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徳川家 戦国時代

褒美に焼き味噌を取らせようぞ!徳川家康。

江戸幕府264年の創設者。神君。日本史史上最も長い政権を築き、現在の首都東京の礎を築く。武芸全般に精通し、日本最初のアウトドア派、健康マニアとしても知られる。江戸幕府を通じて大きな戦が少ない事でも安定した基盤を作り上げた事が伺える。

ぼじぃ市松てなわけで家康なんですけどー(投げやり)、家康ってガマン強くて、慎重で、ってなイメージが一般的だと思うけど、三英傑の中で一番人間臭いって。絶対。

めがね治部少輔そーだなぁ。普通に短気だし、意外と考え無しの行動っぽいのも多いしな。
ただ、信長や秀吉の実績って人間の規格外なの多いけど、家康はよくできた良識ある人間のやったことって感じだけど。

ぼじぃ市松だよなー。イライラすると爪噛む癖あるわ、馬の鞍を拳でゴンゴンする癖もあったようだわ。そのせいで手にコブができてたっぽい。イライラしすぎっすよ、権現様。

めがね治部少輔なんつっても、人間くささエピソードNo.1は、やっぱ「焼き味噌」!

ぼじぃ市松でた!ついにでた!「焼き味噌」!

めがね治部少輔この逸話、歴史の教科書に載せろよなー。オレなら載せる。

ぼじぃ市松えー、簡単に説明しますと、
家康が武田信玄に攻められたときのお話です。三方ヶ原の戦い。
武田の騎馬隊にボコボコにされそうになった家康は、浜松城に猛ダッシュで逃げ帰ることに。
んで、なんとか城内に逃げ入ると、ビビリのあまり、家康は馬上にて失禁してたと!「脱糞」していた、と!
本多忠勝に「何か落ちましてござる」と言われ、「ここここれは、焼き味噌なんだからね!ウンコじゃないんだから!」と力説(全力で言い訳)したという。

めがね治部少輔王翰の漢詩、思い出したw
「葡萄の美酒夜光の杯 飲まんと欲すれば琵琶馬上にて催す」
権現様、別の意味で、馬上でもよおしてしまった!

ぼじぃ市松まぁ逸話だから、信憑性がどうだか、って感じだけど、俺は全身全霊でこの話信じてるよ!
つか、Googleで「家康」って検索するとさー、他のキーワード欄に「家康 脱糞」ってオススメされるんですけど!

家康をGoogoで検索「家康 脱糞」

めがね治部少輔いよっ!脱糞征夷大将軍!!
ついで言っとくと、「焼き味噌」ってのは、当時の行軍の携帯食だな。かじるもよし、陣中で溶かしてみそ汁にするもよし。

ぼじぃ市松徳川軍の焼き味噌は食いたくねーなー。
「殿が直々にお作りになった焼き味噌じゃ… 食さねば不忠を問われるぞ… ごくり」これが嫌で石川数正は豊臣方の調略を受け入れたという。

三方ヶ原の戦い - 顰像(しかみ像)
家康、脱糞に反省するの図。端にうんこを描いていて欲しかった。

めがね治部少輔こんときの戦での自分の失態ぶりを反省した家康は、自戒のためにかっちょわるい肖像画も描かせてる。まぁ有名だし誰でも知ってるか。

ぼじぃ市松通称「顰像(しかみ像)」だ。
まぁ、ちゃんと反省して、今後に生かすところは家康のいいところだよなぁ。
画の端に、うんこ描いといて欲しかったけど。

顰像(しかみ像)
浜松城に戻った家康は、苦渋の表情の肖像画を描かせ、これが現在、徳川家康三方ヶ原戦役画像、通称「顰像」として残っている。これは一般に、血気にはやって武田軍の誘いに乗り、多くの将兵を失った自分に対する戒めとして描かせたとして知られ、この後に熱くなった自分を抑えるために絵を見て自重していたという逸話が残っている。

Wikipedia「三方ヶ原の戦い」より

めがね治部少輔あとはー、人間くせーつったら、家康って、何回か「もうダメ!自殺するー!」ってなってるよな?

ぼじぃ市松ビビり過ぎ。ビビって自殺する〜ガタガタブルブル〜焼き味噌の三拍子揃って、264年!

めがね治部少輔まぁしゃーない、天下のNo.2だから。大名としてはともかく、勤勉な実務家って感じだし。堺押さえちゃいました!とか金山収入と貿易でがっぽり儲けます!とかじゃなくて、倹約して、1000万円貯めました。収入を伸ばすより、使わない事で貯蓄を増やす方法だし!

ぼじぃ市松確かにNo.2は地味 ! 羽柴秀長(秀吉の異父弟)とか。No.2じゃないけど二代目秀忠も地味だし。しかし家康のNo.2ならではのケチさ!駿府の銭鋳所跡地を掘り返して、3年で運上金千両分の銅を回収したって、その人件費の方が高かっただろ、絶対!

めがね治部少輔食費をうかす為に、しょっぺー漬け物だすし。塩の方が当時高価なんじゃ?

