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江戸時代

花のお江戸の珍事件。太平の江戸時代にもこんな事件 その2

徳川幕府が政権を握っていた江戸時代。この平和な時代に起きた珍事件を紹介した前回ですが、その続きでございます。優秀な政権であった幕府ですが、それはそれ、封建制度ならではゴリ押し政策もございまして、なかなかブラックな一面も持ち合わせておる訳です。そんな、幕府の無茶振り政策が今回の紹介事件ですぜ。旦那。

めがね治部少輔えーと、だいぶ更新をさぼっていた訳ですが、ごぶさたしております。

ぼじぃ市松確定申告やら、年度末の繁忙期やらで、多忙でしてね。奉公人の身としては、御上には逆らえませんでのぉ。

めがね治部少輔かなり間が空いてしまいましたが、「花のお江戸の珍事件 その2」をご紹介します。
前回は、なんつーか、割と平和な時代だからこその、おもしろ事件をご紹介したんですが、今回は「やっぱ幕府こえー!!」ってなるような事件をご紹介しましょう。

ぼじぃ市松幕府には、必殺技「減封波」と「改易拳」のスーパーコンボがあるからなぁ。ガード不可。ゴリゴリけずるぜ。


一本の松の木のせいで、消滅した徳山藩。
1715年 万役山事件

毛利輝元
TERU曰く、「あー、僕の子孫は何してるんだよぉ。僕みたいにちゃんと時流に乗れる名君になってくれないと困っちゃうよ。」

「たった一本の松で、消される藩がある」
そんなキャッチコピーがあったとかなかったとか。
こんにちは。横恋慕大名、毛利輝元です。

と、この毛利輝元公から始まる萩(長州)藩と、その支藩である徳山藩との間に起きた、壮絶なる兄弟喧嘩。現在の山口県にある万役山(まんにゃくやま)の一本の松の木が切り取られたことから起こった事件。
この身内同士の喧嘩の裁決を、結局、幕府がとることになったのですが、どうも「ちっ、めんどくさいなぁ…改易でいいよな!」って感じに思えてしょーがない。

萩藩と徳山藩の、それぞれの領のちょうど境界にあったこの万役山。萩藩内の百姓である喜兵衛が、以前、この山に植えておいた松の苗がある程度育ったのを頃合いと見て、伐採し持ち帰るその時でした。
見回りをしていた徳山藩の足軽が、松を持ち帰る喜兵衛とその息子らを見つけ、悶着の末、喜兵衛を斬り殺してしまいます。

徳山藩の足軽としては、「徳山藩領内の木を勝手に切りやがって!おいてけよ!」とのことで尋問したそうですが、そもそもこの領内の定義が曖昧なので、どっちが先に手を出した、的な子供のケンカのようにグダグダになっていきます。

萩藩としては、「喜兵衛が植えた木なのに、徳山の足軽が一方的に咎め、斬り殺した!」と主張。
一方、徳山藩としては「ちょっと木を置いていけと言っただけなのに、喜兵衛の息子が襲ってきた!あと、山は絶対、徳山藩領だからね!」と。

萩藩側は本家ならではな大人な対応で、両藩同士で穏便に事を納めたかったらしく、「謝罪だけしてよ」と何度も要求しています。それを徳山藩主である毛利元次(毛利輝元の孫)が断固拒否。「オレら、ぜってー悪くないもんね!!」と、なにがなんでも拒否。
(この毛利元次、本家萩藩の輝元直系が断絶したとき、輝元の孫にも関わらず、後継者候補から外された恨みがあったともされています。)

萩藩は、しょうがなく幕府に報告。要求内容は、毛利元次の隠居。
なんですが、幕府は「はいはい。徳山藩、改易!以上!」と、いきなり死刑宣告
可決内容がひどすぎ、かつ、決めるの早すぎ。超強引。いろいろ調査するのがめんどくさかっただけにしか思えない裁断
当時の老中、阿部正喬らにしてみたら、「余計な仕事持ち込みやがって… うぜー」な感じだったような気がしますね。

なんでそう思うかというと、この徳山藩、たった3年後には再興が許されていますので。
「ふぅ… さっきのはさすがにやばかったぜ…」な感じ。
当の萩藩としても、「え?改易?そこまで頼んでないんですが…」と同情的だったそうですからね。

という、幕府の権力発動が過ぎた話でした。


幕末に始まったことじゃない!尊王思想弾圧事件
1758年 宝暦事件 & 1767年 明和事件

麿
ほんに、徳川はんは、いけずやさかい、なんや嫌いでおますわぁ。特に、あの、なんだっけ?ご隠居?光圀?あいつ。超きらい。もっと公達をあがめんとあかんえ。

幕末において大きく弾圧を受ける尊王思想ですが、幕末にポッと出てきた思想ではありません。江戸時代の中期にもなると、国学の研究が盛んになり、「日本」という国の成り立ちが一般知識として普及しだします。要は「日本は、天皇の一族が作った国」だと。

幕府としては、もちろん正当政権として主張したい訳です。幕藩体制によって日本は成り立っているのだと。天皇が日本のトップであると、誰かが持ち上げて、天皇・朝廷の権威が復興すると立場が危うくなるんですね。この辺は幕末で実際に実現してしまいますが。

