花のお江戸の珍事件。太平の江戸時代にもこんな事件 その1

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徳川幕府が政権を握っていた江戸時代。世界史的に見ても大変優秀な政権でして、260年以上にもわたって、日本史上稀に見る太平の時代となります。
が、しかし。世に何も起こらず、ただ太平をむさぼっていたわけではございませぬ。そこはそれ、太平の世の中ならでは事件も起こっているわけです。現代とは文化・風習が違うわけですから、庶民間では、今では考えられない事件・犯罪も起きていたわけですが。

めがね治部少輔いやぁ、江戸時代は、基本的には本当に平和な時代だっただろうな。庶民に圧政を敷いたケースもなくはないけど、中国やヨーロッパの歴史と比べたら、全然常識の範疇だし。今でいう人権も保たれてはいるし。いわゆる奴隷制度もないし。賤民層にも専有職が保証されるなど、優しい時代だ。

ぼじぃ市松庶民の間での犯罪や事件は、今と変わらず多かったと思うが、「殺傷」事件はめちゃくちゃ少なかったらしいしな。政治犯罪つーか、幕府が大々的に介入するほどの大事件も少ないんじゃないか?

めがね治部少輔有名どころでは、「島原の乱」「元禄赤穂事件(忠臣蔵)」「大塩平八郎の乱」「桜田門外の変」とかいったところかなぁ。
ただ、そんなに有名じゃないだけで、それなりに政治犯罪クラスの事件もあるよ。教科書には載らない程度に地味なのものだけど。

ぼじぃ市松で、あるか。あと、各藩でのお家騒動も事件としていっぱいあるし。
まぁ、戦国期と幕末期の、日本全体的なオラオラ感が派手すぎて、地味に見えてしまうのはしょーがないですな。

めがね治部少輔今回はちょっと真面目に、教科書では扱わない江戸期の珍事件をご紹介。大きめの事件、政治犯罪関連の事件だけ紹介しますね。。お家騒動、仇討ち、庶民間の事件は除きますね。いっぱいありすぎるので。
最近、ふざけすぎる記事ばっかだったしな。またやるけどなw


甘い計画、あっさり鎮圧、大きな効果。
1651年 「由比正雪の乱(慶安の変)」

由井正雪

偉そうに講釈を足れていますが、知恵伊豆の方が上手でしたね。

まずは、有名どころですが、幕府の政治方針を変えるきっかけとなった、小さいけど大きな事件。
軍学者、由比正雪による、政権反復・浪人救済のためのクーデター未遂事件

由比正雪は、10代の終わり頃、楠木正成の子孫を自称する軍学者楠木不伝の弟子となり、南木流という軍学を学びます。ここで、頭角を現した正雪は、師匠の不伝を毒殺して秘伝書を盗み、独立したという逸話があります。すでに生々しいですな。
独立して「張孔堂」という塾を開いた正雪は、プロモーション能力も発揮して人気を得、3000人を超える門下生を集めます。大名からの仕官の引き合いも多かったようですが、すべて断っており、それがまた人気に拍車をかけたようです。
ちなみに、この張孔堂には、知恵伊豆こと松平信綱から何人かスパイが送り込まれてもいました。幕府も最初から警戒していたんですね。

当時の幕府の武断政治、いわゆる藩の改易、お取り潰し政策に不満を感じていた正雪は、幕府の転覆を狙うクーデターを計画します。塾の門下生には武士・旗本も多く、改易により浪人となった門下生に感化されたのではないでしょうか。
当時の将軍は3代徳川家光。この家光、生涯で改易した数と石高は、歴代将軍の中でも断トツの、37家360万石。その中には、自分の弟(徳川忠長)も入っていますからね。容赦ないです。藩がなくなると、浪人が超増えるわけです。360万石分の武士が無職になるという。まぁ、地方武士にとっては恐怖政治に近いんじゃないでしょうか。
その家光の死に乗じて、正雪はクーデターを実行に移します。

由井正雪、丸橋忠弥、金井半兵衛らを幹部として、江戸、京、大坂で乱を起こし、乗じて天皇を擁し、幕府討伐の勅命を得ようとする計画でした。が、メンバーのひとり奥村八左衛門の密告により、すっかりあっさり露見。みんな捕まってしまい、未遂に終わります。身内間の情報制御と管理ができていないという、かなり幼稚な計画だったようです。

最後は自決する正雪ですが、遺書には「紀伊大納言家来」を名乗っていたそうです。紀伊大納言とは、天下の紀州藩主、徳川頼宣のこと。権現家康公の十男ですね。正雪はこの頼宣の印書も持っていたようで、生前は紀州家にも頻繁に出入りしていたようです。

幕府は当然、この頼宣に、クーデター加担の疑いを持ち、詮議します。
まぁ、「印書は偽造だよね。そういうことだよね、きっと」となるまで、10年以上もかけて疑いは晴れますが、幕府もしっくり来ていなかったようで。というのも、この頼宣公、南龍公とも呼ばれ、なかなか野望の強いお方だったそうで、このクーデターで将軍の座を狙ったのではないかとも疑われました。印書が本物だったとしても、まぁ、孫の徳川吉宗が将軍になったんだし、よかったじゃん。頼宣くん。

