なが〜く愛して、深〜く支配。長寿政権はどれだ?

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祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きありと昔から良く言われ、永久不変なものは無いといわれますが、 ここ日本でも長期政権に成功した一族や一党がいます。
彼らの業績もさることながら、長く続けたということも文化の発展、国家の成長を促したのではないでしょうか?そんな時の権力者の栄光と挫折はいかに?

ぼじぃ市松最近は首相がコロコロ変わるじゃん。逆に長い間政権を取っていたのって誰なんだろうね?

めがね治部少輔長い間政権を取っているというと、時の権力者ちゅーことだろ?藤原氏とか蘇我氏とか源氏とか平氏とか北条家とかそんなやつ?

ぼじぃ市松そうそう!実際に政権を取っていたグループとか一族とかそういうのはなんだろうね?

めがね治部少輔解釈が難しくね?江戸時代だったら、新井白石とか田沼意次とか一代で終わっちゃう政権もあるし。

ぼじぃ市松そういうのは決裁権のある徳川家で。得宗専制体制の内管領とかも入れないで、北条家としてカウント。

めがね治部少輔ご都合主義だな。役職就任とか弱体化したとかは抜きにして影響力を行使した時代という事で計算してみよう。長期政権の候補としては「藤原氏」「平氏」「源氏」「北条家」「足利家」「豊臣氏」「徳川家」「薩長藩閥体制」「自民党」ぐらいか?蘇我氏はどうする?

ぼじぃ市松昔すぎて、わかんないし大和連合政権で、完全な天皇中心国家ではなさそうなのでいれない。それでは早速いってみよう!


第8位(同率)
良い国作れた?鎌倉幕府。日本最初の幕府政権は意外と短命でした… 「源氏」 18年

源平合戦の図には頼朝書かれてねーんだろーなー

源頼朝が全国に守護地頭を設置した1185年からか奥州藤原氏を平定し右近衛大将に就任した1189年にするか、鎌倉幕府成立の1192年にするかは迷うところだが、1185年を今回は採用。

三代将軍源実朝までを入れたいところだけど、比企氏が滅亡し、北条家が台頭、修禅寺への幽閉された1203年までとするのが妥当かな?
18年。さらにこの翌年、源頼家さんは北条家に暗殺される。北条あくどすぎ

政権創業者は日本最初の幕府政権を樹立した源頼朝。御恩と奉公という当時としては画期的なシステムを確立し、幕府が本領安堵の保障と新恩給与を行う代わりに、御家人が軍務的役割(それに付随する経済的役割)を返すというギブアンドテイクな関係で幕府を運営した。政権発足当初は東国の独立王朝的姿を目指していたともいわれる。

源実朝暗殺後、政権を奪った北条家もこのシステムを継承し、承久の変では敗者の後鳥羽上皇荘園領等数多くの荘園をゲットし、ギブアンドテイクの底力を見る。


第8位(同率)
浪速のことも夢のまた夢。戦国一の出世頭はくしくも源氏と同じ寿命「豊臣氏」 18年

織田政権も乗せたいところだけど、天下統一していないから却下。関白就任か奥州仕置で解釈が分かれるが、関白就任で。だって逆らえば朝敵ですから。末期は徳川家康の征夷大将軍就任としておく。

たぐいまれなる外交手腕とひとたらしで天下統一事業開始からわずか8年で天下統一。織田家の遺産を引き継いだとは言え、親族でも譜代の家臣でもなく後ろ盾も無い人物が天下を統一したのは偉大。

貨幣や流通経済に注目しており、作物のとれた量から年貢をとるのではなく、土地の価値から年貢を取る検地は現代の固定資産税みたいなものなので、経世家としても優秀だったことが伺える。飛鳥時代の天皇家以外で国外に野心を燃やした人としても当時の日本人の想像の遥か上をいく人物。

またイベント好きで北野大茶湯などのビッグイベントも成功させる。これなかったらノ貫なんて誰も知らんかっただろうな。侘び寂びの茶の世界に黄金の茶室とある種のアナーキーさも持ち合わせているけど、それは織田信長の影響かも。政権末期は武断派と文治派の対立が鮮明になり、重鎮の徳川家康に利用され弱体化。無力化した豊臣氏は滅亡への道へと進むのだった。