ぼじぃ市松財テクに振り回されてる。それにしても家康→秀忠って地味×地味って….

めがね治部少輔安心せい。孫がイケイケだ。暴れん坊だぜ。(それは吉宗)

ぼじぃ市松忍従忍耐の人で愚直で律儀ってのも疑わしい。

めがね治部少輔自分の子供ですら好き嫌い激しいもんな。感情丸出し。

ぼじぃ市松しかも理由が、見た目がキモイからとか母親が身分が低いからとか。

めがね治部少輔結城秀康かわいそすぎる。

ぼじぃ市松たぶん、千姫もかわいがってなかったんだと思う。あれは孫か。

めがね治部少輔あれじゃね?No.2気質じゃなくて、パシリ気質が前面にでるからじゃね? 太原雪斎にパシリ教育をほどこされ、パシリストとして、義元・信長・信雄・秀吉のパシリを務める。ある意味すごい。

ぼじぃ市松パシリが故にめちゃくちゃ内弁慶。すぐにビビる。パシリストでビビリスト

めがね治部少輔戦況がヤバくなるとすぐ「オレもう無理!死ぬ!」ってなるし。んで、もらす、と。

ぼじぃ市松この焼き味噌事件が元で、江戸時代以降三河屋の屋号は味噌・醤油を販売する店ということになった世に言う「手前味噌革命」である。

めがね治部少輔うそつけ、こら。

ぼじぃ市松味噌、醤油等を江戸市中で扱っていた組合には醸造業の盛んな三河出身者が多かった為、各々が三河の入った看板を掲げ、これが庶民の代名詞となったという通説があるんだって。

めがね治部少輔第一、家康が “最も” 恐れた男が多すぎるし。まぁそんなにビビんなよ。ヤス。

征夷大将軍家康が最も恐れた男リスト
織田信長 みんな怖がっていたので仕方がないが、嫡男の信康の切腹を命じられ、それを受け入れてしまうほどビビる。
武田信玄 卓越した指揮能力と最強軍団を率いる巨星、焼き味噌伝説の合作者。先述の通り脱糞するほどビビる。
伊賀の土民 本能寺の変勃発時に堺見物をしていた家康は、天正伊賀の乱の最中の伊賀を越えて逃げる際、何度も死を覚悟したくらいビビる。
真田昌幸 優れた智謀で二度もボコボコに撃退される、二度目の敗北では息子(秀忠)の失態に怒り、危うく腹を切らせるところであったくらいビビる。
豊臣秀吉 お母さんまで人質に出した関白殿下に、挨拶に参るのを躊躇するくらいビビる。
伊達政宗 若さとその野心を恐れるあまり100万石の加増の約束を反古にする。ついで、政宗の娘が嫁いだ実の息子を改易させるくらいビビる。
島津義弘 捨て肝(すてがまり)に驚嘆。関ヶ原で西軍に付いた島津なので、本来お取りつぶしの所を本領安堵にしちゃうくらいビビる。
豊臣秀頼 若く、織田・豊臣・浅井の血を引く巨大なカリスマ性に恐怖。孫ほどの年のガキに大人げない喧嘩をふっかけるほどビビる。
真田幸村 大坂の陣で無双の活躍を見せ家康本陣を襲撃。旗印が倒れた時にはまたしても死を覚悟する。高齢のためっぽいが、この時も失禁したという噂が立つくらいビビる。

めがね治部少輔実際ビビってるぐらいのが、天下取るにはいいんだな、きっと。臆病は美徳、ってな。

ぼじぃ市松天下とったら誰にもパシリさせられなくて、安心の反面物足りなかったんじゃ…

めがね治部少輔いや、内弁慶っぷりを発揮して俺の趣味(地味)を強要するとか。

ぼじぃ市松鷹狩りいこうぜ! とか? この薬飲んでみ?とか?

めがね治部少輔三英傑ってみんな極端だよな。信長は狙いすぎて厨二病だし、秀吉は元祖成金だし、家康は日本一のパシリストだし。

ぼじぃ市松三英傑はある意味人の人生を見ているようだ。子供の頃は社会を斜め45度から見て、社会人になって給料を全部遊びに使って、結婚したら奥さんのパシリ。

めがね治部少輔信長も秀吉もそれを見越して”人間五十年”とか”夢のまた夢”とか言ってたんかなぁ。
(人間五十年〜は、信長が好んだ「敦盛」という能)

ぼじぃ市松それにくらべてマジなパシリストの辞世の句はねぇ。ちょっとセンス無い感じ。
家康の辞世の句は「先に行く 後に残るも同じこと 連れて行けぬを別れとぞ思う」。
もう訳さないでも分かるでしょ。

めがね治部少輔遺訓といわれる「人はただ身のほどを知れ 草の葉の 露の重きは落つるものかな」も天下人とは思えないよな。実に堅実家。

ぼじぃ市松治部少ってこんなちっちゃい奴に負けたんだなw

めがね治部少輔いーえーやーすー! いーえーやーすぅーーー!!!!
(戦国BASARA3の三成風で)

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