ともあれ、未遂に終わった正雪のこのクーデーターですが、これを引き金に、派生事件がいくつか起こることになります。幕府もこれを無視できず、社会現象までなった浪人問題対策として、これまでの武断政治から文治政治へと方針転換します。
改易がなくなったわけではないですが、世嗣の制限も大幅に緩和されることで大大名の取り潰しは極端に減り、また、浪人への就職斡旋も行なうようになりました。
幕府と各藩の関係性も、これまでの精神的、忠節的なものから、よりビジネスライクな関係性へと変えられていきます。

計画自体は幼稚で詰めが甘く、未遂に終わった由比正雪の乱ですが、間接的にその目的は達成されたと言えますね。
一応、めでたしめでたし、なのか?


吉宗の倹約令? バカじゃねーの。金は使ってなんぼっしょ!
1731年 「尾張宰相 徳川宗春の『温知政要』」

名古屋城の金鯱

そういえば、名古屋城の金鯱も派手ですね。宗春の浪費癖もびっくりするほど。

こちらも有名ですかね。政治経済というステージを最大限に使った、紀州と尾張という2大親藩の藩主のガチ経済バトルでございます。

時は8代将軍徳川吉宗の治世でございます。吉宗はご存知の通り、「享保の改革」をもって幕府財政の立て直しと安定化を目的とした政策を進めます。基本的には「質素倹約」がテーマですね。節約しまくって、増税して、お金を貯めましょう、と。

一方、徳川宗春は、自著の「温知政要」をもって、この政策に反論します。「過度な倹約は、逆に庶民を苦しめ、違反者も増やす」「金は消費してこそ、流通経済が成り立つ」と主張しており、この本を家臣等に配布し、尾張藩内ではこの自由経済論を大々的に実施、貨幣流通を奨励します。実際、現在の名古屋の繁栄は、この時の産物といっても過言ではありません。
実際、尾張藩の大名行列では派手な服飾や陣羽織で着飾り、藩内にも芝居興行や遊郭街を誘致して娯楽を推奨しています。
これには民衆も喜び、宗春ブームに沸き立ち、宗春をモデルにした「傾城妻恋桜」という歌舞伎まで興行されています。

宗春自身もかなりの浪費家で、これに怒った吉宗から、倹約を守れよ!との詰問を受けています。
さらには、「ダメだこいつ… なんとかしなければ…」と、「温知政要」の絶版を命じます。
が、この宗春、「倹約?超やってますよーw 将軍は倹約というものが何なのか、お分かりなっていないんすよ(笑)」と皮肉で返します。

と、これで尾張藩の経済が活性化し、財政の安定化まで成功すれば、宗春くん超カッコいい!だったんですが、実際には大赤字。娯楽施設なども売り払い、民衆に上納金まで命じることにまで落ちてしまいます。
消費政策は良かったんですが、財源を確保していなかったんですね。結局、民間から搾り取ることになる、という。

これはヤバイ!と、尾張藩付家老の竹腰正武が、将軍吉宗と計らい、宗春を謹慎させるクーデターを起こします。
結果、宗春は藩主の座をおろされ、名古屋城内に幽閉されます。生涯外出が許されなかったとか。
宗春の死後も、その墓は金網で縛られ、墓そのものが幽閉されていたそうです。一緒に埋葬する守り刀まで木刀にさせられたとか。き、きびしいっすね…

「温知政要」には別に倹約政策への批判が書いてあったわけではなく、「無欲であること」「よく働きよく遊べ」的な良いことが書いてあるし、自由経済自体が間違っているわけでもありません。経済について持論のあった親藩藩主も他にはいなかった訳で。宗春自身、民のこと、政のことを第一に考えていた証拠でもあり、いい君主であったように思います。
ただ、どうも争った相手が悪かったな、と思いますね。マジもんの暴れん坊ですから。怒らせると怖いんですね。


いくらなんでも変装は無理があるってば。
1708年 「宣教師ジョヴァンニ・バッティスタ・シドッティ捕縛事件」

にゃんまげ

今で言えば、これが空港から出てくるようなもの。ばれるわ。

イタリア、シチリアのカトリック司祭である、ジョヴァンニ・バッティスタ・シドッティが布教のために日本に上陸。すぐに捕まってしまう事件。

というのも、和服に大小二本指しという侍の格好に変装して、日本へ潜入を図るが、そこはそれ、コテコテのイタリア人なわけで。見た目だけでも分かる上に、日本語はカタコト。変装の意味がないよ。
月代まで剃っていたそうですが、ちょっとでもばれないと思ったんだろうか。

このシドッティ、もともとイタリアにいる頃から日本に興味を持っていたそうです。
日本の殉教伝説など伝わっていたことから、すでにヨーロッパでオペラにもなっていた細川ガラシャ伝説、他には高山右近のことなどを聞いていたんでしょうね。「日本には、すっげーキリシタンがいるんだ!」と憧れたんでしょう。「オレより強い奴に会いにいく」な感じでしょうか。