第7位
おごれる平家久しからず。それでも最初の武家政権です!「平氏」 25年

壇ノ浦の戦い義経め〜

伊勢平氏平清盛が1160年に正三位参議に補任された頃からスタートし、1185年の壇ノ浦の戦いによる平氏滅亡まで。

藤原氏の政権運営方法を踏襲しつつも武力を背景に脆弱な基盤の中で強権を振るう。全盛期には「平家にあらずんば人にあらず」と歌われるほど繁栄した。なによりも日本最初の武家政権にして武家最初の太政大臣。貿易に注目し、都を京から福原への遷都を試みるが、空気の読めない公家達の反発や恨み節な源氏の反撃にあい失敗。まだ幼かった頼朝、義経を助命したことが仇となり滅亡へと繋がる。

創業者清盛は大天狗と称される後白河法皇との権力闘争に打ち勝ち、ついには法皇を幽閉するという実力行使に出る。この後は流罪に処される上皇や天皇も数多くいるが、当時法皇を幽閉するなんて信じられない暴挙だったと想像するに難くない。清盛の嫡男重盛は本当に優秀な人物だったらしく、当時の文献等でも高い評価を受けているが、後白河法皇と父清盛の板挟みにあい、早世。優秀だったけど早死にしちゃった無念な人の中でもっとも信憑性が高いと思われる。

清盛死後は源氏の反撃にあいあえなく滅亡。しかも安徳天皇もろとも滅亡という本気度マックスな滅亡方法に涙しない者はいないと言われる。


第6位
東アジア最初の立憲君主制。途上国から列強へと発展させた坂の上の雲!「薩長藩閥」 50年

山縣有朋

一家ではないけど持ち回りのため。ほぼ明治時代といっても過言ではないが、間の三条実美・大隈重信・西園寺公望などは薩長と同じと考え、明治維新(1868年)から原敬内閣(1918年)成立まで。

幕末から活躍した人物から連なる薩摩・長州出身の人達によって運営される。仕事よりも権力が好きな山県有朋等もいるが、それでも日本を列強の侵略から守り日本の国家像をリモデルした想像力、行動力は尋常ならぬものがある。

大日本帝国憲法を発布し国家の指針を決め、帝国議会を開き国家の運営方法を決め、内閣制度を作り国家を運営する。自分たちで編み出した訳ではないけど列強の体制を吸収し富国強兵を重ね、不平等条約の解消をし、現代へと繋がる国家体系を作ったことは山県有朋の小悪党ぶりくらいなんでもないと思え…ないな。

最大の評価はそれまで日本の概念に無かった三権分立の確立を出来たこと。それだけをとっても当時の人はよく勉強したなと思う。


第5位
日本の高度成長は保守本流でキマリ! で、保守本流って何?「自民党」 54年

これぞ高度成長!

これまた一家ではないけど、よく一党支配とか言われるため。一時細川政権樹立で空白はあるが、保守合同の55年からこの前の衆議院選挙まで。
自由党率いる吉田茂と民主党率いる鳩山一郎の両保守が合同してから長く続いた一党支配政治。孫同士も合同しちゃえば良いのにね!とも思う。内部にいくつもの派閥があり、派閥同士の主義主張が若干違うためなんちゃって政権交代できるある意味便利な政党。

敗戦後の日本を高度成長に導き、全国一律の公共サービスの提供を目指し?て、インフラの整備にも尽力する。急進的な改革は好まず、漸進的変更が多い。一党支配の割には福祉の充実や民意の反映や違憲立法審査権での違憲判決に対する対応など意外に柔軟な姿勢を見せている。

長く続いたせいで腐敗や世襲議員などの問題もあり、ある意味役目を終えて政権交代。日本で初めての民意による政権交代(下野)をした。


第4位
一族の為なら息子も殺す!尼将軍MASAKOの野望「北条家」 112年

北条時政

政権として明確に確立できたのは承久の変からの事なので、1221年から鎌倉幕府滅亡(1333年)まで。
幕府執権として勢力を伸ばすが、内部抗争も激しく、最終的に得宗家独占となった。藤原氏足利氏もそうだけど、権力を手中に収めたら、その後は内部抗争なんだよね。

政権初期には承久の乱、中期には元寇と大きな戦いが2つあったが、なんとか切り抜け100年以上の長期政権を樹立。御成敗式目を発布し律令制度に代わる武家の掟が確立した。霜月騒動勝利の後、北条家のNo.2内管領や御内人の増加など、あれ?将軍と御家人の関係は?とか鎌倉幕府のNo.2のNo.2っていったい?といった疑問を残しながらも、鎌倉から威光を発する。

ご恩と奉公って結構ドライな関係なんだね!と元寇で思い知らされつつも、弘安の役から大体50年くらい政権を維持出来たってことは元寇は乗り切ったということでいいのではないでしょうか?先生。有力御家人をすぐに滅ぼしたり、徳政令等のアクロバティックな施策までやってのけるちょっと横暴な政権でもあるが、両統迭立など朝廷にも絶妙なアドバイスをする(後醍醐天皇のわがままでその後は南北朝に分かれますが…)。

