キリシタンということですが、信仰が厚い方もいれば、なんとなく入信してみました、的なお方もいらっしゃいますな。
まー、当時の流行ものだしな。未知の世界への接点を持つということで、手っ取り早かったのもあるだろ。
信長とか、大内義隆とか、そんな感じでしょ。この人ら、洗礼受けてないけど。秀吉も、最初はおもしろがってた様子だし。
黒田官兵衛さんなんか、適当に入信して、適当に棄教したっぽいしな。「ボスがダメって言うしさ、思ったよりメリットないなぁ」な感じ。
のめり込んで、大名という身分さえ捨てる人もいるけどな。
でも、洗礼名が欲しいから、って入った人もいたりするのかね? 舶来の氏姓じゃん!なんか、かっけーし。って。
ビジュアル系のロックバンドのメンバー名みたいな感じで? いるかもしれんの。
では、どんなキリシタンな方々がいるか、まとめてみるかの。クリスマスシーズンならでは。
キリスト教に身を捧げ過ぎた人たち
信仰のためなら何でも捨てちゃうよ!
高山右近(ドン・ジュスト)
キリシタン度 ★★★★★★★★★★
この方を超える、戦国のキリシタン大名はいらっしゃるのでしょうか? 心身どころか人生までも、イエス様に捧げてしまったお方。ミスターキリシタン!
かなり早いうちから洗礼を受け、12歳の頃に父とともに入信。当初仕えていた和田惟長との内紛の際、首を半分ほど切られるという致命傷を負うが、奇跡的に回復。これによって、さっすがキリストのご加護!とあらんばかりに宗教にのめり込みます。
その後、高槻城主として荒木村重に仕えますが、その村重が、主君・織田信長に対して謀反を起こすと、信長さんは「降伏しないと、この辺の宣教師とキリシタン、皆殺しにしちゃうぞ♪」と右近を脅します。
ここで、クソ真面目キリシタンな右近さん、1回目の必殺技「地位も財産も家族も全部捨てる」行為に。
死装束で信長に降伏します。まぁ、これにより信長の村重成敗後も、地位と領土も安堵されます。よかったね。
時代は移り、秀吉の配下時代。秀吉からも信頼されていた右近さんですが、その秀吉がバテレン追放例を出してしまいます。
ここで、2回目の「地位も財産も家族も全部捨てる」発射。
その後は、小西行長、前田利家の客分となり、こっそり生きていきます。
また時は移り、江戸時代。幕府の鎖国方針による、キリシタン国外追放令が発令されてしまいます。
ここで、3回目の「地位も財産も家族も全部捨てる」発動。
三度すべてを捨てて、マニラへの追放を選びます。もう「漢(おとこ)」。
ただ、マニラについてすぐに病になり、1年もしないうちに亡くなっています。
信仰とはなんだったのかー?あー?というくらい、壮絶な人生ですね。アーメン。
ザビー教のお時間ですよ!
大友宗麟(ドン・フランシスコ)
キリシタン度 ★★★★★★★★★☆
どこから突っ込めばいいのかわからない代表のようなお方です。ダメな逸話は数知れず。それが、我らのSO-RING。
この方ほど「キリシタン=敬虔・清廉」なイメージから掛け離れた方もいまいて。
以下、どうしようもない逸話の数々、羅列してみましょう。
・なんせ女好き。見境なし。ストライクゾーン広すぎ。妾を捜すためだけに、わざわざ京都にまで行っている。
・家臣である一万田親実の妻を略奪。しかも親実が出陣中に。あんたのための戦に出たんだろうが…
・酒にも溺れる。立花道雪に「踊り子よんで、大宴会してるんだよ」とおびき出され、その場で大説教を喰らう。
・キリスト教を毛嫌いする正室の奈多夫人を一方的に離縁。
・かわりに、その元妻となった奈多夫人の侍女で、キリシタンであった女性をを妻に娶る。
・九州探題の職位を、単純に金で買う。
・国内のキリスト教反対派からの暗殺を恐れて、たびたび家出する。その度に重臣大騒ぎ。
