が空いたけど、悪人列伝シリーズやるぞ!今度は九州編だ。やっぱすごいよな戦国九州三国志。

めがね治部少輔前半は地味だろー。前半の争い少弐氏と大内氏と大友氏の初期三国時代っていっても、いまでいう福岡・大分・佐賀・長崎の一部と小さいエリアでの覇権争い。今川了俊が務めた最重要ポスト”九州探題”があるのに、歴代の九州探題家 “渋川氏” 全然目立ってないし

ぼじぃ市松目立たないうちに滅亡…。まぁでも中期はわりと有名じゃないか?大友・毛利・龍造寺。まぁこれも九州北部のあらそいだけど。ところで島津、いつまでちんまい争いしてんだよ!

めがね治部少輔後期が有名な、島津・大友・龍造寺だな。それまでは本州の影響が残っていたが、ここからは九州男児の漢(ヲトコ)争奪戦だしな。

ぼじぃ市松人物的には、熊、ドンフランシスコは確定だろ、あとは甲斐宗運?

めがね治部少輔忠臣という名の家族愛ゼロ宣言の人か。化け猫直茂さんもやっとくか。

ぼじぃ市松直茂さんの場合は、半分は不可抗力っていうかなぁ。あとは狂信者有馬晴信か。まぁあんまり多くしても長くなっちゃうから、これくらいでいってみよー


甲斐宗運

甲斐宗運
それにしても、この甲斐宗運、ノリノリである。
主君の為ならミナゴロシ。忠節の名の下にあわや一族を滅亡に追いやり、親友を奇襲した肥後もっこす

肥後もっこすと言えば、「肥後の頑固者」という意味らしいですが、この人のもっこすは「猜疑」。生涯不敗な「常勝坊主」こと甲斐宗運ですが、必ず強い方に付く阿蘇家の筆頭家老です。

そう、彼がナチュラル・ボウズ・キラー

デビュー戦で島津に内通し叛旗を翻した御船房行を討伐し、内通者には粛正を!に目覚める。
阿蘇家の存続という美名の下に、こいつちょっとあやしいよね?と伊藤家内通を疑われた黒仁田親定を討ち、外交は柔軟でないとネ!と伊東氏と通じようとした宗運の次男”親正”、三男”宣成”、四男”直武”を誅殺
なにがしたいんだか全く分かりません。そんな親父怖すぎるんでどっか行って!と排斥運動を始めようとした嫡男・親英をも誅殺しようとしたが、さすがに家臣も「坊主ヤリ過ぎ」と嗜めたようです。
ちなみにこの親英の奥さんは黒仁田親定の娘です。

まぁ、こう見えてワタクシ坊主なんです
あの松永久秀ですら、あの斎藤道三ですら自分の子供に手をかけなかった(まぁ道三は負けちゃったんですが…)のに、この人はホント人でなしです。
宇喜多直家ですら、息子・秀家の将来を案じ、秀吉に託したというに…

でも忠臣。超忠臣。

このころの肥後は南に島津、北に龍造寺、東に大友と3方を大蛇に睨まれたカエル状態。元々阿蘇家は大友家派だったんですが、耳川の戦いで破れた大友家に、それでも信じます!と、忠節を誓った後に龍造寺に鞍替えした。その頃マブダチの相良義陽は島津からの圧迫に絶えかねて、島津へ従属。

しかしマブダチの義陽は「俺、島津に付いたふりして島津を連れてくるからさぁ。一緒に島津を撃退してオトコあげちゃおうぜ!」とちょっと間の抜けた謀略だが、まぁ新進気鋭の島津を叩いて一気に躍進したいと考えていたみたいです。

ところが、引き寄せて引き寄せてもう限界ってくらい引き寄せてからフルボッコにするのは島津のお家芸。そんな庇護の小大名の策略なんかに乗らず中々出てこない。
俺の辞書に「信じる」という言葉は無いと豪語する宗運(でも坊主)
あいつ裏切ったな!と確信し、霧立ちこめる中、義陽の不意をついて攻撃。あわれ義陽は戦陣の露と消えたのでした。
この話の中で美談も残っているけど、子殺しの宗運さんはこっちが正解だと思うぞ。

島津に対抗していた阿蘇家(といっても宗運が無理矢理しむけた感じがする)でしたが、相楽家という防波堤を失った阿蘇家に島津と対抗する力は無く島津家と和睦を結ぶ。まぁ和睦と言っても島津が有利なんで島津がもちろん条件を出します。それを一切履行せず、阿蘇家の旧領を返せ!とか、いやぁ条件が悪すぎるんだけど、お前、源頼朝の御落胤とかいってるけど俺平氏だし関係ないんだよ!と、どこぞのならずもの国家のような外交を行い、阿蘇家の命脈を保つ。