元祖日本のおもてなし伝説「鉢の木」なども残している。歴代執権は短命の人が多く、その職務が激務だったことがわかる。


第3位
ご政道を天皇にお返しする… わきゃねーだろ!強い者が勝つ「足利家」 237年

花の御所

建武式目制定か室町幕府成立か南北朝統一かで迷うところですが、南朝は京都をとっていない。法令制定の建武式目から政権末期は形骸化したとはいえ、幕府要職を権威としていた戦国大名が多くいた為、1573年の足利義昭京都追放までか秀吉の関白宣下(1585年)までかで悩むところだけど、京都追放までで、237年。結構長いな。

解釈上の最長で249年。財政基盤も政権基盤もない幕府の割りに良く頑張った!

政権が長いので平和な時代が続いたかというと全く逆で、むしろ不穏な時代がずっと続いていた。初代尊氏・二代義詮は南朝、身内、部下との抗争に明け暮れ、三代義満に至っては日本を乗っ取ろうとする始末。政権奪取のやり方に大義名分があまり感じられないのが特長にも関わらず、戦国時代には権威の象徴として燦然と輝いた。

でも暗殺や追放される将軍は多い。200年オーバーの超長期政権だけあって、文化や文明の発展は著しく、能や歌舞伎、茶の湯などが発達し二毛作二期作といった農業革命もこの時期じゃなかったっけ?世界遺産でもある鹿苑寺やその後の日本風建築の祖とも言われる慈照寺などの建造物など文化面ではものすごく貢献してる。

最初に蘭奢待に目をつけた政権でもあり、ゲットしたのも実に3人に及ぶ。壮大な夫婦喧嘩”応仁の乱”を起こした張本人足利義政と日野富子は別居はするが離婚はしないと不思議な関係を続けた(おかげで天下は大混乱!)。


第2位
おびえ続けて2世紀半!もっとも安定した政権の一つ「徳川家」 265年

徳川三葉葵

徳川家康の征夷大将軍就任から、江戸城無血開城までが妥当かと。もう少し頑張れば、1位を抜けたのに。いやぁ、残念。

日本史上最大のビビリスト”家康”創業による超長期政権。豊臣家の重鎮であった家康は武断派と文治派の派閥争いを巧みに利用し、勢力を伸ばす。さらには関ヶ原の戦いを1日で終息させ天下を牛耳る。狸親父のそしりをうけるが、基本的にはビビった末、出した結果がいい方向にいっただけだと思う。

江戸を開府し、世界有数の都市にまで育てる。政権安定期前は外様だけでなく譜代、親藩大名までも改易し、天下統一後も勢力を伸ばしまくる。国内では武家、公家、寺社、百姓までも支配下に置きどっちかというと絶対王政だよなコレ。

対外的には鎖国政策をしくが、金は輸出し放題という片手落ち。元禄・化政と文化が花開き、識字率も向上。リサイクル精神もありいわゆるエコな人達だったらしい。かとおもいきや、贅沢し放題の時代があったり、俺が我慢するからお前も我慢せい!と無茶な要求を民衆にしてみたり、命は大切に!犬を粗末にすると死刑!あれ?命は大切にじゃ…と、いちいちやることが極端すぎるんだよなぁと白河の清き流れにたえかねる人がいるのは仕方が無いよ。海老責・駿河責などの変態チックな取り調べも発達したしな。

以前の記事にも書いたが、車輪があるのに使わずに輿や駕篭に乗るというストイックさ持ち合わせる。これも太平の世がなせる業。意外な所で、当時のニート達(ガラが悪い)の自立更生支援施設「人足寄場」を設置し、手に職付けさせて世に出させるという今よりもススんでいる福祉施設もあるのが驚き。

国内で為替や先物が発展しており本当なら金融大国になってもおかしくないのに、なぜか江戸時代のモノツクリばっかりフューチャーされるのが不満ですと鬼平(人足寄場の運営費を銭相場で稼いだ)あたりに言われそう。


第1位
望月の欠けたることもなしと思へば。名門中の名門は他氏排斥が得意「藤原氏」 276年

貝合わせ

藤原北家、藤原冬嗣が810年の蔵人頭(くろうどのとう)に就任したのが事実上の摂関政治の始まり。
実際、鎌足、不比等の代から朝廷を牛耳っていたのが実質的なところだが、名実共に「藤原の世」となったこの時期からカウントしましょう。