・自分の領土でもない日向の国に、勝手にキリスト教王国を築こうとする。家臣、領民の離反を招く。
・その日向に攻め込む際、その地の寺社仏閣をヒャッハーで壊しすぎ。家臣、領民の離反を招く。
・その日向の耳川にて、島津軍に大敗し、その後、衰退の一途。
・そもそも、軍師の角隈石宗に、島津との戦いの勝敗を占ってもらい、止められるが無視して出兵。結果、超大敗。
もともと、戦略・政略に長けた有能な人だったと思うのですが、どうもキリスト教に振り回された感がありすぎる人。
戦によって人を殺めることに悩んだり、領内に無料の医療施設を作ったり、いいこともしてるんですよ。と言っておこう。
ちなみに、洗礼名の「フランシスコ」は、かのザビエルに憧れて付けてもらったそうです。
日本初のキリシタン大名
大村純忠(ドン・バルトロメオ)
キリシタン度 ★★★★★★★☆☆☆
日本初のキリシタン大名で有名なこのお方。ポルトガルのために、幕末まで続く「日本の玄関口」となった長崎港を開いたのもこの人です。開いたどころか、長崎一辺をイエズス会の教会領として寄進までしています。
その他、イエズス会員への住居の無償提供、6万人以上の信者の保護など、盲目的にキリスト教に対して厚遇を行なっています。また、先述の宗麟さんとは違い、洗礼後の生涯、一夫一妻で通しています。
あと、天正遣欧少年使節の派遣を決定したのもこの人。使節の一人、千々石ミゲルは甥。
洗礼名が、アルファロメオみたいで、ちょっとかっこいい。漢字で書くと「波留登路銘」らしい。
もの悲しい身の上な人たち
戦国最後の日本人司祭
マンショ小西(マンショ)
キリシタン度 ★★★★★★★☆☆☆
かの有名なキリシタン大名、小西行長の孫。対馬藩主宗義智と小西マリアの子。
関ヶ原の年に生まれているので、戦国武将でもなんでもないのだが、なかなか数奇な人生を送ったお方。祖父と同じように死に際まで信仰が厚く、自殺となる切腹ではなく処刑となりました。
14歳の時に、キリシタン追放令でマカオに追放され、その後、ポルトガルやローマにまで渡りキリスト教を学んでいます。司祭の位まで得るなど、超熱心。勉強家だなぁ。
だがその後、なにを血迷ったか日本に戻り、布教活動をこっそり行なっています。すでに、江戸幕府の鎖国令バリバリの時代。布教なんてもってのほか。当然捕まり処刑されてしまいます。これにより、戦国・江戸期では最後の日本人司祭となりました。
ちなみに、「ドン小西」は洗礼名じゃないそうです。そうなんだー。
ボンバーマン松永久秀の甥
内藤如安(ドン・ジョアン)
キリシタン度 ★★★★★★★★★☆
この方、高山右近と同様にマニラに追放されますが、現地でも厚遇されて日本人街も作ったり、天寿を全うしたなど、キリシタンとしては幸せな部類です。
が、何がかわいそうって、その生まれと、仕えてきた主君のお歴々。
まず、血筋としては、かのボンバーマンこと松永久秀を叔父に持つお方ということ。希代の梟雄の血族であることへの世間体ってどうだったんでしょうね。ちなみに、松永久秀は、日本で初めてクリスマスを理由に休戦をしていたりします。内藤如安が関係したりするんでしょうか。しかしほんま、おもろいオッサンやで。
で、その後仕えてきた主君たちが、三好義継、足利義昭、小西行長。みなさん、どうも良い人生を送っていない方々です。完全に斜陽の足利義昭に仕えるって、罪滅ぼしでしょうか? 叔父の久秀が、義昭の兄である将軍・義輝を暗殺してますからね。
その後は、高山右近と同様、前田利長の客分となり、マニラへ追放となります。なんだか、利を求めない放浪の人生ですなぁ。
ちなみに、洗礼名、天草五人衆のひとりである栖本親高と被ってます。同じ時期に小西行長に仕えているのに、あーややこしい。
ボスがダメって言うからさー。な棄教した人たち
いやマジ、お義父さんこえーから!