さすが忠臣。

そんな忠臣の美名に酔いしれていた宗運に悲運が起こる。
親を殺され自分の愛する夫まで殺されかけた親英の奥さん(つまり息子の嫁)が娘(つまり孫)をそそのかし、宗運を毒殺したのだった
子供よりも孫の方が可愛いのはいつの時代にも適用されると見えて、子供に対して行った苛烈な処断も猜疑心も孫娘の事はみじんも疑わずあっさりと死亡。
ちなみにこの奥さんに宗運は、黒仁田親定(つまり父)を謀殺するに当たって、「怨んじゃ駄目!絶対!! 宗運に復讐しちゃ駄目!絶対!!」と無茶な要求を神に誓わせたそうです。
坊主ですがこういうときは神の手を借ります

さすが忠臣。超忠臣。

特技
戦(生涯不敗)。まがった忠節。
最近の悩み
息子達がマイナー大名に興味を持つんです。

有馬晴信

有馬晴信
まさに今、マーデレデデウス号に討ち入りせん!と意気込むジャン有馬さん
切支丹大名No.2″ドン・プロタジオ”の、壮絶なるその場しのぎ人生

父義貞、叔父大村純忠とは違い、当初は切支丹を迫害していたが軍事面や貿易面での利点を感じ洗礼を受ける。親父も叔父貴も切支丹なので、なってしまえば結構熱心に耶蘇会(キリスト教会)の活動をしていたみたいです。その分、恩恵もザックザク!!
そして有名な天正遣欧使節をキリシタン大名No.1ドン・フランシスコ(大友宗麟)と叔父のバルトロメオ(大村純忠)とともに名代としてヨーロッパへ送った。つか、どっちかというと送りっぱなし。

近隣の大大名龍造寺の圧迫を受け、島津と結び対抗する。といっても微力にすぎないので、とりあえず貿易と教会建設に尽力した。そうこうしているうちに島津が沖田畷の戦いで龍造寺隆信を滅ぼす。いよいよ九州統一の大事業を完成させようとする島津を、天下統一の方がもっと大事業っぽいという理由からか、島津を手を切り豊臣に臣従する。

宣教師から依頼があった奴隷貿易も熱心に行い、寺社を破壊した資材で教会を建設するなど、非常に熱心な切支丹活動を行っている。

その後、天下統一に伴う異動でご近所さんにアウグスティヌスこと、小西行長が引越してきたので、以降はアウグスティヌスの元で活躍する。朝鮮出兵にも従軍し7年間も朝鮮で過ごしている。

「異国の地で踏ん張れたのは耶蘇のおかげです」

そして運命の関ヶ原では切支丹仲間のアウグスティヌスを救うべく、自国にとどまりながら西軍に属す。
がどっこい、関ヶ原での西軍敗戦の報を聞くとアウグスティヌスの居城を攻める。
これにて所領を安堵される。

みんな誤解しているかもしれないが、アウグスティヌスがいない今、このままアウグスティヌス領を見過ごしていたら、髭野郎が侵攻してくるだろ!?
そしたら切支丹なで切りだぜ。だから俺はそれを防ぐ為に涙をのんで日本の切支丹保護の為に…という話は全く無い。

徳川家康に接近し、
「台湾取ってきます!俺、海外生活長いんで自信あるんっすよ!」と鼻息も荒く台湾に出兵したが、なかったことに。

時、同じくして、貿易大好きのプロタジオの貿易船乗組員がマカオでポルトガル人に殺されるという事件が起きた。
怒り心頭のプロタジオ、親分家康に許可を得た後、長崎に寄港していたマーデレデデウス号を攻撃。見事撃沈。
その後本多正純の股肱之臣にして、17世紀最大の詐欺師・岡本大八の「家康公が撃沈っぷりを褒めてたよ。褒美に旧領を戻してくれるってよ!」と嬉しくなるようなことを言っちゃうので、裏を取らずに貿易で貯めたお金を渡しまくる。
でも旧領復帰の話は一つも出てこない。

不満に思ったプロタジオは、本多正純に直談判。
え?直談判の相手を間違えているのでは?と思うかもしれませんが、例え息子が家康血縁の嫁をもらっていたとしても、せいぜい4万石程度の小名の上、元々西軍についていたプロタジオに家康公が謁見するわけがないんです。
お相手は将軍様デスぞ!

そんな話知らないよ?と大八に確認した所、渡した金は全部着服していたという詐欺師冥利に尽きる犯行で、大八は火あぶり。プロダジオは切腹となった。切支丹なので切腹しなかったそうです。

ちなみにこの大八つぁんも切支丹でパウロと言います。
少ない切支丹同士手を取り合って生きていけばいいのに裏切ったり騙したりと全然キリスト教の教義を分かっていない人達の話でした。

まぁ、息子の有馬直純は、キリスト教を棄教し、なんとか大名として残りましたとさ。

特技
時勢を読む!(と本人は言っています)
最近の悩み
うわぁ器ちっせーと言う声が良く聞こえてきますが気のせいでしょうか?