摂関政治が形骸化したのは白河上皇が院生を開始した1086年とする。摂関政治から院政に移行する前に後三条天皇が天皇親政を試みたが、藤原北家の影響は依然として残った。

衰退させた貴族の数は数知れず、代表的なところでも大伴氏(伴善男)、紀氏、橘氏、菅原氏どれもこれも遡れば藤原氏よりも名門。数々の有力貴族を蹴落とした後は内部抗争となるんですが、足利氏ぐらい激しければ面白いけどさほどでもないところが貴族。

しかし日本の名字に付く漢字で「藤」がもっとも多いことから分かるように、その影響力は現代にも続く。歴史のキーポイントでは名前を変えてひょっこり出てくる。天皇の外戚として権力を掌握し。道長の時代には3人の后を出し、息子頼通の時代には平等院鳳凰堂の造営、摂政・関白・太政大臣・准三后の四冠王に輝く。

しかし武士の台頭や三条天皇の即位などで徐々にではあるが権勢を弱める。頼通没後に白河天皇が即位し、時代は院政へと流れていく。

院政期から貴族の家格というのか固定化され、もともとの律令体制の摂政関白の定義(天皇の名代としての権能を担う役職としての摂政関白)から「摂関家」から摂政関白が生まれるといった概念が発生するようになった。


めがね治部少輔薩長藩閥と自民党の二つは参考記録としても、二代目への継承がうまくいくとたいてい長期政権になるんだな。

ぼじぃ市松一家による継承じゃなくて連合体としての寿命は今のところ50年前後ってところかぁ。

めがね治部少輔それにしても足利家も藤原氏も頑張ったなあ。特にこれといった業績があるわけでもないのにこれだけ長いこと政権を保った理由って何だろ?

ぼじぃ市松やっぱ小さな政府ってことじゃん?藤原氏は朝廷への影響力はあったけど、全国くまなくの影響力があったわけじゃないし、足利氏なんかに到っては、直轄地が無いといっても過言じゃないし、関東に関東公方を置いたら、離反されるし、基本戦乱の時代だから権威的影響力はあったけど、行政執行の力は全然無かったわけだし。全国に威光をかざしたの将軍は数えるほどしかいないじゃん。

めがね治部少輔それをいうなら徳川も同じように思えるが、徳川将軍には決裁権があったわけだからな。君臨すれども統治せずと君臨すれども統治できずの違いだね。小さな政府って言い方は当時の発想ではないから、相手にされない弱い中央政府ってなんだろうな。

ぼじぃ市松北条家についてはちょっと疑問だぞ。得宗専制政治という観点からは承久の乱よりも後、元寇か霜月騒動の時からと考えるのが普通じゃないか?

めがね治部少輔いやいやそれは北条得宗家の専制政治でしょ?合議体としての執権政治であっても執権の権力は絶大だったわけだからさ。

ぼじぃ市松細かいことを言えばもっと細分化できるけど、一族一門一派が実験を握るもしくは多大な影響力を残すという意味では藤原氏はやっぱすげえなぁ。その後も摂関家として残るわけだし、戦前には直系が総理大臣になるわけだし。中臣鎌足や藤原不比等の血が脈々と流れているかどうかは疑問だけど、すげえよな。

めがね治部少輔まぁ長い事もすごいかもしれんが、平氏や豊臣氏は一代で終わる分やることがダイナミック。扇で日が沈むのを長くしてみたり、外征してみたり。魅力的に感じるのはやっぱ一代で栄華を築いた人だな。カリスマ死後、パッと消えてしまうところも潔い

ぼじぃ市松いやいや、消えてしまうのは潔さではないだろ。繰り返すようだけど、もっと細分化して細川京兆家政権とか畠山政権とか三好政権とかいれたらもうわけわからんから勝手に区分を決めちゃったけど、ええんかな?

めがね治部少輔OKっしょ!三好に至っては畿内オンリーだし、その3政権全部室町だし。しかも室町を区分しちゃうと高師直とかもいれないといけなくなるから面倒じゃん。

ぼじぃ市松いい加減だなぁ。それでも長く続けば長く続いたドラマが出来るし、短くても滅びの美学?つーか儚さがあるからどっちが魅力的かと考えた時に甲乙付けがたいな。

めがね治部少輔初代としては、永遠に続けたいって思うんだろうけどなぁ。ほとんどの政権の最後は滅亡で終わっていて、藤原氏ですら形骸化しているのに、徳川慶喜は政権最後の人としては潔い決断をしたよな。大政奉還ってものすごい勇気と決断。

ぼじぃ市松おぉ!こんなところで、慶喜公再評価!!意外な結論だな。

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