おそらく、お江の死までがお話として放送させるでしょうから、先にお江の死後の歴史も予習しておきましょうかね。
5月の時点で、羽柴秀勝への再嫁のくだりになるしな。彼女の旦那調教の本格化もこれからだ。
こちらのサイトにも、検索からで訪問くださる方もいらっしゃる方もございまして、「お江 子孫」のキーワードも多いことですし、お江の子孫をサクッとまとめてみようかな、と。
いつも好き勝手やりすぎてるので、たまには需要のある記事でも書いてみようかなぁ、
と下心丸出しでございます。みんな読めよ。
お読みいただいている方は、いつもありがとうございます。
つか、下心でしか記事を書いたことがないけどな。
ということで、以下、お江の子女とその子孫の簡単なまとめにございまする。
豊臣完子 → 九条道房 → 昭和天皇、今上天皇
いきなりビッグネームな子孫が!日本においてこれ以上のビッグネームはないよなぁ。
お江の2番目の夫である、豊臣秀勝との間にできた女子。
秀勝が病死した後、江は徳川秀忠と再婚。その際に、完子は、淀殿である淀君に引き取られ、後に関白となる九条幸家の元に嫁ぐことになります。後、大坂の陣にて豊臣家の滅亡後は、秀忠と江の養女扱いとなっています。
この、完子と九条幸家の子孫が、大正天皇皇后である貞明皇后であり、昭和天皇の母となります。
ということで、今上天皇と、それ以降の親王および内親王は、すべて江の子孫となりますね。
というか、現在の皇室は、織田家・浅井家・豊臣家の血を引いていることになります。
なんか、浅井の血が一番天下を取ってるような気がするよなぁ。
徳川家光 → 家綱、綱重、綱吉 → 家宣 → 家継
徳川秀忠とお江の間に生まれた長男、家光。言わずと知れた、生まれながらの将軍(伊達政宗命名)。
家光系の系譜としては、家光の子として、4代将軍・家綱、5代将軍・綱吉。
孫に6代将軍・家宣、曾孫に7代将軍・家継と続きます。
ただ、家継は、わずか6歳で亡くなり、ここで家光系の江の子孫としては途絶えています。
家光くんは、男色大好きっこの割には、男子をそれなりに残してて偉いわねぇ。
徳川忠長
秀忠とお江の次男、忠長。江の叔父である織田信長の面影があるとして、江に寵愛されますが、悪知恵働く春日局の策略により将軍にはなれず。後に、家光お兄ちゃんをいろいろと怒らせて、改易・自害へと追いやられます。
その後の家光お兄ちゃんは、味を占めたのか、大名改易マニアと進化しました。ドSっすね。
千姫 → 岡山藩池田光政系の子孫
徳川秀忠とお江の間に生まれた長女、千姫。ご存知のように、最初は豊臣秀頼の元に嫁ぎます。
大坂の陣にて豊臣家滅亡後、一旦徳川に出戻りまして、本多忠勝の孫である本多忠刻に再嫁します。忠刻との間に、一女一男を儲けますが、長男・幸千代は早世。
長女・勝姫は、池田光政の正室となり、以降、岡山藩池田家の系譜は、その子孫となります。
しかし、第6代藩主・池田斉政には嗣子が生まれず、娘婿として、薩摩島津家から池田斉敏(島津斉彬の実弟)を養子にとります。が、この斉敏にも嗣子が生まれず、ここで、江の子孫としての光政嫡流の池田家は途絶えてしまっています。分家からの血筋が残ってるようですけどね。
珠姫 → 加賀藩前田利常系の子孫
徳川秀忠とお江の次女、珠姫。関ヶ原の翌年、前田利常のもとに嫁いでいます。わずか3歳のとき。
その後、3代藩主となる前田光高が誕生。以後、加賀前田家では、他家からの用意縁組もなく、利常の系譜で、江の血が代々次がれていくことになります。
なお、この光高、子どもの頃、伯父にあたる先述の徳川家光に超気に入られ、どこに行くにも連れて行かれており、男色のお相手じゃね?と噂されていました。
前田家では途中、三大お家騒動のひとつ、加賀騒動が起こりますが、5代藩主・前田吉徳の実子の多さが幸いして血統は守られています。もちろん、現在の前田家においても、お江の子孫となりますね。
ちなみに、珠姫と前田利常は、非常に夫婦仲がよかったとされており、珠姫の衰弱死のエピソードは悲しすぎる…
勝姫 → 福井藩松平忠直系の子孫
秀忠とお江の三女、勝姫。従兄弟である、福井藩2代藩主の松平忠直(結城秀康の長男)に嫁ぐ。間に、松平光長が誕生。
心の病になってしまった夫・忠直に殺されかけていたりする苦労人。
子の松平光長の嫡男、松平綱賢には嗣子ができず、ここで途絶えています。
ちなみに、この勝姫、孫の国姫が松平光通に嫁いだ後、嫡子問題に口をはさみ、国姫と光通を自殺に追いやってたりする怖い女性でもありました。こえーよ。
和子 → 明正天皇
秀忠とお江夫妻の五女、和子(まさこ)。12歳の時に、後水尾天皇の中宮として入内。第109代天皇である明正天皇の母となります。明正天皇は、859年ぶりに女帝であります。「女性の天皇は独身でなければならない」という皇族の中での暗黙の了解があったため、皇族の中に徳川の血を残したくない後水尾天皇が、娘を天皇として譲位したとされます。
なので、明正天皇には子はなく、ここで途絶えています。
ちなみに、和子を「まさこ」と珍しい読みになったのは、皇族では、名前の読みに濁点が入るもを嫌っており、「かずこ」を無理矢理「まさこ」と読むように変えたそうです。
おおー、さすが、本能寺の変の直後に明智キンカン光秀と対面したり、信長の亡霊に取り憑かれていたり、蘭奢待を軽くプレゼントされたり、関白秀吉に暴言を吐きまくるおひいさまの子孫。ただならぬですな。
大河ドラマ、ディスってないか?それ。
つーか、分家なども辿れば、もっといっぱいの子孫がいらっしゃいますが、それは省かせてください。切りがないから!
現在の皇室が、お江の血を引いているって、大河ドラマで説明するんかなぁ。
もうすぐ、秀勝と結婚して、完子が生まれるでしょ。そのとき。しねーよなぁ。
まぁ、最終的には徳川秀忠の御台となるわけですが、現在まで残っている血統が、皇室と前田家ってのが皮肉だなぁ。
しかも、豊臣の血筋だし。
浅井は、戦国大名としての評価は別として、血統としては最強だね。結果的に。
織田、豊臣、徳川、皇族も翻弄された、浅井の血!湖北の英雄!
浅井長政も、信長も天寿を全うしてたら、こうはならんかった気がするなぁ。
ではでは、今からは、来年の大河ドラマ「平清盛」に期待するとしましょうか!
ちょっとまだ早いよね、それ?
江、見たれよ!
中央公論新社
売り上げランキング: 51765