大友宗麟

大友宗麟
まじめな顔してますけどね、人妻への想いにふけってる最中ですからね。
でた!キリシタン大名の大本命。オレ様王国の創立を目指す、九州変態大名。

自分より異母弟をかわいがる父”義鑑”に嫉妬し、弟の寝込みを襲い暗殺。
弟の母も暗殺。
ついでに義鑑もこのとき重傷を負い、翌日に死去。
義鑑の遺言により宗麟が家督を相続する。同時に反宗麟派だった家臣団を粛正。あ、でもこの暗殺は自分がやったんじゃないんで首謀者と思わないでね。秘書(家臣)が勝手にやった事です

その後、大内家の内訌に乗じ、弟を大内家の新当主として送り込み、なんか俺いい感じに戦国大名してるんじゃね?と有能な戦国大名の片鱗を見せる

叔父の菊池義武の反乱を退け肥後に勢力を置き、ザビエルを招いて宣教を許可する。
切支丹なんぞ認めん!と骨太九州男児な家臣団に相次いで謀反を起こされる

さらには弟(大内義長)が毛利に攻め込まれ自害し、大内氏が滅亡!秋月氏なんかはあっさりと毛利側に寝返る。ココは真面目にやりました
毛利勢力を北九州から駆逐し、豊前筑前の守護となり九州探題に補任される。(金で地位を買って)

再び毛利が攻めててくるが、これを立花道雪が撃退。その勢いで龍造寺を攻めるがまたまた毛利が攻めてくるので、周防上陸というアクロバティック作戦を敢行し毛利を撤退に追い込む。
と、ここまでが英雄・大友宗麟のお話。

ココから本当にあった宗麟のお話

  • 京都に政情視察と称し美女を物色し、好みの美女を略奪
  • 服部右京亮の妻を略奪
  • 一萬田親実(重臣です)の妻に一目惚れ!戦に出向いている最中に寝取り、武士の恥と切腹に追い込む
  • その他にもキリスト教をめぐって理解を示さない妻と一方的に離縁
  • 九州のゴシップには欠かせない男へと成長していく。蛇足だが、人妻好きで熟女好みだったそうだ。家臣からしてみたら迷惑な話。
  • 人妻好きで熟女好みは、毛利輝元もですが。
  • 切支丹時代には理由も無く大化の改新頃に建てられたと言われる羅漢寺を焼き討ちしたり。

やはり、そんな事ばっかりするので、裏切りは続く… 頑張るのは立花道雪と高橋紹運の2大名将

そして運命の耳川の戦いが始まる。いよいよ島津の九州統一戦に巻き込まれた大友家もいよいよ本気になった。日向の伊東氏の救援を名目に出陣する将兵を率いて柚須原八幡に参拝。
ゲンを担ぐ為に八幡様に矢を進上すると言って、矢を社壇に向って射ち込んだ
将兵にも強要し、社壇は矢に覆われてしまった。なんて事をするから、将兵の士気はだだ下がり。あんたは切支丹だからいいかもしれんけど、勘弁してくれよ大将。
しかしそういう神をも恐れぬ所業ばっかりやっているから、ベッキーことライジングサンダーこと雷神様に怒られたりしている

特技
寝取ったり〜!
最近の悩み
家臣が耶蘇を毛嫌いします。人妻を見るとドキドキしますが、これが恋でしょうか?

龍造寺隆信

龍造寺隆信
母も未亡人なら、妻も元未亡人。そう私が、クマーです。
五州太守こと肥後の熊は、九州唯一の成り上がり?

前半生はムゴいんですよこの人。主君少弐氏への謀反を疑われた祖父・龍造寺家純と父・龍造寺周家が粛正され、曾祖父兼家に連れられ、蒲池鑑盛の元に庇護される。その後粛正の実行犯”馬場頼周”を討ち見事にお家再興したのがひいおじいちゃん。
これだけでも涙無しには語れないのに、実のお母さんがなんと家臣の嫁になっちゃった!!
おかげで家臣の鍋島直茂とは異父兄弟という事に。できればお母さんにはもっと遠くへ嫁いでもらいたかったのが少年隆信の心境です。

まぁそんなこんなで荒れ狂う世間の波に恨み節になった隆信は、元凶の素である少弐冬尚を追放し、本家筋である龍造寺胤栄が死んだのを好機に、未亡人を娶り、本家の家督も継承した。なんか未亡人略奪戦の様な雰囲気ですが、コレはあくまで政略結婚です。
ついで周りの誰よりも強そうな中国の覇者・大内義隆に臣従し、偏諱をさずかり、隆信を名乗る。
こうして見ると戦国初期の西国に置ける大内氏の影響力のすごさにビビります。

