なかなか楽しい方揃い! 明治時代の総理七人

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2010年の大河ドラマ「龍馬伝」も、もう終わり。キャスティングの素晴らしさもあって、大好評のうちに幕を下ろしたように思います。龍馬伝で幕末に興味を持った方々には、是非、明治時代にも興味を持っていただきたいなぁ、と我々は思うのですよ。そういうことで、ちょっと明治時代の新政府側に目を向けてみましょう。

ぼじぃ市松龍馬伝終わったなぁ。いやぁ、おもしろかった。キャラがみんな濃ゆくて。

めがね治部少輔次は「坂の上の雲」やな。なにげに楽しみでして。私。

ぼじぃ市松「坂の上の雲」をもっと楽しむには、明治の政治家・軍人の人となりを知るといいよね、きっと。

めがね治部少輔そりゃそうだ。明治は、軍人と政治家がごっちゃだからな。
「坂の上の雲」の舞台ともなる明治のふたつの対外戦争の時、内閣は両方とも長州閥だな。日清戦争は伊藤博文、日露戦争は桂太郎。軍閥も、どちらかというと長州中心だしな。

ぼじぃ市松しかもその日清戦争勃発時とほぼ同時期に第1回衆議院選挙を行っている。しかも日清戦争中に初代内閣総理大臣就任しかも、日清戦争の宣戦布告直後に、第4回衆議院議員総選挙。まぁ、選挙の方が先に決まっていたんだけど。現在にまで続く内閣制度のはじまりの割には、戦争中に選挙実行ってのがね。呑気なのか、剛胆なのか。

[2011.04.12 追記]
@nabiki_05151101 様よりご指摘をいただき、修正させていただきました。ありがとうございました!!

めがね治部少輔それが明治という時代さ。ふふふ。
さて、小難しい話は止めてですね、明治時代の総理大臣の人間くささをまとめてみましょう。
おのおの、総理としての手腕は置いときましょう。偉人も人間ですからね。