有馬直純(ドン・ミゲル)
キリシタン度 ★★★☆☆☆☆☆☆☆
かの有名なキリシタン大名、有馬晴信の嫡男。はじめ、小西行長の姪・マルタを妻としていましたが、後に離縁。なんでかというと、家康の養女・国姫(本多忠政の娘)を正室として迎え入れたから。この時に、キリスト教を棄教しています。
こりゃ、信仰は無理ってもんですな。家康の娘という最強のスパイがいるんですからね。
その後、父である有馬晴信が、「岡本大八事件」というキリシタン同士の収賄事件の当事者となり死罪となりますが、直純は、家康の娘婿ということで島原の藩主となります。で、ここで、幕命によるものですが、キリシタンたちを逆に迫害するようになります。島原の乱勃発のきっかけの始まりですね。
生涯、棄教して父を裏切ったこと、キリシタンを迫害したことの罪に悩んでいたそうです。いろいろストレスの溜まる人生送ってますねぇ。
なんとなく入信してみました
黒田官兵衛(ドン・シメオン)
キリシタン度 ★☆☆☆☆☆☆☆☆☆
ご存知、天才軍師、官兵衛さん。高山右近の勧めで、キリシタンとなっています。おそらく時期は、小牧・長久手の戦いの前後ほど、官兵衛40歳くらいのことだろうと言われています。
ちなみに、高山右近の影響でキリシタンとなった武将は、めちゃくちゃ多いです。蒲生氏郷もそうだったと思います。
しかし、秀吉によるバテレン追放令には、キリシタン大名・武将の中でも、超真っ先に棄教しました。入信期間は約3年ほど。いやー、短い。まさに「ボス、こえーし!」って感じに思えてしまいますからねwww
ダミアンとして、一緒に入信していた息子の長政も、これと同時に棄教しています。後、徳川幕府に対していい子ちゃんでいたかった長政ちゃんは、江戸期には一転して迫害側に回っています。
この親子、本当になんで、入信したんだろうか…
タイトル文、関係なさすぎるwwww ひでぇwww
キリシタン大名って、みんな、他宗教となる仏教や神道の寺社仏閣を破壊しまくるなど、ヒャッハーしてるよね。なんか極端だなぁ。
憧れの的でもある宣教師たちに、よく思われたいんだろう。「こいつ、マジもんのキリシタンだぜ… ゴクリ」ってな具合に。上の例で言えば、高山右近も大友宗麟も大村純忠など、キリシタンとして行くとこまで行っちゃった人ほど、この破壊・迫害行為が苛烈だし。
江戸期に完全にキリスト教は禁教になって、キリシタンが踏み絵とかで迫害させれてるのがね、さも悲劇な出来事に紹介されるとさ、あーぁって思ってしまう。
逆の立場で、全く同じことも歴史上にはあったんですよ、と。
あんたらの先輩キリシタンの方々、昔は幕府と同じことしてまっせ、と。
寺社仏閣の破壊行為を行なった場合、多くのケースで、家臣団の離反や領民の反発が生まれてるからなぁ。右近も宗麟も純忠もそうだし、有馬晴信もご多分に漏れず。
必ずしも、キリシタン=敬虔な人柄、ってわけじゃないんだよなぁ。深いなぁこの辺。
話変わるが。
ちなみに、洗礼名に付いてる「ドン」は、ポルトガル語圏における貴族への尊称な。これマメ知識な。
だから、大名や地位の高い武将には付くけど、一般人には付かないんだぜ。
さらにちなみに、女性の場合は「ドナ」な。細川玉は「ドナ・ガラシャ」。
「細川ガラシャ」って呼称が有名だろうけど、これは明治時代以降広まった通称でね。正式には間違ってるな。
洗礼名は姓の前に付くらしいので、正確には「ドナ・ガラシャ細川玉」ってことになるなぁ。
さらにいえば、戦国期では、女性は姓を名乗っているわけじゃなく、現代において便宜上、姓もつけて呼んでいるだけだから、本当の正確には「ドナ・ガラシャ玉」かもしれん。
キリスト教に詳しいわけじゃないから、偉そうに講釈垂れられんけどな!ぐはは!
まだまだ興味深い人生を送ったキリシタンもいるので、また紹介しようかね。
それでは、よいクリスマスを!
みなでフランシスコ宗麟公を祭りましょう。メリー・ソーリン。
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