てことで日本潜入を目指し、まずはマニラへ。マニラには内藤如安などが作った日本人街がありますからね。そこで、4年間司祭として働きながら、若干の日本語を学び、変装衣装も手に入れたようです。
1708年10月、鎖国と禁教バリバリ実施中な日本へ向かい、屋久島に到着。
顔はバリバリ南蛮人。しかもカタコト。すぐにバレて捕縛。長崎に連行。あーぁ、いわんこっちゃない。
熱意は評価しますが、無謀すぎ。

その後、江戸に護送され、かの新井白石の尋問を受けます。ここで、高尚な知識人同士意気投合。お互いの学識、人格を理解し、感銘を受け合います。
通常、宣教師は拷問の上、棄教を強制されるんですが、新井白石の計らいで、そのまま茗荷谷にあった切支丹屋敷に軟禁となりました。布教してはいけない条件だけで、棄教はしていません。
超優遇ですよ。これ。まぁ、鎖国してから捕縛された宣教師はシドッティが初めてだったので、比較のしようもないんですが。

ですが、その切支丹屋敷の使用人であった老夫婦に洗礼を与えてしまい、以後、地下牢で監禁。その後、牢内にて衰弱死。
一応、2名に対し、布教成功ということで、結果オーライなんですかね?

新井白石が感銘を受けるほどの学識とハイレベル頭脳をもっていながら、バカでも分かるような変装でゴマかせると思ったという、とってもかわいい人ですね。


あの吉宗もあせった、隠し子発覚? 騒動
1729年 「天一坊改行事件」

徳川吉宗

若い頃は、本当に暴れん坊だった吉宗公。隠し子くらいいてもいいじゃないか。

天一坊改行という山伏が、時の将軍、徳川吉宗のご落胤(隠し子)を自称し、「オレ、もうすぐ大名になるんだぜ〜」とウソを言い回った詐欺事件。

天一坊は、もともと吉宗のお膝元である紀州の生まれ。母が城に奉公していた頃に自分を妊娠し、その後「吉」の字を大事にせよ、と言われたと。ここから、吉宗の隠し子であると想像するに至ります。
詐称というか、本人が半ば信じているところが、すげー、妄想力ですね…

その後、江戸は品川にて、「吉宗様のご落胤なんだぜ!もうすぐ大名になるんだぜ!今のウチから家臣を召し抱えておくぜ!」と言いふらしていると、仕官できると聞いた浪人どもがわんさか集まってきました。
ここでヤバいと気がつけば良いものの、さらに「もう扶持ももらってるんだけど、この前、遊女街で暴れちゃってさー(笑) 扶持貰えてないんだよねー。だから今は貧乏なの。今はねー。」とまでウソを並べ、世間に目立ってしまって、捕まったという顛末。
最終的には、天一坊は死罪。集まった浪人も島流しなどの罰を受けるに至りました。

で、面白いのは、当初、幕府が関係者を取り調べて、天一坊なる山伏が将軍吉宗の落胤を自称している、と分かったときなんですよ。
この事件は無論、吉宗にも報告されており、吉宗はこれに対して、「え? 隠し子? いるかもしれん。やべー、覚えがある」と言ったとのこと。
身に覚えがあんのかよ!さすが、アッチの方も暴れん坊だな!おい。

つーか、浪人も吉宗も、よく信じたな。そんなこと。
ただ、誰も損していない、割と平和な事件でございましたとさ。


ぼじぃ市松なんか、全部平和な時代じゃなかったら、歴史にも残らない事件ぽいよな。

めがね治部少輔由比正雪の乱もさー、結局、乱起きてないしな。

ぼじぃ市松由比正雪って、司馬遼太郎の「大盗禅師」読んで、天才ペテン師な印象しかないわ。天才だけど抜けている。

めがね治部少輔実際、知恵伊豆のスパイを重用したりしてるから、やっぱ抜けてるんだよな。

ぼじぃ市松ジョヴァンニ・バッティスタ・シドッティの事件もすごいな。熱意だけでは変装がばれてしまう、という証明になったんだね。

めがね治部少輔小西行長の孫、マンショ小西も同じようなことやってるよね。こちらで詳しく書いてるので、是非読んでみてくだされ。

今どき切支丹は、クールな洗礼名で自分らしさを演出(笑)

ぼじぃ市松天一坊改行事件も、うけるわー。吉宗も心当たりあったのかよ!というw
そういや、昭和天皇が崩御したときも、「昭和天皇のご落胤」詐称事件があったよね。「白仁王殿下」を詐称して、総額15億の被害にまでなったやつ。

めがね治部少輔あったなー。ただ、天一坊の場合、マジで吉宗の子だって信じていた節があるからなぁ。なんか、犯罪の匂いがしないんだわ。

ぼじぃ市松なんか、全体的に事件の当事者が、かわいい印象があるわなw

めがね治部少輔ということで、次回も江戸時代の珍事件をまとめてみますよ。次回はもうちょっと真面目路線かも。

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