儒教的に言えば、尊ぶべきは天皇がとる「王道」であって、武門の棟梁である徳川の「覇道」ではない、と言われる隙が、ずっと幕府側にはあった訳ですね。儒教では、上下の関係は明確にするのが常識ですから「天皇の方が伝統もあるし、上の立場だよねー」と。
幕府が、「徳川がトップなんだよ」と全国に叩き込むために、儒教の発展系の「朱子学」を官学として採用したことで、皮肉にも、この尊王思想はより広まってしまいます。
そんな尊王思想の弾圧は、江戸時代中期から行なわれていました。この頃はまだ目立たないくらいのものでしたが、幕府側の難癖の付け方が、なかなか興味深いので、ぜひ覚えておいてください。

江戸期で初めての尊王思想弾圧事件が、この宝暦事件です。
当時、公家の徳大寺家に仕えていた儒者・竹内式部は、桃園天皇およびその側近の公家たちに、天皇が正当であるという大義名分の立場を尊王論をもって講じていました。これが、朝廷を押さえ込む幕府専制に不満を持っていた若い公家たちに指示されます。

こんな講義が明るみに出て、朝廷と幕府の関係悪化に繋がってはマズい!として、朝廷を仕切っている一条家をはじめとした摂関家たちは「徳川はん、徳川はん。アイツら、やべーことしてはりますわ!」と京都所司代に告訴
これにより、竹内の抗議を受けていた公家らは蟄居謹慎を受け、竹内自身は重追放に処されます。
実際の処分の名目は、「公家のこいつら、武芸の稽古をしていた!それ犯罪!」ということで、公家諸法度に反したとされています。強引だなぁ。

続いて、明和事件ですが、先の宝暦事件の飛び火のようなものです。
ここから訳が分からなくなってきますよ。

先述の竹内式部の知り合いで、同じく公家たちに尊王論を講じていた藤井右門という人物がおりまして。
この藤井右門、先の宝暦事件から逃れ、江戸に脱出。柳荘という私塾を開いていた、儒者・山県大弐のもとに居候します。
山県大弐も、尊王論者でその思想を講義していました。

その山県大弐ですが、小幡藩の家老である吉田玄蕃と親友でした。
当時の小幡藩主は織田信邦(信長の次男、織田信雄の子孫)。吉田玄蕃は、この信邦に抜擢され家老になっており、その出世コースを同僚に嫉妬されてました。
吉田玄蕃を蹴落としたい同僚は、「吉田玄蕃と山県大弐が、組んで謀反しようとしてる!いけないんだ!」とのウソを、信邦に讒言します。

このウソがどういうわけか噂として漏れ、これを聞いた当の山県大弐の弟子が真に受け、そのまま幕府に密告。「ウチの先生、こんなこと企んでます!なんかコワイ!」

事件を恐れた織田信邦は、幕府に無許可で吉田玄蕃を処分してしまいます。
これが不適切な処分として、信邦は蟄居処分、小幡藩は減封かつ移封となり、家格を大きく落とされます。

で、幕府は、まずは山県大弐は処刑、次に、強引に先述の宝暦事件と結びつけ、山県の元に逃げ込んでいた藤井右門を磔刑にします。

更に幕府は、えー、覚えていますか?最初に書いた人物、竹内式部。
ついでと言わんばかりに、すでに重追放となっている、この竹内式部を遠島に処分します。
「ついで感」が過ぎると思うんですよねぇ。

竹内式部にしてみたら「えーー!オレ?またオレ?」な感じ。

ことのあらすじはこれで以上ですが、理解できました?
これでも簡単に説明できた方ですからねwww

なにこのガイ・リッチーとかタランティーノの映画みたいな展開。別々の出来事が最後に繋がる、的な。
和製『ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ』だろ、これ。
映画化してくんねーかな。絶対面白いと思うんだけどなぁ。


ぼじぃ市松成熟した後期封建体制ならでは、幕府の苦悩が垣間みれますな。

めがね治部少輔そもそも、幕府と朝廷という変則二元体制自体に大義名分としての矛盾があるから、日本史はおもしろいな。
矛盾がある故の、政治的強引さが必要な訳で。必要悪っていうか。

ぼじぃ市松最初の「万役山事件」なんて、幕府側から見たら「そんなこと、身内でなんとかしてくれよ!」って感じだったろうなと思うし。兄弟喧嘩の仲裁を、いきなり最高裁判所に訴え出た感じ。そりゃ、藩も幕府もめんどくさくも感じるだろうさ。

めがね治部少輔「宝暦事件・明和事件」は、幕府の無理矢理さが顕著過ぎだね。
「ついで感」の極みだよな。「えー!そっち?そっちいっちゃうの!?」って。

ぼじぃ市松宝暦といえば、「宝暦治水事件」という、最高に無理難題ふっ掛け事件もあるよね。

めがね治部少輔幕府が薩摩藩に、ぜんぜん関係のない木曽三川の治水事業を命じたヤツね。薩摩藩の財政を圧迫させて、弱体化を図ったって言う。見返りなしの、超いやがらせ。

ぼじぃ市松薩摩藩は、実際に40万両(現在の約300億円)の借金を抱えて、幕府への嫌悪感はここに極まり、幕末に繋がる訳ですなぁ。

めがね治部少輔徳川幕府が、200年以上も君臨し続けた背景には、こういった苦悩や無茶振りもあったわけか。堅牢な基盤の元に立っていた訳じゃなく、部分的には脆弱な基盤だったことが分かるね。
いやはや、徳川はんはほんま、おもろいですわなぁ。

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