伊藤博文初代 伊藤博文
長州の下級藩士出身。政治姿勢も清廉そのものな人物だったが、芸者遊びは度が過ぎる人。その女遊び癖を、明治天皇直々に説教されたことがある。「伊藤、ええかげんにせぇ」と(明治天皇はもちろん京都弁=公家言葉)。戦争が嫌いで、平和主義者。超いい人っぽい。
黒田清隆第2代 黒田清隆
薩摩藩士出身。在任中、大日本帝国憲法の発布が行なわれたが、この人はあまり関わっていない。井上馨が嫌いで、酒に酔った勢いで井上の家に忍び込む事件も起こしたことがある、なんとも面白いお方。
山縣有朋第3代 山縣有朋
長州の中間出身。陸軍の基礎を作った人。この陸軍が、太平洋戦争での悪しき陸軍に繋がると司馬遼太郎も、ボロクソ言っている。ハッキリ、こいつのせいだ、と。汚職の権化、権力大好き、大豪邸&庭園マニアと、あまりいい印象がない人。
松方正義第4代 松方正義
薩摩出身。もともと島津久光の側近。日本銀行を設立した優秀な財政家。当時のインフレ対策として、紙幣整理・税収向上・国家予算節約などの財政対策を行なったら、効果がありすぎて、逆に「松方デフレ」を起こしちゃう。やりすぎたね松方さん!
伊藤博文第5代 伊藤博文
俊輔、2回目の総理就任。この頃、日清戦争がおこり、下関条約締結。これが三国干渉を引き起こす。なかなか胃の痛い時期だっただろうな。
松方正義第6代 松方正義
また松方さん。この人、明治天皇に非常に可愛がられていた。理由はよく分からないが。この後、日本赤十字社社長に就任。今なら超天下りですね。
伊藤博文第7代 伊藤博文
またまた、俊輔、3回目の総理就任。ミスター総理だな。約半年で総辞職した短命内閣。飽きてきたんでしょうかね?
大隈重信第8代 大隈重信
佐賀出身。薩長藩閥以外で初の総理です。早稲田大学の創始者。慶応創始者の福沢諭吉とは、仲が悪く、福沢に「あなたも学校をおやりになったらどうです?」と言われ、ムカッときて早稲田大学を作ったという、とてもかわいい人。
山縣有朋第9代 山縣有朋
狂介くん、2回目の総理。高杉晋作が生きていたら、この人の傍若無人ぶりをどう説教したんだろうか。マジ、いいイメージないんですよ、この人に。すいません。
伊藤博文第10代 伊藤博文
俊輔、4回目の総理。これで最後です。この後、ハルビンで安重根によって狙撃・暗殺されてしまいます。これに対し、大隈重信は「華々しい死に方しやがって!」と本気で羨ましがったようです。不謹慎な。今なら大問題どころじゃないよ。
桂太郎第11代 桂太郎
長州藩の上士出身。ボンボン。木戸孝允への甘え方は異常。木戸も桂には甘すぎ。この頃に日露戦争が勃発。小村寿太郎を外相に起用した人。戦争には勝利しましたが、ただその戦後処理に国民が不満を感じ、日比谷焼き打ち事件が起きています。
西園寺公望第12代 西園寺公望
公家出身。日和見な公家には珍しく、戊辰戦争に従軍したりと、戦好きなお公家さんです。公家であることを嫌って、武家風に「望一郎」と名乗ることも。公家のプライドと、武家への憧れを持った、おもしろい人です。昭和15年、90歳まで生きました。
桂太郎第13代 桂太郎
2回目の太郎さん。この後しばらく、先述の西園寺と交互に総理を務めます。いわゆる桂園時代。私費留学時代に、木戸孝允に甘え、官費留学に変更してもらったのに、勝手に日本に帰ってきたりする放蕩ぶりを発揮
西園寺公望第14代 西園寺公望
公望はん、2回目の総理。この時期で明治時代は終わり。明治最後の総理ですね。この公望はん、フランス留学時代、金がなくなり、所有していた超安い刀を「正宗だ」と偽って売りつけるなど、詐欺まがいのことまでしてたこともあり、そんな愉快な貴族です。

ぼじぃ市松とまぁ、黎明期の政治家は、トップからして、面白い方が勢揃いですな。
自由人が多いね。今はこうはいかない。総理は。

めがね治部少輔なんか当時は、内政も外交(戦争)も、いっぱいいっぱい、がんばりました!ってな感じがするわな。戦争賛美はしないけど。

ぼじぃ市松当時は、帝国主義時代、富国強兵時代ってことで。史実は史実として受け止めねば。

めがね治部少輔どうしても、戦争というと太平洋戦争のイメージがあるから、総力戦で国民も我慢していたってイメージがあるけど、戦争は戦争、国造りは国造りって切り分けて考えられてたんかね?

ぼじぃ市松維新期も国内とはいえ動乱していた時期で、それにもかかわらず官僚機構を構成できたのと同じっちゃー同じだけど、統治と戦争を両方ともできたって、すごいじゃないか。

めがね治部少輔たしかにすごい。桂太郎時代は西園寺公望と持ち回り内閣(桂園時代)だったから、国内の政治的には安定していたんだろうけど、戦争しているのに安定しているってのもすごい。

ぼじぃ市松帝国主義の時代だから戦争もひとつの内政手段だったんだろうか。桂園時代が終わった後から大正デモクラシーに入るわけだけど、やっぱ安定期がなければ自由は得られないってことなんだろう。

めがね治部少輔まー、今と違って国民そのものが、変わりゆく日本、強くなり行く日本に対しての期待感、高揚感いっぱいで、大正までちょっとしたお祭り感覚だったんじゃねーかなぁ。

ぼじぃ市松あー、それはでかそう。国民感覚が今とは違う。

めがね治部少輔でも、今の政界、政局の方が興味深いわ。ニュースにつきないね。

ぼじぃ市松笑い事じゃないけどな。oh… バ官…

おのおの方の反応は如何に。

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