残念ながら、絶大な影響力のあった大内義隆が陶晴賢の謀反により死去すると、家臣らによってまたしても追放
「追放されたら蒲地氏へ」というキャッチコピーでもあるのか?再び蒲池鑑盛の元に身を寄せる
良い奴ですね蒲地。ナイス蒲池。

その後蒲地氏の援助により勢力を回復し、今度は少弐冬尚を自害に追いやり、肥前一国を平定寸前まで上り詰める。しかしポスト大内最有力の大友宗麟がだまっているわきゃぁない!肥前に攻め込み風前の灯……と、思いきや新進気鋭の毛利元就が九州奪還に燃えていた為、事なきを得る
しかし毛利勢力を駆逐した大友家が今度は6万の大軍で押し寄せる。もはやここまでか!?の状態を鍋島信茂(この頃は”信生”)の奇襲作戦により、撃退。有利な条件で和睦を結ぶ。有利とはいえ国力の差はイカンともしがたく、従属してます。

しかし転んでもただでは起きないところが熊たる所以。
従属を奇貨とし、近隣地域に進行しては占領したり、従属させたりしています。その度に大友家も詰問状を送るけど、意に介さず攻めまくり。まぁこのおかげで肥前を統一したんですが。

肥前統一に燃えていた龍造寺に一大転機が訪れる。耳川の戦いである。

大敗を喫し、斜陽に向う大友家を尻目に勢力の拡大を目論み、大友家の領土を削り取っていく。そうこうするうちに5州2島の龍太守にまで上り詰めるが、どうしても柳川城が欲しい。追放された自分を暖かく迎え入れ、援助までしてくれた蒲池鑑盛の息子”鎮並”。
佐賀城に来ない?と誘います。
名前から分かる通り、蒲地家も大友家に従属しており(後に龍造寺へ従属)、(大友家へ)従属時代からの行動に疑問を持っていた、鎮並は渋ります。
しょうがないので、「絶対何もしません」という誓書まで送り佐賀城へご招待。もちろん片道切符。佐賀城へ来た蒲地一族を皆殺しにし、つづいて弟の蒲地統春も攻め滅ぼします。こうして筑後の実力者”蒲地家”は歴史の露と消えましたとさ。

余談だが九州の人たちはサディスティックな君主が多いらしく、この攻め滅ぼした時の大将は “田尻鑑種” 。
奥さんが蒲地家の人です。自分の奥さんの実家を族滅させるのはやりきれなかったでしょう。

大恩ある蒲地家を族滅させた光景を目の当たりにしてビビったのが、肥後の赤星統家。息子・娘が人質にいる事も忘れ、叛旗を翻します。息子・娘はもちろん磔。自分の裏切りは多めに見てもらいますが、家臣や味方の裏切りは一切許さない。揺るぎない方針です

しかしこの光景をみてビビらないはずが無い男がもう一人。
空気の読める男”有馬晴信”である。この熊に付いていったら耶蘇の教えを広められないと思った晴信は島津と誼を結び対立する。

裏切りは絶対に許さない隆信は全軍を率い有馬討伐へと向う。対するは島津家久。

島津の必殺奥義「釣り野伏」に見事にハマり、全軍混乱状態にある龍造寺軍。
慣れない大軍を率いてきた為、前方の様子が分からない隆信が押し出してきた所で、島津得意の抜刀突撃。

輿を担いでいた力士達は一斉に逃げ出してしまい、あわれ隆信、泥の中。身動きを取れない所を首を取られ、龍造寺軍大壊滅。

戦陣で首を取られてしまうという、戦国大名としては、今川義元公以来の負けっぷり。
この沖田畷で龍造寺の栄華は一代の夢と消えてしまったのだった。

後日談で、首を返還しにきた島津の使者に対し、鍋島直茂が「いらんわ」とその首を投げ返したという伝説もある。

特技
恩を仇で返す
最近の悩み
義弟が優秀なんですが、なんか信用出来ません。冷たい目線を感じます。

めがね治部少輔九州三国志っていうけどさー、みんな曹操だよね。性格が。

ぼじぃ市松このころから九州って、「九州男児」的なイメージってあったんすかね? なんか、九州の武将には柔和さを感じないんすよw

めがね治部少輔立花道雪の、養子・宗茂の育て方なんて、現代だったらさぁ、即こども相談所行きだし。行政が動くぜ。

ぼじぃ市松まぁ逆に、九州の梟雄なお話は、陰湿さやねちっこさをあまり感じませんなw
ええ話や!

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